蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№100 自分の中の光

祝・100投稿!

現在、「瞑想講座」と題して、ヨーガに関連して、生きるに当たり大切だと思うことについての講義を月1度のペースで行っている。
明日のテーマは「シャドウ・ワーク」で、こういうことは初めから取り上げるのはなかなか難しいので、2年目に入ってようやくテーマに据えることができた。

講義を聴くと「なるほどね~」と分かったような気になる。これは私も同じ。
そこに生きることができるかどうかはまた別のはなしであって、特にこの「影」については難しいように思う。何と言っても、人のことを悪く言ったり、権威を崇めたりする方が簡単だからだ。

「あの人の嫌いなところが私の中にある」
「あの素晴らしい人と同じ性質が、私の中にもある」
こういったことを自分に引き戻すのは容易な作業ではないが、影を維持し続けるのも大変な労力を要する上、そこにエネルギーが使われているせいで他の必要な活動に力が回せなくなっている。

一般的なクラスでも、なるべく色々なお話をさせて頂いているのだが、しばらくお付き合いをさせて頂くと、「ムカッとくることが減った」「嫌いだった人があまり気にならなくなった」という言葉を聴かせて頂くことがある。
これこそヨーガの本当の効果だと思う。

上手にポーズを取れるのに、嫌いな人がたくさんいるようでは(そんなヨーギがいるとは思いたくないが)、ヨーガをやっている甲斐が無いというものだから。

器用に生きられない人はたくさんおられると思うが、そのことに自信を持って欲しい。変に器用に物事に適応すると、自分の本心が抑圧されて、暗い影が増産されてしまうから。ヨーガ教室には、良かれと思って必死に耐えたのに、結局「過剰適応」を起こして心身の不調を訴える方がたくさん来られる。

なので、私自身が大切にしていることは、経験したことを十分に味わいきること。

特に、哀しいこと・辛いこと・混乱すること。
あとは、すごく嬉しかったこと。

どんなに時間が掛かっても、その体験を消化して、外部に対する思いを自分に引き戻すことで、これ以上影を作らないよう気をつけている。
とことん感じ切ることで消化ができたら、いつまでもそのことを感情的に思い返したりすることは無くなる。その「時」には延々と取り組むので我ながら「しつこい」面もあるけれども、例えば後に、集中内感のような負荷の高い修行に入ったときにも、淡々とその体験と、そこから学んだことを思い出せるように。
改めてきれいに整えてから、心素に収めていきたい。

人ひとりひとりの中には、内側に尊いものが存在していると思っている。
この内なる権威は、自らの進む道を明確に持ち、それを示している。
でも人は、自身の内側に湧きおこるものを、信頼することができないことが多い。

瞑想という行為は、この内側の灯台の光の指し示す方向に、恐怖を乗り越えて向かうことを後押ししてくれる。どうしてもこの光に従って、大きな自己というものを生きたいという気持ちを確かにしてくれる。

この世に生きる人のひとりでも多くが、この自分自身のなかの権威を見出すことができますように。
昨今流行りのマインドフルネスという入り口から、ここまで進んでくれる人が一人でも多くいて下さいますように。



今回の講義資料作成に使用した参考文献を、以下に紹介しておきます。

実践インテグラル・ライフ―自己成長の設計図

実践インテグラル・ライフ―自己成長の設計図

 
「影」の心理学―なぜ善人が悪事を為すのか

「影」の心理学―なぜ善人が悪事を為すのか