蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№99 途方もない震動にも

先日、「マハーバーラタ」を題材とした瞑想会に参加した。
ちょうどその数日前に、研究総会でこれでもかと瞑想のエビデンスを聴いてきたところで、瞑想の肉体に与える効果が頭にもインプットされていたところ。

ヨーガを行じるからには「何々に効く」からやる訳ではないが、こうも色々聴かされると、見てきた脳画像やら何やらが潜在意識下で発火するような気がする。

生きていると起こる様々な事を静かに受け止めて生きられない自分が、どれほどの修行を積んだと言えるものかと落ち込んでいる今日この頃だったが、上手に体験を処理するふりをせず、不格好に、それでも存分に味わいつくしたつもり。諦めの悪いこのしつこさが自分のウリだと信じているから、タチが悪いかもしれない。私のシャドウ・ワークは、今はこんなやり方が精いっぱい。

そんな時に学ぶ「マハーバーラタ

蛇王アナンタと共にすべての神々が岸に集まり、乳海へ告げました。
「おお! 乳海よ。我々は甘露を得るためにお前を攪拌しようとして参ったのだ」
乳海は答えました。
「そうしなさい、皆様に甘露が得られるようにします。
海の水がマンダラ山によって攪拌されて起きる途方もない震動にも、私は耐えるでしょう。」

甘露を売るためには途方もない震動に耐えるしかないのか。
僅か20分の瞑想だったが、座している間絶え間なく涙が流れ、終わったときには心が洗われたようになっていた。
エビデンスなど示されなくても、瞑想の持つこの力を、私は信じている。

『旅先で泊めて欲しいと入った宿は、満室だという。
せめて少しの間ここで休ませて欲しいと頼む。
此処を出てある人に教えを乞いに行かねばならないから、ここで諦めたりするわけにはいかない。』
昨日はそんな夢を見た。さて、震動に耐え、どんな人に出会いに行くものか。