蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№264 点、線、それから

今朝の夢。

とある実在する会の講師だという実在しないおじさん(推定60代後半)が、東京で行われた講習会で、「あなたがうまくいかないのは、私どものいうことを真剣に受け容れて実践しないからです」と言って、私のおでこを小突いた。

そこで私は激高して、そのおじさんの靴を両方ともむしり取るように奪って、靴のかかとの部分でおじさんの頭を叩き、「そんなことがある訳なかろうが!」と叫びつつ怒り狂う。一緒にいた友人Sを始め周囲にいた人たちが、私を止めに入る。
鼻息荒くその場に立ち尽くす私は、「やはりこれ以上、この会との縁を続けることは無理があるかもしれない」と考えた。

その瞬間、階下で「ありがとうございました~」という娘の声が聴こえ、今日は某校の合否がわかる日だったことを思い出し、強引に覚醒状態に引き戻され心拍数が上がるのを感じた。二階に上がってくる娘の足音を聞きながら、どういう反応で応えるか覚悟を決めてみたが、単に昨日配送を注文した物が届いただけだった。

この夢は、現在の自分の懸念を如実に表している。
何年も継続する学びをしていれば、人は成長して当たり前(のはず)だ。(理想としては)
成長して世界観が変化した者を相手に、組織側や講師側も進化できなければ、学ぶものはその箱というか場自体を変える(移る)必要があるだろう。
そこを、このおじさんのように問題を単純化して、学ぶ者の側に責任転嫁しながらお金をむしり取る組織は多いんだろうなあ。私はこれまで「誰かから何かを学びたい」という欲が大きかったが、そこを卒業する時が来ているのかもしれない。
おじさんが何の象徴だったかは、じきに分かることになるだろう。

さて。
昨日ふと思いついたのだが、ヨーガも、発達と同じく、点から線へと変わっていくようにその実践が変化していくんだよ、と説明したら分かりやすいのかもしれない。

点がポーズ(姿勢)だとしたら、呼吸が加わって線になる。
そこに意識化と客観視が組み合わさって面になる。
面での実践ができると、療法としてかなりの効果が出ることを期待できる。

次元の違うそれぞれの取り組みに対して、この面を活用できれば立体になる。
立体になれば、調子がよくなるということ以上の「発達」という変化を実感するようになるかもしれない。

このことは、もっと詳しく、プロジェクト・チームの秘密のブログで文章化してみようと思う。

今朝の決意。自分の夢を題材に、「夢十夜」のような文章を書いてみよう。
夢をここに書き連ねることに抵抗があったが、ようやく「なんか文句あるか」気分になってきた。

なぜ先生は、ブログで夢について書いてみたら、と言って下さったのか。
そのことについて先日質問をしてみたけれど、自分でやってみないとわからないのかも。実際やってみてこう感じました、ということを通じて、自分のした質問も超越できるかもしれない。