蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№478 新しい二の腕

逢えばくるうこころ逢わなければくるうこころ 愛に友達はいない  雪舟えま

 

 

先日インテグラル仲間との会食を行った際、初めてお目にかかる女性がおられた。
話の流れで仲間のひとりが私の前職を明かしたところ、なぜか私の二の腕の話になった。ちなみにその時、ノースリーブの服にショールをかけており、腕が見えていた。
自衛官っぽい二の腕ってなに?

 

訓練で使っていた64式7.62㎜小銃(当時。今はどうか知らない。)は重量が4㎏くらいあったような気がする(あんまり覚えてない)。女性自衛官は、身長が150㎝以上なければ公式には採用されないから、169㎝ある私はその特殊な集団のなかでも大きい方。男子と混じって並んでも一番小さいグループには入らない感じ。これくらい身長があると、重量のある物品でもなんとか取り回せる。

三か月に一度ほど、30㎏で一袋と呼ばれる玄米の巨大な袋を抱えて運ばねばならないのだが、それも一応持てる。でも3㎏くらいのものを持って走り回る方がずっとつらい。身長が小さい人はほんとうに大変だと思う。

と、いうようなことが走馬灯のように頭のなかを駆け巡った。が、いやちょっと待って。

退職して今年8月1日で満12年。私の身体の細胞は相当の割合で入れ替わっているはず。筋肉の付き方も、体脂肪量も全く違っている。心身に対する知識と経験の量も多少は増え、今の自分は多少の時間をもらえさえすれば、自らの肉体部分に関しては如何様にも変えることができるという確信の下に生きている。ただしこれは厳密に体型の話であって、複数の要因が絡み合う病気という複雑な事象に関しては、分けて考えていると思って欲しい。女性の味方・O先生もいてくれるので、自分の取り組みで不足している点は補完指導してもらえるため、状態は常にアップデートされいい感じである。


なので、今、私は基本的に自分の肉体に関してほぼ何の不満もない。自己採点98点? 体脂肪が少ないことと、次女への授乳期間が長かったせいで失われた身体全面上部の肉が少ないことは、まあ良しとしようではないか。相反する方向性を同時に求めることはできないんだからさ。

 

 ヨーガは体操ではない。
先日O先生に、日本ヨーガニケタン発行の、書き込みだらけで、しかも何やらこぼしたらしくシワシワになっている「ヨーガ・スートラ 第一章」の冊子をお見せしたら、「やっぱりヨガは体操じゃないねえ」としみじみ仰っていた。だってヨーガの世界におけるこの重要文献には「ヨーガシチッタブリッティニローダハ」って書いてあるじゃないですか。ヨーガは心素の働きを止めることなんですってば。

 

 

人の苦しみも喜びも肉体に宿る。
私はヨーガ(と中野先生とウィルバー)に出会う前、自分がほんとうは何を考えているのかがわからなかった。目の前のひとが自分に何を求めているのかを推測ばかりして(しかも推測だからかなり間違っている)度々死にたくなりながら生きていた。自分の心というものがあるのなら、そこにはいったいどんなものがあるのか知りたいと思った。幸いなことにその後、人の心のその哀しいばかりの弱さや醜さ、そして愛おしさを学ぶことができて、今こうしてここにいることができる。

ヨーガ/インテグラル理論以降の私は、心というもの、そしてそこから生じる影のもつ恐ろしさを尊重して生きている。自分のなかに生じる感情の両側面を大事に掬い取って生きたいし、そのように生きなければ間違いなくしっぺ返しを食らうことを、嫌というほど知っている。それはどんなひどい人に騙されることよりも、つらい経験となる。

 

愛が大きければ、寂しくなる。喜びが大きければ切なくなる。
私が寂しさゆえに床に伏してひとり泣くとき、心の奥ではその感情を生ましめた大きな愛があることを知っていて、泣くことすらも惚気みたいなものであることを知っているのだ。寂しくない状態を知っているからこそ、寂しさに泣くことができる。それはとても贅沢なことで、人は満足を知りながら、感情の波と共に豊かに生きているんだなと改めて思う。

 

アサナで肉体と向き合うことは、自らのなかの感情の大きな力と共に在ることへの、誓いのようなものだと思っている。肉体に感情が宿り、感情の動きと共に心が立ち現れる。心の働きが悪いわけではなくて、働きの質を劣化させ、自分や周囲の人を苦しませる過去という素材そのもの、そしてとある素材への執着を克服するための、継続した取り組みがヨーガである。その取り組みの結果手にすることができる心の穏やかさや、他者への愛がヨーガである。

 

ということで、ヨーガを達成するための手段のひとつとして、できうる限り毎朝、私はカラスや杖になり、テーブルや魚になってみたりしている。頭立ちなどもやってみる。
自重を支えるこのごっこ遊びの結果、いまのような二の腕になっているが、たぶんここに64式小銃や戦闘訓練はもう関与していない。

と思うんだけどなぁ。

 

 

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ヨーガ・スートラⅠ-2。療法士必須のテキストから。