蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№582 営業カツドウ

生きていくことをあなたに見せるときちょうど花びらでも降ればいい  虫武一俊

 

 

 

2月24日
いいニュースと悪いニュースがある。
まず悪いニュースで気を引き締めて行こうか。

JK剣士は骨折していなかったがけっこう痛そう。だってかなり重量級のものが足に落ちてきたんだもんね。
くるみ材ってすごく頑丈。くるみ、すなわちウォールナットは広葉樹に属し英語でHard Woodと表現されるほど密度が高い。重い、硬い、丈夫の三拍子揃ってる。ライフルなどの銃床(左手で上の方を握って、下の方を肩に当てるあの部分)に使われるほど衝撃に強い。銃をバン!と撃って鎖骨にガン!とぶつかったら、鎖骨が折れちゃうのは既に読者の皆様にとってはジョウシキでしょ?だから銃床はしっかり肩に押し付けていなくてはいけませんよ。ここ大事なところ。そう、くるみ材はJK剣士の足の甲に当たってもビクともしないほど強い。くるみ材の一本勝ち、勝負アリ。

それなのにこれから「へへ、ただの打撲だろ?」という視線に耐えながら、稽古を行いつつ回復を図らねばならない。生活とは即ち実戦なのだ!
これが骨折であったらもしかしたら「大丈夫か?!」とか、絶対ないとは思うが「無理するな!」とか言ってもらえた“かも”しれない。なんて不憫なのだろうか。ちなみに骨折していた場合も、同じように稽古を行いつつ回復を図るらしい(メニューは違うのかも)。結局どのように転んでも展開は同じだった。
がんばれ!JK剣士、剣道とは生きることなんだ!


いいニュース。
もうYogaのこと書かないもんねーとふて腐れていたら、インテグラル国語教師Fさんから「Yoga&ブラフマンネタ最高だからどんどん書いて」という旨のコメントを頂いたのだ…(目を閉じ、背筋に走る歓喜のエネルギーを感じる)。しかもこれからはどこがよかったかちゃんと言うからね!とまで仰ってくださる。褒めて伸ばす、おだてて育てる。さすがインテグラルな教育者。Yogaネタスルータイプの皆様は、これまで通りスルーでお願いします。

 

 

いいニュースその2。

私の本業は公式にはYoga教師。ほんとのこと言うと、ふらふら遊んで楽しく暮らすのが本業。Yogaはその副産物、とマヤ歴に詳しい方から言われた。クソマジメに生きるとダメなんだって。真面目にセンセイとかママとかしてた頃、熱血過ぎて迷惑だったって今でもよく言われるもんね。

整理すると、本業はふらふら楽しく遊ぶこと。副業は営業。副産物がYoga教師。
営業?そう、私は実は営業上手なのである!
営業職としてCAFFE VITA(公認)、木次酒造(公認)、Oasis Medical(自称)、規夫師匠(内緒)を担当して暗躍中。役職名はすべてエイギョウブチョー(自称)である。


これを読んでいる方のなかにも、私から猛烈な営業活動を受けた方がいるはず。この営業活動は既に洗脳の域に達しており、毎日スタバに行っていたのにコーヒーは注文できない体質になってしまうとか、飲んでもいない木次酒造のお酒を人に勧めてしまったりしてしまう。たぶんYogaで鍛えられた私のなかのなにかがあなたの脳細胞に強烈な作用を及ぼし、一生消えない刻印が刻まれてしまうのです。

ところが、なんと。最近、私の副産物(Yoga)にも営業がついたようなのである!

「Yogaのこと語っちゃった」という人が現れ、「あなたが思ってるようなフィットネスとかアメリカンスタイルじゃないからね!」とか「ヤバいヨガのセンセイがいる」などと語って下さっているご様子。私のクライエント様は皆様「いわゆるYogaやってるイメージ」から遠く乖離している人ばかり(そもそもセンセイからしてそうだから)。ヨノナカ的にはエライ方もおられる。そんな方がいきなりYogaの話したらお相手は引くと思うよ~でもどんどんやって!

「どこにいったらそんなセンセイに習えるんですか?」と訊かれたら、「あなたに準備ができたときセンセイは顕現するでしょう」とお返事してください。アヤシイ感じでね。

 

 


長いこと探しものをしながら生きてきたように思う。
そんな気分になることはなかっただろうか?どこかになにか「正解」があるような、自分が間違った道を歩んでいるんじゃないかと思うような。

今年の1月10日に夢を見た。現実に生じているある状況に対して私はブラフマンに抗議していた。「こういうのは嫌なんです、耐えられません」と。そうするとブラフマンが「必要な助けもすべて一緒に与えてあるから、だいじょうぶなはずなんだけどなあ」といかにも不思議そうな顔をして応えたのだった。

この夢のなかでのブラフマンはおじさんのイメージ(でもぼんやりしている)だが、実際には現実の内在的レベルをブラフマンと呼ぶ。決して髭の生えたおじいさんなどではなくて「目に見える現実にあるすべての形態が誕生する場所」。すべてがここから現れ、またそこへ還る。
正解や不正解を生む何か決定的なものがあるわけではなく、毎瞬毎瞬私たち自身がその動的なプロセスに参加している相互関係のダイナミズム。だから文句を言う必要もないし、ジャッジする必要もない。ただし!

決して無為にならないこと。
やけくそにならず、軽やかに楽しんで(どんな状況のときにも。どこかに客観的な自分がいるかのように)参加し続ける。それがブラフマンとの遊び方。

 

こうしてここで毎日、どなたが読んでおられるかわからない文章を綴っていても動的なダイナミズムが双方向に動いている。明日は、そのお蔭で遠くから響いてきた声(いいニュースその3)について書きます。

ごきげんよう。くるみ材とは喧嘩しないようにね。