蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№620 香華を手向ける

人ひとり恋ふるかなしみならずとも夜ごとかすかにそよぐなよたけ  永井陽子

 

 

 

4月3日

JK剣士からの頼り(LINE)は、ない。
昨日午後1時、LA時刻21時半、安否確認のために、というのは真っ赤なウソで、単に文章書きの気分転換に「これを送れば反応してしまうに相違ない」と思われるYouTube動画をシェアしてみた。コケロミン・ネコが「ねこふんじゃった」を歌う動画である。

ケロミンご存知ですか?
ご存じない?ああ、そう。ならケロミンは?あらまあそれもご存じなくて? 
ケロミンはイグノーベル賞の授賞式に招待されたこともあるパペット型電子楽器。ご想像通り外見はカエルで、そこは裏切らない感じ。口の開きで音程をカエル、実のところすごくセンシティブでメチャ演奏が難しいのであろう楽器ケロミン。1匹49875円。

よんまんきゅうせんはっぴゃく… 高い。
ご安心ください、税込み、送料込みです!

ケロミンがこの価格なら「えーもうちょっと安かったらな」と思うあなたやわたしのようなひとがいるのは当然で、ちゃんとコケロミンという弟分がいる。9980円。うん、誕生日プレゼントにも最適ね。しかもコケロミンには仲間がいて、コケロミン・アマガエル(本家)、コケロミン・ピンク、コケロミン・ネコの三種類。いかにも猛毒がありそうなピンク色のカエルもいいが、世のネコ好きの心を鷲摑みするネコ型ロボット(耳あり)もいい。

いったいどのような歌声を披露してくれるのであろうか、ということで先述のYouTube動画に至るのだが…。気になる方は「コケロミン・ネコ」で検索してください、きっとすぐにヒットします。37秒ほどの動画です。見れば「うん。よし、明日もがんばろう!」という意欲が出てくるに違いありません。この動画を見ると、今この瞬間ガッ!と目の前の存在(それがなんであっても)に集中し、その語らんとすることに全身を耳にして聴き入ることができるはずです。いわゆる一種の瞑想状態と言えるでしょう。コケロミン・ネコ・マインドフルネス。


そして「これなら反応するやろ」という見立てどおりJK剣士から返事はきたが、「またヘンなの見よんな(米子弁同時通訳:また意味不明な動画を見ているのですね。ちゃんと仕事をしたらどうなのですか、母上。)」とバッサリ斬られ、その後一切音信不通。海外を経験中に親とLINEなどしてはいかん。1カ月以上先の帰国までコケロミンはおあずけ、今のところはこれで勘弁してやろうではないか。



さて今回ハハは長期滞在がらくちんな宿を、ということで泉岳寺のホテルに泊まっている。生きていて最も好きな家事が洗濯、という私にピッタリの洗濯機付きのお部屋。ほんっとに嬉しい。ま、洗濯という家事の大半は洗濯機がしてくれてるんだけどね。

昨年6月、しげにいちゃんと初めて将門の首塚に行ったときは、このすぐ隣のホテルに泊まっていた。高輪ゲートウェイ駅のすぐ近くで、浅草線泉岳寺駅はもっと近い。

長期滞在なので清掃などもこちらから日を指定して行ってもらう。それ以外はホテルスタッフが部屋にやってくることがない。「何時に掃除してもらうか、掃除のあいだどこに行くか」を悩むのは土地勘のないものにとって結構なストレスなので、とてもありがたいシステムだと思う。なので毎日、洗面所やトイレの簡単な掃除をするわけだが、こんなん家でも毎日やっとることでなんくるないサー。

今日は1階の集積所にゴミを捨てに行きがてら、周辺を散歩してみた。泉岳寺っていうくらいだからすぐそこにホントに泉岳寺があった。ここがかの有名な、あの。せっかくだからおまいりすることにした。
こちらは浅野長矩公と亜久里夫人、そして義士の墓所であるからして見学はお断り、おまいりするお心のある者のみ入ってよろしいという立札があり、ちょっとドキドキしながら伺ってみると、若いお坊さんがご丁寧にお声をかけてくださった。お線香を預けた竹の容器を手に、お殿様、奥方様、大石内蔵助さん、主税さんにまずお香を手向け、さらに45名の方の墓所ひとつひとつに香をそなえ手を合わせた。現世でのお名前と没年の年齢が刻まれている。20代の方も多いことをはじめて知った。

腹を切らねばならなかったから、吉良さんの首を斬って…というのは、私としては非暴力の教えに反することもあり同意できないが、お殿様のことを想って、自分たちが酷い目に遭うかもしれないと承知のうえで行動したっていうのはちょっとすごいなと思う。お殿様は既にお亡くなりになっておられ、インド風に考えるともう絶対者ブラフマン共に在るのだから「ただそのようである」という超越した心なのだろうが、それでも浅野公だった過去生をふりかえって個我として嬉しくなったんじゃないか。義士たちもやり切った感があっただろうな。

あまりこの事件に詳しくないが(少し本を読んで、ドラマをみたくらいのこと)、元藩士は47人しかいなかった訳ではないのだから、決行部隊に参加した者、参加しなかった人、みなそれぞれ最後まで心の中で大きなせめぎあいがあり、悩みに悩んでただそうであるように行動したのだと思う。人の心というのは決して一枚岩ではないから、強く決心したことが揺らぐこともあるだろうし、決心しておきながら何か他の要因でそのことを果たせないひともあったことと思う。

信じると決めたら他に一切耳を貸さない。私ならば。なんとなれば私は心の弱い者だから、いろんなひとのいろんな言葉を聞いたら心がぐらぐらに揺れて節を曲げてしまうかもしれないから。
そして誰を信じるかはアタマでなくハラで決める。ハラで決めてひどい目に遭ったら、それは絶対者ブラフマンの思し召しである。そして絶対者を信じられるようなハラを持ち続けられるようにYogaを行じ続ける。ここがズレていたら目も当てられない(Yoga以前は完全にズレまくっていた)。おまえをひどい目に遭わせたろうと絶対者が思うとき、それは間違いなく愛なのだから嘆く必要はない。


それでも、これは絶対者による愛なんだと確信していても、誰かにそっと抱き締められて、やさしくなぐさめてほしいと思うときはある。今日はそんな日だった。そんな日に絶対者が、私を泉岳寺に誘ってくれたと信じている。