蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№289 影の仕事

明日は初釜である。
初釜というのは、今年の稽古始だと思って頂けばよい。
先生が今年初めて、弟子のために釜を掛け、茶を点てて下さる日である。

普段の稽古で、先生の点てて下さった茶を頂く機会はない。
1年で唯一、この日だけである。なので、弟子にとっては特別な日だ。

亭主との問答を担当する筆頭の客を「正客(しょうきゃく)」というが、このお役目は大変に緊張をするもの。私も数年前に、一度経験をさせて頂いた。

何しろ他の客は、聞きたいことがあっても、直接聞くことが許されていない。
そこのところをよく正客は弁えて、掛け軸のこと、花のこと、道具のこと、お茶のこと、お菓子のことなどなどについてお尋ねしつつ、亭主や他のお客と阿吽の呼吸で、その日のお席を盛り上げ、取り仕切っていかねばならない。

とはいえ、そんな力量がすぐにつくものではないので、こういった機会を通じて練習をさせて頂くということ。明日の正客さんは、今頃ドキドキしておられることだろう。

さて、通常であれば客として招かれ、先生がお手ずから点てて下さったお茶を頂くのだが、私は昨年から、お願いして裏方での仕事を手伝わせて頂いている。
表の華やかなお席でお茶を頂いているだけでは、先生のお心づくしは理解しきれないのだということが、この”影の仕事”を通じて理解できた。

1年で唯一の特別な席なので、先生も心を込めて大切な道具を披露して下さる。
影の仕事をお手伝いさせて頂くということは、こういった「お宝」を扱うということでもある。万が一何かがあっても、とても弁償などできるものではないから、一つひとつの所作を丁寧に、余裕を持って行うということが大切だ。

昨日のブログで、「動作を流して行わない」ということについて書いたが、こういった影の仕事の経験が、その気付きを得るために寄与してくれているとつくづく思う。

昨年、先生はお気遣い下さって、お席の最後に「裏方で励んでくれた」と私の紹介をして下さったが、本来のお席であればこういうことは無い。
芸にまつわること以外でも、影で懸命に取り組みつつ決して誰にも気付かれず、しかし誰かの幸福や満足の役に立てるような、そんな仕事がしたいものだと思う。