蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№666 テレパシーで

汝に照らされて見つける吾のうすあおい卵の殻のようなもの  小林久美子

 

 

 

5月20日
明日は米子に帰らないけん… とっても楽しかったので、ションボリして帰り支度の手が滞りがちである。昨晩も今晩も、JK剣士はここに泊ってくれるのかと思いきや「さて、やることがあるけん帰るわ」と言ってサッサと自分のおうち(宿泊先)に帰って行ってしまった。サービス精神が足りないんじゃないの。

 

JK剣士不在にかこつけて東京で月の2/3を過ごすという暴挙に出てみたが、別にぜんぜん困らなかった。そして帰ってきたJK剣士に「ママはどれくらい米子におればいいかな」と訊いてみたところ「10日くらいでいいへん」と即答された。それ、あなたがいないときとおなじなんだけど?

それだけ家を空けて何がつらいかというと、あんことういろ(猫)と一緒に過ごせないことかな。猫には間違いなく飢えているJK剣士とハハ。先日原宿で猫カフェを発見して「行きたい~」と言っていたら、ぶーちーから「あそこの猫はね、触ったらダメらしいよ」と聞き意気消沈。猫なのに触ったらダメってどういうこと?猫はさわってなんぼですよ、ねえ。

触ったらダメな猫がいるカフェでなにするんやろうか。眺めながらお茶飲むの? このホテルのそばにキャバクラとかあるらしいけど、そういうお店もおなじような感じなのか。それってすごく切ないよね。「あー、触りたい。触らせてくれないかな」と思いながら誰かを見つめて飲食するなんて、逆に身体に悪い気がする。自分専用の恋人(猫)がいたらいいよね。犬でもうさぎでもいいです、お好みで。だからその点でいえば早く帰って、家に入って「おーい、どこにおる?帰ったでー」と叫びたい。そしたらごはん欲しさに現れて、足にあたたかい被毛を摺り寄せてにゃあにゃあ雄弁に語りかけてくるだろうから。


JK剣士が帰国して以来、なんだかんだでゆっくり本を読む暇がないのだが、昨日は少し余裕があった。4月末に上京してくるときから読んでいた「B面昭和史」をようやく読了。あとがきや巻末の対談などに目を通すと、現在の政治状況が昭和14年頃と酷似していると感じている人は私以外にも多くいることがわかった。そりゃそうだよな… 文庫化以来数年が経っているが、今のこのコロナ対策に関して著者の半藤さんはどのように感じておいでであろうか。

東京の人にはピンとは来ないかもしれないが、地方の感染症に対する反応は気味が悪い様相を呈している。いや、そりゃ都会の禁酒令とか灯火管制とかも異常ですが、地方には独特の怖さがあってこれが「隣組で監視体制を構築した」という話と被って現代の怪奇のようにも聴こえてくる。なんといっても一番怖いのは、創作ではなくて現実だから。

そういえば「もう東京にいた方がいいかも」と思ったのも、山陰における「東京に行っているひと」という扱いがなんとも苦しいような窮屈なような気がしたから、ということもあったんだった。明日からはまたその空気感のなかに戻っていく。今「帰りたくないなあ」と思いながらここにいるが、今度はどのように感じるだろうか。そして今後、私の行動はどのようになっていくだろうか。


同時進行読書中の著者・ノルウェーカップルセラピストは、「結婚制度利用礼賛」の立ち位置の人であることがわかった。なので後半はちょっと割り引いて読んでいる。約4割が破綻する制度における、人格的な要素ばかりを論じて(超越、もしくは感受性の鈍い大人になることで問題解決?)、制度の不備や人の本能的な部分について言及しないのはいくらカップルセラピストだからって片手落ちなんじゃないの?と思ってしまった。っていうか、カップルセラピストだからこそ結婚制度重視ってことなのかな。この方と上野千鶴子さんに対談してもらったら面白そう。読み進めながらモヤモヤしているおバカな私の目がカッ!と開かれて、「そうそう、そういいたかったのよ~」ということをズバリ明らかにしてくれそうである。

 

 

最近、エネルギー(Prana/靈氣)の感覚が鋭くなってきて、これまで一番弱かった第1チャクラ=ムーラダーラに熱の塊があると感じられる。このチャクラは存在の「根」であり、別名「ルート・チャクラ・根っこのチャクラ」と呼ばれる。昨年の春頃はまだここが弱くて、太鼓の大きな音や、地響きのように体に伝わる音楽の振動(良質なホールで足元から伝わってくる低音の響き)などにひどく影響を受けて悪夢を見るようなことがあったのだが、だんだんとここに生き物のような伸びやかな力が宿っていることが感じられるようになってきたのだった。この部分から背筋を通り頭頂にエネルギーが移動していく。瞑想時に感じられることがあったが、この感覚がだんだん強くなっている気がする。

このエネルギーをクンダリニーと呼ぶ。クンダリニー(कुण्डलिनी)とは、人のなかに在る根源的な生命エネルギー。万処に遍在する根源的なエネルギーが人のからだのなかにあるとき、こう呼ばれる。サンスクリットで「螺旋を有するもの」という意味。


