蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№479 全存在として


水蜜桃(すいみつ)の汁吸うように愛されて前世も我は女と思う  俵万智

 

 

 

名古屋市金山に滞在中。1999年、ここに名古屋ボストン美術館ができたときに来て以来。美術館は2018年に閉館したとのこと。
昨夜は空気が冷えていたのか、濃尾平野の夜景が潤んで見えてとても美しかった。長崎出身の私は、山の上にある学校から「鶴の港」と称される長崎港を望む夜景を見ながら高校生活を送ったせいか、夜景がたまらなく好きだ。新神戸駅のそばにもANAホテルがあるが、そこから見る神戸の夜景もとてもきれいだ。神戸と長崎の夜景は似ていると言われ、私もそう感じるので、神戸という街が好きなのかもしれない。

今日はこれから神戸に移動し、終日、御影公会堂でのレッスン。
重厚で美しいこの建物でレッスンができるのは、とてもしあわせだと思う。二間続きの広い和室は、昭和の時代には結婚式にも使われていたそうだ。「火垂るの墓」の舞台でもある。
阪急御影駅近くの香雪美術館も素晴らしいし、なによりこのあたりには美味しいものがたくさんあるらしく、どれも老舗の、もなか、コロッケ、揚げかまぼこ、食パン(2斤のブロック!)などを頂戴したことがある。とても美味しい。また、筋金入りの宝塚ファンの方が多く、伺うお話がとても興味深い。

 

 

さて先週の東京滞在中、今回で2回目となるたつのゆりこさんの施術を受けてきた。
https://www.yuriko-tatsuno.com/

女性男性問わず、この施術のことを語りまくっているので、既に予約を入れた方、これから行くと決めている方、遠方でなかなか行けないのでせめて書籍を読んだという方、セルフケアを始めた方などがおられる。残念ながらたつのさんは女性のケアしかしておられないが、男性向けのケアをなさっておられる施術者も、ちゃんと存在するとのことである。よかったですね、男性の皆様!安心しました。

私の周囲には対人支援者の方が多いわけだが、こういったケアを体験せずに女性の健康や幸せを語るなかれ!と思ってしまうほどインパクトのある施術なので、勇気?を出して一度受けてもらいたい。

中高年女性に対するケア、とあるが、正直言って今の20代、30代の女性は健康とは言い難い。現に冷えや生理痛、生理不順、不妊に悩む人は、婦人科に通うよりも、こういうところで自分のからだとの向き合い方を実践的に学ぶべきだと思う。40代後半の私は、自覚的、慢性的な症状は一切なかったが、もっと早くからこれを知っておきたかったと強く感じている。学校の保健体育の授業に取り入れればいいのに、と思う。まあ無理だろうが。

 

 

日本女性のシャドウは根深い。暗に示されている「女はこうあるべき」というイメージを払拭して自分自身の生を切り拓くのは、この国ではとても勇気がいることのように思える。

しかしいいニュースもある。しあわせに生きている女性は確かにいて、まるで隠れキリシタンのように、自分自身のアグレッシブな選択とそこから得られたポジティブな恩恵を語らずに棲息している。同時に、そこから生じる苦悩とも対峙してきているからこそ生まれる、陰影のようなものをもっておられるように見える。そういう女性は実に魅力的である。
見ようとしないと見えない世界というものが、確かに存在するのだ。これはグロスの領域にも、確かに及んでいる変化。

 

 

たつのさんの施術を初めて受けたときに聞いた、過激な発言のインパクトが大きすぎて思わず笑ってしまった。しかし、とても深い。
曰く「同じ屋根の下で、同じご飯を食べている男性とセックスできるわけがない」。

なるほど!と膝を打つか、なにを言ってるんだ!と怒るか、人はどういう反応をするものだろうか。
ちなみに私は大ウケした後、神妙な気分になった。もちろんこれも世界の部分的な見方のひとつに過ぎない。親密な家族として生活しつつ、恋人のような関係性を保っているご夫婦も(たぶん)この世には存在する(はず)。あんまり信じられないが、奇跡もある。
しかし、こういう穿った視点をまったく持てない場合、世界は牢獄のようになってしまうだろう。私自身、自覚がある。もういいかな、別にこのまま死んでも、という無感覚。

 

たつのさんご自身はまだ著作がない。監修なさった書籍はある。こちらも十分過激だが、読んだ女性は救われると思う。私のように。だから、たつのさんご自身の言葉ならばもっとインパクトを与えることは間違いがない。この社会に対して言ってやりたいことはたくさんあるが、過激すぎて受け入れられないだろうと仰る。だから今は、個に対するケアに専心しておられるのだろう。変化した個が一定数を超えれば、何かが起こるかもしれない。

 

 

ヨーガ教師として、肉体からアプローチし存在そのものに働きかけることを生業としているが、人を全存在として捉えることを常に意識し、取り組んでいかなければならないと感じる。私自身の意識から排除されているものは、決してケアできない。私自身がひとりの人間として生きることそのものが、人に対するケアに繋がっている。道浦母都子の歌のように「全存在として抱かれいたる」という関係性を公私で育めるかどうかが、自分自身の仕事の質に関わっていくような気がしてならない。


昨晩たつのさんの話で盛り上がったクライエントさんの発言が、これまたおもしろかったので書き留めておく。
「おぼこい男は危ないんだよなあ」
うん、ほんとに。私には20歳になったばかりの娘がいるが、その娘にも聴かせたい名言である。

ちなみに「おぼこい」とは、名古屋では「初な・子供っぽい」、三重県四日市では「幼い、世間ずれしていない」という意味で使われる方言である。 

 

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名古屋・金山。21階から見る朝の景色。