蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№544 経糸(たていと)

わたくしはわたくしだけの河にいく ゆめのほとりのきみに逢ふため   中山明

 

 

1月15日

最近夢の持つパワーに圧倒されているので、すぐ記録できるようノートを枕元に置いて眠る。

日常での懸念事項に対して、間違いなく内的な示唆を与えてくれている気がする。どの方向に進むのがいいか、顕在意識でどんなに考えてもわかりっこない。内的にはすでに決めていることを、表層意識は理解していないことが多いようだ。人の助言も役には立たない。ひたすら自分自身と向き合っていくしかなく、そのための手段は私の場合、人と語ること、文章を綴ること、そして夢を見ること。

 

読書会のファシリテートをしたところからお礼が届くという夢を見た。
大きな箱でびっくりした。3グループからのプレゼントが収められており、そのうちのひとつがえびのぬいぐるみだった。海老…?

 

この巨大な、しかし愛らしいぬいぐるみの”象徴的な意味”を探ろうとして「三河最大の老舗海老問屋、創業60年余年、愛知県三河一色町で海老一筋」という毎味水産さまの「海老はどうして縁起がいいの??」というコラムを拝読した。
海老一筋って素晴らしい。そういう人大好き。

 

以下、海老の縁起のよさについて学びます。

…………………

 

『長寿の象徴』

・曲がった腰と長いヒゲという見た目

・脱皮を繰り返すため、成長と新しく生まれ変わるという験担ぎ

・真っ赤な姿で紅白のお料理にぴったり

・威勢がよく、力強さと生命力の強さ

 

『偕老同穴』

生きている時はともに老い、死んでからは同じ墓に入る、の意

夫婦が愛情深く固く結ばれていること。

 

『めでたし めでたし』

海老の容姿は目が飛び出ている

 …………………

 ほほう。

成長、新しく生まれ変わる、威勢がよく力強さと生命力の強さという点にはビビっとくる。「威勢がいい」ってなんだかすごく心に響くよ?! しかし偕老同穴といわれると目がシロクロして気が遠くなりそう。

おおきなぬいぐるみだった。腰が曲がるところまでで約1m(髭除く)。真っ赤なボディなので既に茹で上がっている。素材はふかふかして柔らかく、あご?のあたりにファスナーがついていてお腹が開けるようになっている。たまごはないのでメスじゃないらしい。しかしここにいったいなにを入れたものであろうか?私が収まるのであろうか?
このエビの意味するところを一生かけて探求したいと思う、朝。

 

 

さて今日はちょっとまともな話をしようかな。

先日感情のことに関して書いたときに、西洋の賢い方が書くことって何やらずいぶんめんどうだなと感じたのだった。そこでデジャヴが起きた。「こういう話ならずっと前に聞いたことある…」

ズバリこれでした。Yogaを学ぶ者が生きるうえでの基本としいつでも還っていく教え、ヨーガ・スートラ第1章33節。

「幸福・苦痛・善・悪なる諸人に対し、友情・同情・喜び・無関心の意を表す。」

仏教でいうところの四無量心「慈悲喜捨」の教えですね。

・しあわせなひとと共に喜びを感じる:友情मैत्री (maitrī-)

・くるしんでいるひとに、胸を掻きむしられるような気持ちで寄り添い、逃げ出さない:同情करुणा( karuṇā)

・善きことを為すひとに心からの祝福を:喜びमुदिता(muditā)

・今、悪いことをしてしまっている人を見聞きしてしまったらそっと距離を置く:無関心उपेक्षा (upekṣā)

という態度をもって他者と向き合うことで、自らの心が清く澄んでいくという教え。
結局ここに集約されていて、これだけでいいんじゃないかと思う。

 

スートラ sūtra सूत्र 
お経の「経」の字。昔から智慧は口伝で伝えられて、当然ながら今のように紙に印刷されたもので読んだり見たりすることはできなかった。これは筝曲の世界も同じ、茶道も同じ。今でも最も大事なことは文章になっていない。ヨーガ・スートラも何度も読むけれど、わかるかどうかは自分が生きてきて積み重なったものに依る。だからみんな同じようには読んでいないし、同じようにはわかっていない。

 

この個々のなかに在るたいせつなものを、そっと譲り渡すようにして教えが繋がっていく。このことの神秘を思うと、いつでも鳥肌が立つ。

この、尊い教えがひとりからひとりへとつなげられていくその様を、繊維の経糸(たていと)に示したのでスートラといわれる。緻密な織物のように存在する私たちが、いまここにこうしていられること、このことについて知ることを許されたこと、あなたと出会えたこと。そのすべてが、きっとどれも偶然ではない。

だからありがとうといいたい。
ジタバタする私のそばにいてくれてありがとうと。私が騒ぐところを傍で見ているのは大変だろうが、そのことをもってあなたがより清浄になっていくのだと思えば私も救われる気がするし、やっぱりそばにいていいんだなと思える。やっぱりこれでいいんだなと。

 

さて本日、日本剣道連盟のサイトに推薦図書が示されていることを知ってちょっと覗いてみた。

曰く、きびしい制動発条に、「ここまではよいのだ、まだこれ位はよいのだ」とゆとりをあたえ、わが身を馴らしてゆかなくてはならない
また、仕合での一本一本は、「麒麟の技」であってほしい。*


タイプ論・宿命的なものは大嫌いな私だけれども、先日お酒を飲みながらついつい自分のことを調べてしまった。生まれ日が“辰”なんだけれども、これって算命学とかでいうところの魁罡(かいごう)だとかいう、全60種のうちに僅か4つしか該当する干支がないものだとある。

そういえばですよ、色んなところに見えないものが見える人がいてむかしからそういう人たちがみんな同じこと言う。つぼいさんはアルファでありオメガである、1か0って。しかし私は至って凡人である強い自覚と共に生きている。

それでこの魁罡というのを持っているひとは「幽霊(お化け)も逃げ出すパワフルさ」とか言われているらしい。激動の人生、特殊な世界を好む(平均的な人生が無理)、ゼッタイに降参しない驚くべき意志力、直感力鋭い、そして美男美女。ぜーんぜん違うけど最後のはズバリ当たってる、よね?

 

辰(龍)もそして麒麟も人間の目では見ることがない生きもので、ひとはいったいなにを感じ取ってそういうものを言語表現として生み出したのであろうか。なんらかの特殊なエネルギーがあることを感知したのだろうか。
泰平の世に現れる獣類の長、麒麟。その技ってどんなものだろう。非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌ういきもののような技。

 

今の世が真に太平かどうかはまあ置いておいて、人を殺せる技のなかに非殺生のこころを宿す剣っていうのを、私も見てみたい。
そんな剣を用いる人の姿を、この目で見てみたい。

  

*日本剣道連盟HP 伊藤京逸氏の文章より引用させて頂きました。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/kendohyakkashin_05/ 

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