蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№269

こんな夢を見た。
3本立てのうち1つ。

自宅から散歩に出た。(周囲の光景は境港に似ている)
てくてくと歩いていくと、自宅周辺であるのにあることを知らなかったお店などがたくさんあることを知った。最寄り駅の向こうには運河があり、古いフェリーを利用したカフェなどあり、賑わっている。(日記には地図も記載アリ)

運河沿いの道をのんびりと歩いていくと、フェリーも行き来する港に着いた。
そこでバスに乗ってさらに先に行こうとすると、午後からは雨が強まり、バス、電車、フェリーもすべて運休することになるだろうとのアナウンスが流れ始めた。

午後には娘が早めに帰宅することを思い出し、帰途に就くことにする。
駅に知人Yさんの奥さんがいて、一緒に帰ろうと声を掛けるとひどく遠慮されるが、天候が心配だからと説得して連れて帰ることにする。なぜかヨガマットを2本持っていたのを、駅に忘れていたとのことで、1本だけ駅員さんが届けてくれる。残り1本は、後日取りに来ることを約束し、預かってもらうことにした。

不思議な三輪車を借りることができたので、前にある巨大なかごに連れのみんなを乗せて、キコキコと漕いで帰り始めた。

…………………

今日は少し哀しい出来事があった。最近哀しいことが多い。
こうやってブログというツールを使って世界に対して声を発する、というのは世界を多様に捉えるたくさんの人たちに対して、自分の頭の中身をさらけ出す行為だが、「今こうしている自分の心を、頭の中で再構築して」取り出している訳であって、教室などで目の前の方と対話し合うのとは違う。

こうやって書いている文章で誰かが誤解をしたり、腹を立てたりしていると思うと(逆もあるだろうが)しょんぼりしてしまうが、これが実践ということなのだろうな。

私はここで「何がいいとか悪いとか」、そんなことは決して言わない。
物事には両面があり、絶対的なことはないということ以外の真理はないと思う。
インテグラル理論というのは”何か別の新しい習い事”ではなく、「すべての視点に一理ある」とする多角的な視点そのものなのだから。

ただ、現時点での、自分の意見の表明も行っていく。
批判的に世界を見て、今の立ち位置での一つの判断を持たなければ、改善もしていかれないから。
そして10年の間に何度も、後々「自分はバカだったわ」と思えるような生き方をしていきたい。