今日はとても素敵な1日だった。夢のような1日だった。でも夢ではない確かな体験で、わたしのなかを動くこのエネルギーも目で見えないからといって存在しないわけじゃない。このからだには触れることができるが、感覚は感じ取るしかない。しあわせも感じ取るしかない。今も、思い出すだけで笑顔がとめどなく溢れるような1日をプレゼントしてくださった方に心からの感謝を申し上げたいから、これもエネルギーで伝えてみる。ちゃんと伝わったとき、その方の口元にも自然に、いつものチャーミングな笑みがこぼれてくれるといいなと思う。

 

 

 

 

№665 たったひとりのひと

対岸をつまづきながらゆく君の遠い片手に触りたかった  永田紅

 

 

 

5月19日
昨夜はひさびさにJK剣士と一緒に眠った。一緒に東京にいる間に一度くらい、ということで。このふたりはどちらも寝相がいいのでそれが可能なのだ。
夕食は横溝正史の「悪霊島」鹿賀丈二主演を見ながら。最近こんな映画ないよね、というくらいトラウマ映像満載である。そして岩下志麻、美しすぎる…ウットリである。でも最後まで見ていないので結末がどうなったのかまだわからない。

昨日は五反田駅そばの東急ストアがようやく開いていたので、ブックファーストに行ってみた。なかなか面白い品揃えの書店だった。
近頃は女性性に関わる書籍が多く入手できるようになった。とてもいいことだと思う。今、日本語で読めるものは大概網羅したと思うが、なかでも助産師のたつのゆりこさん監修・原田純さん著の「ちつのトリセツ」、リン・エンライト「これからのヴァギナの話をしよう」のふたつは秀逸だった。「これは読んどけ!」といえる推薦図書である。女性性を含む健康やパートナーシップ、そして関係性における愛を考えたい男性にも手にとって欲しい。当然女性はみな読むべし。

ということで昨今は、健康×女性性に関する本なら米子の今井書店錦町店(ツボイ御用達)でも入手できる。がしかし、昨日五反田のブックファーストで目にしたのは男性のためのセクシュアリティに関する本の、かなりのバリエーション。これはちょっと山陰ではお目にかからないなあ。さすが都会、地方都市とは違う東京の凄さってこういう点かと思う。ざっと背表紙を見た感じでは「これホントに役に立つのか?」と言いたくなるものばかりだった。もう一声ツッコんで表現すると「これ、ほんとにあなたのパートナーシップのためになるの?」、もしくは「あなたのパートナーを愛することにつながるの?」ということだろう。愛のインフラ整備仲間のJさんと一緒にこのラインナップを精査して、みんな(特に男性)の愛に対する認識と、こちら側(女性)が愛に求めるものについて話し合ってみたいものである。


さて昨日私が入手したのはノルウェーのセラピスト、ビョルク・マテアスダッテルによる「北欧式パートナーシップのすすめ ~愛すること愛されること」である。
最近主に読んでいる「B面日本史」はとうとう沖縄戦が始まった。B面だから庶民の生活を描きたいがこの時期にそんなものはないに等しいと著者が書いているとおり。昭和19年7月15日、今後の戦争指導方針検討会議のなかでマジメに検討された案のなかに「今後のことはどうでもよし」という一文があったというから驚き。コロナなんかでびっくりしている場合じゃないけれど、うっかりするとまたこんなことになっちゃう怖れだってあるんじゃないのという陰鬱な気分になる。この気分から転換するために、お互いが手をとり目を見つめ合って愛を構築するためのセラピーを提供してきたという人の本を手にとってみた。


この方は、どんな関係性だろうがカップルのことは「恋人」と呼ぶことに決めているという。ノルウェー語で「恋人」を表す“kjaereste”(すみませんが表記が間違っています、必要な文字が打てませんでした)は「最も愛しく、かけがえのない」という意味を持つそうだ。自分にとって一番愛しい相手を大事に扱いましょう、と著者は語りかける。愛とは、あなたが見つけた最も愛しい人を大事にし、あなたが選んだ相手の最も愛しくかけがえのない恋人でい続けることだと。

米のカウンセラー、G・チャプマンが愛の表現を5つに分類しているという。
「よい言葉/ともに過ごす時間/実践的な注意/身体の接近/プレゼント」

このなかでわかりにくいのは3つめの「実践的な注意」かと思うが、これは実用的な注意を相手に対して向けることを示し、具体的には、買い物をしてきてくれる、仕事や作業を手伝ってくれる、コーヒーを淹れてくれるなどということ。行動から生まれるのが愛だと気付くことで、愛され尊ばれていると思うことができるだろうとあるが、正にそのとおりだと思う。私は自然に療法士の仕事を選んだし、子供をはじめとする誰のお世話をするのも好きだが、これを当然と思われることで多分に傷付いても来たのでこの分類にはハラの底から納得できる。特に女性は無償のケアを求められることが多いので、これを愛の行為とお互いが捉えられる関係であれば非常に豊かなパートナーシップが築けるだろうと思う。

