蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№191 「へー、そうなんだ」でいいんじゃないか

秋になったと思ったら、昨日から蒸し暑く過ごしにくい。
汗を流しながら三絃を稽古した。

さて、今日は親バカ全開の日。

我が家の剣士が愛読している雑誌に、8月の大会記事が載っていた。
「中学の大会なんて載らないよ」と娘は言っていたが、ちゃんと載っていた。
しかも各県別のページまである。
ありがとう!「剣道時代」



さて、ヤギになったトーマス君と触れ合ってから、人の意思のことばかり考えている。

ヨーガ療法では、障害の原因を「理知鞘」というところと考えることが多い。
ここは物事の価値判断をするところで、考え違い、心得違いがあるために行動を謝り、故に病気等の障害が起きる、と考えるのだ。

私もこれまで、理智、もしくは人間存在そのものにかかわる歓喜鞘の障害と見立てて指導を行ってきたが、実はちゃんと分かってても信じられない意思の問題も結構あるんじゃないの?と、トーマス君のお蔭で思えたのだ。

理智は知恵の部分でもある。知識に多寡はあるが、たくさん知っているから健やか、ということにはならない。むしろ知っているがゆえに生じる混乱もあると思う。
信じるところを「ここ」と定めて、あとは素直に生きられた方がいいかもしれない。

私はかつて「知らない」ことが怖かった。
知り尽くすことなんてできないのに、もし知り尽くすことができたとしても、きっとそこには混乱か悩みしかないのに、それが分からなかった。智慧や知識が、何かいいもののように思っていた。(誤った上昇志向)

今は、教えに触れられるか否かもご縁だと考えている。
分からないことを分からないままに、信じるところでまっすぐ生きていけば良いのではないかと思う。
転んだらその時に、改めて考えればよい。

環境が与えてくるものを「うん、わかった」と受け入れて生きること。難しく考えない。人生をこねくり回さない(水木しげる先生の名言)。
その時々で、淡々と、だったり、渋々だったりするだろうが。

今日は「三祖信心銘」を改めて読み返して、しみじみ感動した。

…………………

大いなる道は難しくない
選り好みをせず
愛することも温むこともなければ
すべてははっきりと明らかになる…


剣道時代 2019年 11 月号 [雑誌]

剣道時代 2019年 11 月号 [雑誌]

 
 

 

 

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