蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№81 トラウマについて復習

今日は某所の桜まつりにて、知人の造り酒屋さんで試飲販売のお手伝い。
お手伝いに行ったにもかかわらず、竜宮城にでも行ったようにたくさんのお土産を頂いて帰る。
和紙の職人さんも招かれて作品展示をしておられ、楽しい交流をさせて頂いた。

昨日今日と、文章を書くのが嫌だという思いが湧く。でも、書くことで力を貰うことができる。

『ストレスとトラウマに圧倒されるのを防ぐ最も強力な保護手段は社会的支援であることが分かっている。
 社会的支援というのは、単に他の人といっしょにいるのとは違う。肝心なのは「相互作用」であり、身の回りの人々に、本当に聞いてもらえている、目を向けてもらえていること、誰かの頭や心の中に自分がしっかり位置を占めていると感じられることだ。

私たちは体の芯で安全を感じる必要がある。

友情や愛は、複雑で、苦労しないと手に入らない能力だ。』
「体はトラウマを記録する」ベッセル・ヴァン・デア・コーク著 柴田裕之訳(紀伊国屋出版)

かつて非常に苦しい時があった。その時に助けてくれた人たちがいる。回復を遂げたと思い、その人から離れて自立しようとしているところだったが、どうやら道に迷ったようだ。ここで、元居たところにいったん帰ってみなくてはと思っている。

関係性を構築するのはとても難しい作業だ。
長い時間がかかる。理解が至らないうちに、自分の枠に当てはめて相手を変えようとしても無駄だ。「嫌だな」と思いながらそのままじっと一緒に居るのが大事だと思っている。その人を変えようともしないが、排除もしない。同時に自分のことも守る。心の中に柵を持っていても良いと思う。
ヨーガの戒律・Yamaの第一項は「非暴力」。1番目であると同時に最も重要な戒律。なぜそうなのかを、今になってようやく理解する。
「今がこうでなければいいのに」と思うことが即ち病である。これがヨーガの病気の概念。欲やこだわりを捨てて、信じるものに従えばよい。
こだわりを捨ててじっとそこにいる覚悟を持つには、そのことが自分にとって重要な意味を持つことが大事。一生を捧げ尽くす気持ちが持てないならば、走って逃げればよい。

最終的には自分に嘘をつかないことが最も大事だ。
『我々の苦しみの最大の源泉は、自分自身に語る嘘である。
自分自身の経験のあらゆる面に関して自分に正直であれ。
人は自分の知っていることを知り、感じているものを感じない限り、けっして良くなれない』(前掲書)

こうすると良いのに

どうしたい?
はまったく違う。

「信じているから思うように生きろ」と、背を押してくれる人たちの手の温かみも知っているから、今、聴こえてくるものに激しい違和感を覚えている。
なんだか支離滅裂な文章を書く私の心の中は、大嵐が吹いている。