蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№445 それきくのやめて

前職のことを知った人に、ほぼ必ずされる質問ベスト3がある。

1.飛行機乗ってたの?
2.実弾撃ったことある?
3.女性だから事務仕事だけだよね?

この質問を私にしようと思っていた方、もうやめて下さいね。ここで説明しますから。

まず1番。
航空自衛隊という組織は主に空で任務遂行するので(自衛隊法第3条)、具体的には航空機の運用が仕事。それに伴う多くの後方支援も含まれる。

その組織全体のわずか数%(何パーセントか具体的には知らないが、知っていても書けない)のみが、航空機を操縦できる人。それぐらい重みがあり、訓練は厳しく、頑張りだけでは何ともならない天性の世界で、だからこそウィングマーク(航空徽章)には価値がある。

こんなところでこんなふうにちゃらんぽらんしている人が、パイロットだったわけはないのである。
日本の皆さんは、高い技能を持つ軍用機のパイロットをもっとリスペクトしてあげて下さい。

ああ、でも「飛行機乗ってた?」を広く捉えると、乗ってました。たくさん乗りました。
当時の所属部隊では、次期支援戦闘機FS-X(現在のF-2)運用前の試験を行っていた。JTOと言われる技術指令書を作成する作業を、同じ基地にある開発集団がやっていて、そこで飛ばす飛行機の部品等支援(補給という)のため、色んなところに出張に行く羽目になった。ジャンケンで負けた人が泣く泣く行く、というくらい頻繁に出張があった。
部品のために輸送機が飛ぶ場合もあり、それに乗って色んな所へ飛んだ。
青森まで、空を飛ぶ爆発する物体(ミ〇イル)を借りに行ったとき、国産輸送機C-1のなかでそれとひざを突き合わせているのは複雑な気分だったな。

2番、そして3番について。
自衛官は「服務の宣誓」というものに署名して、正式に自衛官になる。
その文言の全文はこちらでどうぞ →

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E5%8B%99%E3%81%AE%E5%AE%A3%E8%AA%93#%E9%9A%8A%E5%93%A1

「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」ことを誓えなかったら、翌朝ひっそりと基地から去っていき、準備されていたネームプレート等は静かに剥がされ、初めからそんな人はいなかったかのように物事は進んでいく。

18歳の4月、着隊日の夜にこの文言が印刷された用紙を前に怖ろしい気持ちになったことを今も覚えている。教官らから特に説明などない。自分が教官をした時もそうだった。「よく読んで、考えてから署名しなさい。強要はしない。」と、ただそれだけである。

受け止め方は人それぞれであると思う。何とも思わずサラッと署名できる人もいると思う。でも自分は違った。
安定した公務員のような気持ちで(あたかも市役所や郵便局の職員と同じように?)この職業を捉えているひとってどうなの、と親の態度も含めて強い疑念を感じた。自衛官になることに強く反対し、「人生を諦めるな!!」と真剣に怒ってくれた高校担任の猿渡先生の顔を思い出したりした。

こんな思いをかつてもってこの紙に名前を書いて、自分はここにいる。だから、この紙に同じように複雑な思いで署名をする学生や後輩を守ってやりたいし、せめてわたしたちの在職中にこの国が平和であってくれと、当時思っていた。

自衛官が実弾撃つか撃たないか、女性自衛官が事務しかしないか、という質問がそもそも出てしまう認識を改めてもらえるといいなと思って、この文章を書いている。

自衛官の仕事は二層構造になっていて、土台が「基礎訓練」(射撃とか匍匐前進とか教練とか、みんなが想像する自衛官の仕事そのもの)、上にそれぞれの専門職種が乗っている。輸送、整備、管制、武器弾薬、補給など具体的な仕事を普段はやっている。だからいつもは事務作業をやっている人も、音楽隊で楽器を吹くのが仕事の人も、毎年ちゃんと所定の訓練を行っている。

実弾も撃ったし、髪を短くして泥水の中を這いまわった。真夜中に銃を持って歩哨に立った。弾は装填していなくても、人に銃口を向けて誰何する(=「だれか?!」と聞く行為。三回聞いて返事しなかったら敵とみなし攻撃対象となる)訓練もした。いつ来るかわからない”とき”のために、必死に長距離を走って体力錬成した。

だから私は今でもキャンプは嫌い。モデルガンなども大嫌い。長い距離を走ることも嫌い。

実弾射撃は、下手すると鎖骨を折るほどの衝撃がある。
人を殺傷することのできる重み。
破傷風の予防接種を打ちながら、泥水に下着まで浸しているうら若き女性隊員たちが今もいる。これは、ゲームではない。

一緒にしないでよ、サバイバルゲームとかと。マニアの目で、羨ましそうに見ないで。

民間にある私たちは、せめて、この国の政治を注視し続ける義務がある。
彼らのやっていることが、最後までただの訓練であり続けられるように。

無責任になってはいけない。