蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№241 根っこ 

一昨日、ブログを通信手段として活用したところ、無事受信して頂けたことが分かった。
こういうやり取りも風情があっていいものだ。なんだか現代の狼煙か糸電話か、という感じ。こういうものは頻繁に使わないから良い。

先生は旅行先のヴェネチアで大変危ない目にお遭いになったそうだ。
無事に脱出出来て本当に良かった。東京での懇親会の時には、ご無事であることが確認できたとのことで、皆で「祝脱出!」と乾杯したことを申し添えておく。

先生は、「水没したヴェネチアの街を海上自衛隊の訓練のように渡っていかれた」とのことで、さぞや恐ろしい思いをなさったのではないかと思う。
1982年7月に起きた長崎大水害で、当時小学生だった私も、父や消防団の人の手を借りながら避難したことを思い出す。人生で初めて「祈る」ということをした日だった。

でもですね、訓練って危なくないんです。
危なかったらダメ!絶対。それは訓練じゃない。実働と訓練は違う。
だから先生の避難体験は、言わば「実戦」であったと思う。

先日、Eディーさんに「実弾撃ったことあるの?」と聞かれたが、撃ったことはもちろんある。訓練でなら。
厳重に守られた場で、十分安全に配慮して撃ったことしかない。
呼吸を静かに整える余裕のあるような、そんな場で撃っていた。

20代半ばの頃、「航空教育隊女性自衛官教育大隊」というところで、数か月間勤務したことがある。
職務内容は、新採用隊員の基礎教育訓練教官。12名の学生のお姉さん(鬼?教官)。
ここで自衛官としての基礎的な訓練を行ってから、各地の部隊や職種別の訓練を受ける学校へ飛び立っていく。

自衛官になるといっても、昨日まで高校生だったような子ばかりで、まず走ることや、腕立て伏せみたいなことからぼちぼち始まっていく。規則に従った生活を送り、号令に対して反射的に動けるようになるまで、集団生活という負荷の中で練習していく。

ここは訓練をするところ。絶対にあってはいけないのは事故や怪我。
どんなに大声で怒鳴って見せても、注意深く学生の様子を見守り、ギリギリのところで踏みとどまらせ、「もうダメだな」と思えば銃を取り上げて持ってやる(注:自分の銃も持っている。重量は約4300g)。
雨の中で泥水の中に伏せさせるのも、単に精神的な負荷を掛けるだけが目的でなく、雨で体が滑って動作がしやすく、怪我が防止できるからだ。

教官は、自分自身がどんなにしんどくても「はー、しんど…」というような素振りは見せない(注:しんどいです)。
どんな学生よりも早く走り、涼しい顔をして見せる(注:学生の方が若いです)。
だってリーダーが弱れば、グループのみんなが不安になるから。
不安になったら、限界なんて超えられないから。

だから、訓練で隊員を殺した「八甲田山雪中行軍」とか、すごく許せない。
私も死なない。仲間も死なせない。でも国民のためなら危険を省みない、と約束をして過ごした年月が、自分の根っこにある。
これは私という小さな自我にとって、とても大事な根っこ。