蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№190 新しい名前

昨日の朝から金木犀が薫るようになった。
今年は、秋が早くやってきた感覚がある。

季節の移り変わりは毎年違って、その時期の果実の成り具合などで気候を予想する、農家さんたちのお言葉には信憑性が高いような気がしている。
ちなみに今年はスイカがなり年だったようで、とても美味しかった。関連性は分からないが、この冬は雪が多いだろうと聞く。

さて、この週末は邦楽三昧だった。

28日には、美保神社での竜馬四重奏の演奏と、花柳琴臣さんの舞を堪能した。
昨日は、師の出演される「邦楽と舞踊の会」(市の文化祭)を拝聴。

都会の芸は洗練されている。これはもう間違いない。
なので、住んでいる山陰以外の演奏会に出るようにと厳しく言われてきたのだが、当然なんにでも出られるわけではないので、学んでいる流儀の演奏会で、師範資格がない者でも参加させてもらえる「育成曲」と呼ばれる演目に参加してきた。

お客様から何千円も頂く会に、「名取り」ではない者が出るのは無礼であるとのお考えであろうと思う。内輪の発表会ではないのだから。

この夏に試験を受けて、この度無事にお名前を頂いた。
菊妙晶(きくみょうしょう) 佳代子 という。

「菊」は流儀の皆が頂戴する一字。
「晶」はお師匠さまから頂いた一字。一緒に試験を受けた姉妹弟子も、同じ一字を頂いた。
「妙」が自分が希望した一字だが、これはお茶名と同じとなった。
茶道の入門時にお世話になったお師匠様の名であり、「老子」から取った字でもある。

<玄のまた玄、衆妙の門>とあるように、存在の根源にある幽遠にして神秘的なものをあらわす語とされている「妙」。生命原理であるアートマンブラフマンを示しているのでは、と思っている。

とにかく、とても贅沢な名前となった。
ヨーガの名前を頂いた時に、名前は誓いなのかなとも思った。特にこうして、後天的に頂戴する名前ならば尚更。
「一生かけて意味を考え抜くように」と言われた瑜伽名と同じように、それぞれの流儀での名前についても、下さった先生方のお心を大事に、考え抜いていきたい。

昨日の演奏会は仕事の都合で参加を断念したのだが、来春3月の演奏会に初めてこの名前で出演する。恥ずかしくないように、しっかりと稽古しなければ。