蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№80 映画を見て知りたくなる

約ひと月ぶりにお茶のお稽古に上がる。
子供たちが少しずつ成長しているので驚く。
小学校1,2年生と保育園児合わせて3名がいるお稽古場は本当に大変で、先生のご苦労を推察申し上げる。
この騒がしい場がなければ、お稽古ができない人がいる。
私もかつてそういう場で救われてきたので、新しい人が来られてもこの状況を受け入れて欲しいと願う。じきに成長して、静かに座っておられるようになるだろう。問題は体だけ大人の私たちの忍耐力なのだ。

映画「ウィンストン・チャーチル」を見たのち、チャーチル評伝を読んでいた。私の尺度では、見た後に本を読みたくなる映画は良い映画だ。知識はどんどん紐づいて広がっていくので、そのきっかけを与えてくれる媒体はとても有難い。
さて、先ごろ読んでいた場面では、ヒトラーの評価が異なることでイギリス政府の対応も定まらない。チャーチルは発刊された「わが闘争」をすぐに読了してヒトラーという人物の評価を定めたが、イギリス政府のほとんど誰もこの本を読んでいないのだ。
そういえば阿川弘之の「井上成美」にもこの書籍に関する場面があった。山本五十六や井上成美はドイツ語版でこの本を読んでいたので、日本人についてヒトラーが如何に書いているか知っているのだが、他の者は日本語版しか読んでいないので井上たちの言うことを受け入れられないのだ。しかしまだ読んでいるだけいいではないか。

ドイツとどう向き合うかとイギリス首脳部が悩んでいる場面に接して、”ヒトラーが台頭してきた当時の皆の理解や空気感とはどのようなものだったのだろう”と思った。なので、図書館で当時の空気感を理解できそうな書籍を探してみた。
ということで、今はチャーチル評伝を一時中断して アンドリュー・ナゴルスキ「ヒトラーランド -ナチの台頭を目撃した人々ー」で、当時ドイツに滞在していたアメリカ人の目から見たあの時代について知っている最中だ。

ヒトラーランド」あるいは「ナチランド」は、インターナショナル・ニューズ・サービスのピア・ハスが1934年頃に言い出した言葉。「ディズニーランド」のミッキーの代わりにヒトラーがいる、ホーンテッドマンションの代わりは収容所か、という想像をしてなんとも言えぬ気持になる。しかしこれは、”何があったか知っている”私たちの感覚に過ぎない。誰もあんなことになるなんて、少なくともそこにいたアメリカ人は思っていなかったのだ。

第1章に記されているエピソードが堪らない。
ミュンヘン駐在の領事代理R・マーフィーが、かつて部下であった名家出身のユダヤ人P・ドライに国外に逃亡しろと警告する。どこかほかの国で国務省関連の仕事を見つけてやるからとまで言って説得したが、「こんなのは一時的におかしくなっているだけだ。誇り高いドイツ人が、あんな田舎者に我慢していられるはずがない」と言い、ドライは国を離れなかった。外国人だからこそ感じることのできた空気があったのだろうか。1938年のことだという。ドライはダッハウ収容所で命を落とした。このような人がどれくらいいただろう。祖国の誇りを心の底から信じていたろうに。

どうしたらいいのだろう、こんな時に。
自分なら即座に判断して逃げられる?できないと思う。「ホテル・ルワンダ」を見た時にも感じた。おかしい、危ないと本能では感じていても行動に移すほどの確信が持てない時、どうするんだろう。行動できなかった時、自らの認知的不協和を緩和するためにどんな愚かなことでもしてしまうかもしれない。死んだほうがましだと容易に思ってしまうに違いない。

だから「過ちては改むるに憚ること勿れ」という言葉を大事にしていたい。
この感覚を研ぎ澄ますには見る目を養うことが大事かと思う。当時のドイツの状況は、今ぼんやりと平和な時代を生きている私には計り知れないのだけれど、真贋を見極める目を持つためには価値のあるものを見続けることが大事だ。物事を継続的に続けることは一般的に推奨されているが、価値のないものに10年以上も身を投じることは容易ではないように思うので、これも大事な価値判断のひとつかもしれない(但し一概には言えない)。

チャーチルは学生時代には成績優秀とは言えなかったようだが、成人してから相当の努力をして学んでいる。しっかりと本を読み、考えることも、物事を見定めるのに間違いなく役立つだろう。
自分の考えを確固として持っていることも大事だ。人に嫌われても貫けばよい。間違っていると思ったら改めればよい。学んでいれば自分の中の世界観は変化して当然なので、おかしな一貫性に捉われないように注意したいとも思う。

幸いなことに、広い世界観を持つ人たちに指導を受けることができた。今その教えが生きていると思う。苦しい時こそしっかりと本を読んで考えていたい。
自分の今の悩みなんてやっぱり森の子リス程度だと、いつも心のどこかで笑っていたい。