蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№199 一本の管として

今月も無事、神戸にやってくることができた。
これで今週末の音声録音は、またヘンテコリンな訛りが入ってしまうかもしれない。
居住地を転々としてきたせいか、その土地の発音にすぐ影響されてしまう。

今日は水曜日。残念ながら大好きな鉄板焼き食堂が定休日だった。
仕様が無いので、宿の正面にあるスーパーに行ってみたところ、「スジ丼」なるものを発見。ご当地メニューですね!
早速頂いてみた。牛スジの煮込みが卵とじになって、ご飯に乗っている、親子丼に似た食べ物。
…胃腸の調子が万全な時にもう一度挑戦してみたい。

さて、今朝は不思議な夢を長々と見た。
見知らぬ街を母と二人で歩き回ったり、ウオータースライダーで何度も滑り降りたりした断片だけを記憶している。
起床前に胸が締め付けられるように苦しくなったので、それを意識化するために他の細部は飛んでしまったのだった。

ストレスがあるとこういう痛みが起きることがあるが、痛みを感じながら、「最近、そんなストレスを感じたかなあ」と考えてみる。思い当たるところがない。
以前、鍼灸の先生に、「もしこういう痛みが起きた時に病院に行ったら、狭心症とか診断が付いたりするのか」と尋ねたところ「それはない」とのお答えだった。
痛みは、時報が聴こえてくるとじきに収まった。
痛みが引いた後で、「生きている」ということに対する啓示のようなもの(というと大袈裟に聞こえるが)がやってきた。これを感じるための痛みだったのかなあと、思ってみたりのだった。


スワミ・ヴィヴェーカナンダ大師の「ラージャ・ヨーガ」には、

 ”組織が次第に精妙になるにつれて、はじめのうちは少しでもおきてに外れたことをするとバランスを失うということを知るでしょう”

とある。
肉体に対する完全な制御を手に入れると、何を食べてもヘッチャラだそうだ。

ちなみにこの本は、ヨーガ療法士養成講座(前期)の副読本である。
当時はさっぱり意味が分からなかったのだが、今読むとしみじみ感動する。
若きヴィヴェーカナンダ大師の明晰さ。生の講演を聴いてみたかったなあ。

”人間一人ひとりは人類の背後によこたわる知識と力の無限の大海に通じる一本の管に他ならないのだ、と断言する。”

智慧を前にして、自分はストローみたいなものに過ぎないと思っていたが、やっぱりそうだったか。安心してストローとしての生を全うできそうだな。


ラージャ・ヨーガ

ラージャ・ヨーガ