蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№512 遠いところにいるひと

白銀の街がきらめく朝が来て君が何処かにいるだけでいい  山田水玉

 

 

 

12月16日

予定を早めて帰宅することになった。新神戸から新幹線に乗る。
九州新幹線の“さくら”という列車が大好き。広島出張時に乗った時から大ファンである。さくらは、伯備線特急やくものグリーン車のような座席が、スタンダードな指定席。東京へ向かうときも、新大阪までさくらに乗りたいくらい。でもそれをするとヤバい道に足を踏み入れちゃうことになりそうだから、やらない。私は快適さを愛しているだけで、テツじゃないから。

 

神戸から帰宅するときは定番の“おみや”がある。
神戸一貫楼のぶたまんである。 しかし今日は出発時間を早めたために、残念ながらお店がまだ開いていなかった。きっとJK剣士が泣いて哀しむだろう…すまないことをした。代わりにハローキティ神戸牛カレー(レトルト)を買ってみた。あとの埋め合わせは萬龍軒の酢豚定食で。

 

 

ほんとうは今日、大阪で人に会う予定があったのだが、感染症のこともあり見合わせることになった。お目にかかることでたくさんの元気を頂ける方なので、たぶんお互いとても楽しみにしていたのだが、この状況では仕様がない。しかしつくづく寂しい。しょんぼりモードで、サンドイッチを車内でやけ食いである。

 

全国展開の組織に長く勤めていたので、遠距離恋愛的なことも多少は経験した。若かりし頃の懐かしい思い出である。
拠点を置く基地から遠く離れた教育機関への入校や出向などがあるため、かなりの頻度で各地を転々とした。例えば私の場合、岐阜の部隊に所属しつつ、職域の専門教育は福岡県の芦屋基地、隊員としての基礎教育は山口県防府南基地、また新採用隊員募集業務支援のため陸上自衛隊大津駐屯地で起居しつつ大津市内の事務所に臨時勤務、など。

飛行機を飛ばすチームと、戦車で大砲をぶっ放すチームは全くの別世界で言葉も通じないことを、臨時勤務の際に学んだ。
F-15イーグルやF-4ファントムを「日本語で説明せい!」と陸自の先輩に叱られたのだが、Fって言えば主力戦闘機、支援戦闘機ならSF。Cなら輸送機。Tは練習機で、Rは救難機に決まってるでしょ?!常識でしょう?、とこちらは思うが通用しない。だってあちらは64式小銃とか○○式戦車とか、元号と漢字の世界。なんだかなあ。
自衛隊」という枠は深くて広いことを知り、カルチャーショックを受けた。

この他にも、私自身経験はないが、三年に一度茨城県百里基地で行われる「航空観閲式」の要員に選ばれた場合は関東の基地へ、日本武道館で年に1回行われる「自衛隊音楽まつり」の要員に命じられたら埼玉の基地へ、というように皆数か月の単位で転々としている。

そのため、よく後輩男子から、彼女はできてもすぐフラれるという嘆きを聞かされていた。女性隊員の場合は、部内でカップルになることが多いのでお互い理解があるし、女性自衛官は売り手市場だから話題は別れ話の方が多かった(離婚率も高いと思う)。男性は民間の人とおつきあいをすることが多いため、なぜそんなに頻繁に会えない状況になるのかを理解してもらえないわけだ。

数カ月ぶりにようやく帰ってきたのに、また数カ月後に3カ月間臨時勤務しろと言われても、独身隊員なら基本的に断ることはできない。彼女に「ごめん、俺、こんど支援班長することになって、防府で教官してくるから。たったの4か月だから。」といっても、彼女からすればいったいなんのこっちゃであろう。また、クリスマスなどに泊まりの勤務で外出禁止だったら、若い娘はおかんむりなのではないだろうか。
みな、ほんとうに気の毒であった。だから、自衛官は看護婦さんと結婚する男性が多い。厳しい勤務形態を理解しあえるからだろう。

 

女性自衛官が隊員とカップルになることを選択するのは、一番にはこの理解という点で民間男性とはわかりあえない部分が多いからだと思う。なぜ最近はそんなに疲れているのかを問われた時に、「うん。毎日午前中ずーっと走ってるんだよね(持続走強化訓練)」ということならばまだしも、「詳しく話せないんだけど、職場で一晩中過ごさないといけなくて…(演習)」とかいったりしたら浮気でも疑われてしまうではないか。演習に関わるような事項は、民間人に話すことがNGなので尚更アヤシまれる可能性大である。

