蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№573 薬師さまに会いに

雨がただ全力で降る 誰だって 忘れてしまいたいことはある  田中ましろ

 

 

 

2月15日
名古屋で朝を迎える。雨。
金山駅近くのスタバに陣取った。一瞬、名駅高島屋に行っちゃおうか、三省堂でハンティングしちゃうか?!という誘惑に心が揺らいだが、オトナの心でキリっとスタバにやってきた。五反田と違ってガラガラで快適。まあコーヒーの味はどこも変わらずだけど、席とWi-Fiと電源のための苦行だと思えば耐えられる!


昨日JR高蔵寺駅に降り立ったのだが、この高蔵寺というところは前職の時なんども来たことがある思い出の土地である。航空自衛隊第4補給処高蔵寺支所というところがあって(たぶん今もあると思うが)、弾薬などを保管管理しているところ。私は「モノ」を扱うひとだったから、みんなと一緒にトラック(のうしろ、荷台。お尻痛い)に乗って弾薬をもらいに、いや受領しに来たりしていた。

テッポウの弾って、小ぶりでかわいい木箱に入ってる。この小ぶりっていうのは、私の頭のなかでは輸送機のタイヤが数本入っているデッカイ木箱との比較ね。それをバールでこじ開けて使う。安全靴を履いてる足で箱を踏みつけてこじ開けるの、とっても楽しかったな。今はもう毎日楚々として生きているから、バールなんて重いものは振り回せないわ。今ここにあの箱があったら、本とか入れるのにちょうどいいのになーと思う。どれだけ入れても大丈夫そう。プランターにして薬味とか育てるのにもよさそう。ま、私は食べる専門だからそんなマメなことはしないけど。

 

 

昨日はSちゃんにお願いして、岐阜県瑞浪市にある薬師様にお詣りしてきた。
開山1300年の歴史があるという古刹で、かつて比叡山高野山と並び称されたという。戦乱に巻き込まれて堂宇が焼かれ、後に再建されたらしい。なぜわざわざここに来たか?というと、うちのリーダーがとっても珍しい苗字なのに、同じお名前、しかも薬師様だと知ったから。

この世に偶然なんてなくて、すべてがシンクロニシティで回ってるらしいという説に深く頷くようになった近頃の私。そういう説を採用すると、あれこもれも大事なわけがあって文句なんか言えないなあ…という深い感動が湧き上がるし、Yogaのセンセイとしては「バガヴァッド・ギーター」はやっぱりすごいな!と思える。
やっぱりあっちがいいとかこっちは嫌だとか選んじゃったらマズイんだ。あるがまま、自分が人生の主人として生きるのがいちばん。

 

それでこのお寺を発見した時、「やっぱりうちのリーダーは、絶対者に使い回されてこの道(医療関係)に導かれたんだなあ!」とひとりで勝手に感動し、岐阜県はかつて住んでいてご縁のあるところだし、さとちゃんちからもそう遠くないそうだしということでこの度の参拝と相成ったのだった。実際に行ってみると、数年前研究総会をやった美濃セラミックパークからも近かったので、これまでにもかなり接近していたことがわかった。

大きな池が二つもあって、夏には幾種類もの蓮が咲き誇るという。ご存じのとおり蓮に対する思い入れがハンパない私。夏の早朝に音を立てて開くという蓮の花を見るために、再訪したいと思う。

 

ちなみに薬師如来とは、サンスクリットでは Bhaiṣajyaguru(バイシャジヤグル)というそうで、手には薬の入った壺を持っておられる。密教経典にも記載があるとのことでYogaともご縁が深そう。なぜまたわざわざ東京と静岡と鳥取の人が一緒になって何かをやることになったもんだろうかねえ、という話が先日出ていたが(もちろんそもそもの起因を作ってくれたのは洋平先生です!)やはりすべては偶然ではなかったし、運命だったななんて思ってしまうではないか。

いつかチームメンバー三人で修学旅行に行きたいね。そして下呂温泉で湯に浸かって、下呂牛乳飲んで、朴葉みそ食べよう。そうしよう。

 

 

 

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瑞櫻山法妙寺、通称・桜堂薬師。東濃地方屈指の古刹。