蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№477 秘密の場所

「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君  俵万智

 


出張8日目。これから名古屋に移動し、不測の事態で前回のセッションをキャンセルさせて頂いたクライエント様と、久々にお目にかかる。故人と同じ病と共に生きる彼女は、この度のことをどのようなご不安と共にお聴きになっただろうか。私の悲嘆を案じてくれているけれども、彼女のお心をこそお慰めしたいと思い、その為の時間になるようにと願っている。

東海地方に約10年暮らす間に、味噌煮込みうどん愛が高じてしまった(そして山陰では食べることができない。長崎ちゃんぽんと同じように。)ことをご存じなので、ご提案の場所が味噌煮込みの老舗・山本屋本店だった。いいのだろうか、味噌煮込み屋さんなどでダルシャナをしても。味噌が服に飛ばないようにエプロンをして? このシチュエーションは流石に初めてである。いいよね?きっと大丈夫よね…。

 

母が長く不在の留守宅では、昨日JK剣士が新人戦に出場した。
本人にも家人にもうるさく申し付けて試合の動画を送ってもらったが、1回戦は8分の延長戦(本来の試合時間は3分)の末勝利したものの、残念ながら2回戦は負け。しかも2本負け。2本も取られたよ…?

負けることは誰にでもある。が、2本は取られたくなかっただろう。団体戦で2本取られたら「いない方がまし」なんだそうである。負けるにしても1本で堪えるか、もしくはドローで終わるのが大事だと聞く(大将以外。大将は負けちゃダメ。)。初戦が延長戦でスタミナもしくは集中力が切れたか。中学生として公式戦を引退してから1年、感染症のせいで今回が高校生初の公式戦となり、試合勘はまだ養われていないだろうと思う。

なにも言わないが、昨年全国大会にまで出ている者として、この戦果は苦しいだろう。こういうとき言葉は無駄であるから、会って顔を見てハグをして、美味しいものを一緒に食べるしかない。母さんが帰るまで待っていておくれ。

 

さて昨日は都内某所(秘密の場所、と言われているところ)で、動画収録だった。
O先生とのライブセッションは常にぶっつけ本番である。「打ち合わせ」と称して頻繁にオンラインで話をしているくせに、話し合ったとおりに収録をしたことなどない。二人とも打ち合わせがどんな結論になったかすら覚えていないのである。「えーっと、どうすることにしてたんだっけ?」というやり取りが毎回繰り返され、「ま、いっか」ということになり、「とりあえずやってみるか」で本番である。

なので「今日は何分くらいの動画になりますか?」と聞かれても「わかりません」と答えるしかない。編集担当のO友くん、ご苦労おかけしてごめんなさい、またお菓子を買っていくから許してね。


生徒さんに対する私の指導も、たぶんO先生の施術も、常にライブでぶっつけ本番である。
今日この日(この天気、この気温、この場所)のあなたの顔を見る前に、教師が内容の組み立てをしているということは、例えば私が外科医だったら「よし、今日は手術の気分だ。ザクッといっとくか。」と朝コーヒーを飲みながら考えて、クライエントさんに会った瞬間に「今日は手術ですからね。もう決まってますので。」と言ってしまうようなものである、とこれは師匠が言った(私が言ったのではないが、激しく同意する。)。

動画なので、見ている人は、今はいない。いつか誰かが見てくれることを思いながらやるセッションは不思議である。Official髭男dismの名曲「宿命」の歌詞のように、「僕らの想い、届け!」と祈りながら、信じるしかない。私たちのやっていることの(今できうる限りの)質や、いつか見てくれる人が楽になった日のことを。

この秘密の場所での収録は、とてもリラックスして行える。最近気づいたのだが、私は性格上も、長じてから選択してきた学びや訓練によっても、アンテナを張りまくって生きているようだ。場を同じくする人の、痒いところに手が届くように在りたいと、無意識でいつも思っている気がする。それは教師や茶人として絶対に必要な感性なのだが、ときに私を苦しめることがあることがわかってきた。

 

先生と二人きりになるお稽古(お茶やお箏など)は、自分の技量を推し量られたりする不安や恐怖とは無縁であり、「何を目指してどのように振る舞うといいのか」が明確である。愛のある「こうしてごらんなさい」という命令が、優しい空気として漂っているのを感じる。だから存分にものを行うことができる。先生が見守って下さるなかで、好きなようにやって失敗していいし、そうしながら技量を磨いていくことが許されている。

この秘密の場所の収録は、私にとってはそんな安全な場であると感じる。誰かが優しく見てくれているなかで、存分に遊べと言われているように。

 

誰にでもこういう場があって欲しいと思い、私も誰かを見守る存在でありたいと思う。
ときに先生と呼ばれながら生きるなか、自分自身がこういう経験をしていることは貴重である。
だから私は、毎月秘密の場所に通うことと、そこで行われることを、心待ちにしている。