「お疲れ様。よくわからないけど君のこと信じてるよ。ほんとうに大変だね、マッサージしてあげよう。」と言ってくれるO先生のような男は、たぶんこの世にほとんどいないのである。
先日伺ったO先生の名言は「癒しに徹します」というものだったが、クライエントさんに向けられたその言葉を聞いた瞬間、私も先生の足元に身を投げ出しそうになった。さすがホスト座りがスタンダードなだけある。姿勢は心を作るからね。
私もトリガラ改造計画の相談ばかりじゃなくて、たまには施術して欲しいよ。

 

 

さて、遠距離恋愛である。
昨日は休養日になったのでぼんやりYouTubeで映画などを見ていたのだが、かの有名なJRのCMがまとめて紹介されていた。必ず今夜なら言えそうな気がしたのに「きっと君はこない」という大変有名なあの曲とともに始まり、「JR東海」という言葉で〆られるクリスマスのアレである。


このご時世で帰省を自粛したり、禁止になったりということが生じていると聞く。
ここにいったい、どんな恋愛の悲喜こもごもが起きているのであろうか。JRの懐かしいCMを見ながら目頭が熱くなってしまった。ピンで仕事をしている私に自粛という言葉は縁がないが、愛しい人に逢いたくて逢えない生徒さんがおられたら、恋人の代わりに長く熱いハグをしてあげちゃうと思う。

帰省といえば、地元・長崎に帰るため、梅田の深夜バス乗り場で当時の恋人に見送ってもらい泣きの涙で手を振ったくせに、バスが出た直後にはケロっとして551蓬莱のぶたまんを頬張っていた。翌朝胸焼けがして大変だったな。21歳頃のほろ苦い思い出である。昇任できずに退職してしまった彼は、いったい今どこで何をしているんだろうねえ。



JRのCMの他にサントリーのCMも見た。
ウィスキーの入ったグラス。氷が美しく音を立てるところから始まり「恋は、遠い日の花火ではない。」という言葉で〆られる、長塚京三と田中裕子出演のCM。1994年だという。当時の私は入隊3年目、基地内の独身寮住まい。

「課長の背中見るの、好きなんです」
と可愛い女性の部下が言い、長塚京三が「やめろよ」と言いつつ実は内心喜んでいる。
こういう言いかたをすると身も蓋もないが、20代前半の自分に40代の上司はどのように見えていたであろうかということを考えると、「そりゃ無いな…」と思うのである。たまたま私の周囲に長塚京三ばりの素敵な方がいなかっただけ、ということは十分に考えられるし、当のこちらも食い気ばかりで色気が皆無だったこともあるが。なんと味気のない20代だったのだろう。

当時推定40代だった上司に「かよこ、かよこ」と呼ばれつつ可愛がられ、さんざん美味しいものを食べさせてもらった。今になってよく考えると、同じ部署に勤務していた同期は呼ばれていなかった。なぜだろうか。彼女に未だに嫌われているらしいが、もしかして食べ物の恨みなのかもしれない。悪いことをした。

「お前んごたる貧乏人は、こげんもんはまだ食べたことがなかやろ」と、ほややあん肝を食べさせてもらい、ほやは無理だったがあん肝は痺れるほど美味しくて絶句して以来、今でもあん肝が大好きである。そしてあん肝を食べる度に、それを初めて食べさせてくれた同じ長崎出身の山崎准尉のことを思い出す。

でも40代の上司って、当時の私からするとおじいさんだったよ?
背中を見て胸がきゅーんとするような思いもなく、色っぽいこともまったくなかった。内緒で呼ばれたこともない。
スマホもない時代、当直室に電話があるということは先方が誰かが確認されているということ(女性独身寮では、名を名乗らない人からの電話は取り次がなかった)。当直に取り次いでもらった電話で「今すぐ○○という店に来い!」と呼び出され、「庶務課の○○准尉と飲んできます!」と報告、自転車をかっ飛ばして往復し、21時半の点呼までには戻るというシンデレラ以上の品行方正さだった。今はもっとみんな自由なんだろうな。

 

今、当時の上司と同じような年齢になって、自分や規夫師匠、そしていつも一緒に飲んでいる方々のことを「全然おじいさんでもおばあさんでもないやん!」と思い、当時の自分の弁え違いを厳しく指導してやりたくなるのだが…

実のところ、二十歳の長女やJK剣士の目にはいったいどんな風に見えているのであろうか。絶対に聞きたくない。