 

昨晩読み始めたばかりでまだ読了していないのだが、これまでのところで特に心に残った点について書いておきたい。
私もYoga療法を指導する中で、バガヴァッド・ギーターの教えどおり二極の対立を超越しようとし、「これでいいのだ」の境地で生きんと心に決めてはいるけれど、それが全うしきれないからこそ実践は意味を持つ。時に気分は沈み、涙を流して、そこからまた回復していこうとすることの繰り返しこそが生きるということ。

この本のなかで著者は「過度なポジティブシンキングが関係性を損なうことがある」と指摘する。
「イヤなことに目を向けずに前を見て!」という言葉をかけられることで、真剣に受け止められていないと感じ、それが繰り返されると相手を避けたくなるのだと。苦しいときに受けとめてもらえないと、ありのままの自分は受け容れてもらえないのだ――自分は、満足して陽気で元気な時しか価値がない――という思いが生じ(きっと存在の奥底で)、恥と孤独を養ってしまうことになる。

悲しみや心配事、不安や不満に寄り添い、ありのままの感情が受け入れられ表現できることこそが尊敬と愛であり、そこに真のポジティブさが生まれる。人と人が向かい合うとき、そこには必ず違いを見ることになる。この違いがあるからこそ惹かれたのだから、それをさらに愛しく育んでいくためには、目を見つめ合い、手を握りながら、勇気をもってでなければ言い難いことをあえて言葉にして対話していくことが大事なのだろう。大事なことであればあるほど言い澱んでしまう。このとき、ふだん公の場面でどれほど雄弁であろうと言葉は喉元に引っかかってしまうだろう。

でも、これまでに伺ってきた多くの方の人生や、自分自身の来し方を思っても、なんとしてでもこの言葉をやり取りできる関係性を、時間をかけても構築したいと思う。人と人が真に理解し合うのはなかなかに難しいことだから。

せっかく生まれたチャンスを誰にも決して無駄にして欲しくはないし、それは私もおなじである。恋人であっても友人であっても、仕事上のパートナーであっても、それぞれの愛のかたちを育んでいきたい。
こんな人と、きっともう二度と出会えないと思って。

 

 

 

 

北欧式パートナーシップのすすめ:愛すること愛されること

北欧式パートナーシップのすすめ:愛すること愛されること

 

 

№664 お礼参り、そしてシャツ問題

そこをなんとかおねがいされてくらくしてひかりをあいしそこでくらした  望月裕二郎

 

 

 

 

5月18日
今日は驚くほどアクティブな1日だった。私にしては相当に珍しい。先月今月とずいぶん長いこと東京に滞在させてもらったが、こんなに動き回ったのは今日が初めてかもしれない。

お昼、日本橋たいめいけんでオムライスを食した。JK剣士が昨年6月にしげにいちゃんに連れて行ってもらったそうで「いちどは食べとけ」と勧められたのだ。伊丹十三お好み?のタンポポオムライスなるものを頂いた。チキンライスのうえにどーん!とりっぱなオムレツが鎮座ましましていて「どうやって切るかわかりますか?」と店員さんに訊ねられたので初心者らしくいいえと答えると、横一文字に切って開いてとのご説明であったが、どう考えてもそれしかないだろうと思ったのは初心者の負け惜しみだろうか。

食後は大手町を目指す、つもりが三井記念美術館に寄ってしまう。どうせどうせ開いているはずがないのに、未練がましく寄ったらやっぱり開いていなかった。ほんとだったら!今は茶箱展をやっているはずで、それをすっごく楽しみにしているのに…。
もっといえば近美や国博の展覧会だって楽しみにしていたのに。連休はそれをはしごして具合が悪くなってもいい!と覚悟を決めていたのに。

数年前のGWに、3つの美術館(根津、新美、サントリー)を回ってすごい絵画のはしごをしたら、脳がヒートアップして最後のサントリー美術館を出たところで吐きそうになった。今年の展覧会ラインナップは私の心を鷲づかみで期待大だったのに(これを見ずに米子に帰れるものか!)。ここで超マジメな国民ならば「仕様がないよ」というところかもしれないが、某師匠の弟子たる私は不良国民なので腹立たしいことこの上ない。

 

さて、閉まっている三井記念美術館を恨めしく通り過ぎマンダリンオリエンタル東京の出店へ入る。生姜とレモンの入ったはちみつを、ある方のプレゼントに購入。この三点セットはAyurvedaの教えによると浄化のためのクスリなので、お疲れのときにペロッと舐めてもらえると免疫力も上っていいだろうと思って。そしてビール並みにお高い炭酸水を飲みながら、三重県のアンテナショップ「三重テラス」を眺めて屋外のソファでぼんやり佇んでみた。

幸い雨も降らなかったので、予定通り徒歩で大手町をめざす。日本銀行の前を通り、猛烈に空気の悪い高架下をくぐった。次なる目的地は将門の首塚。昨年11月にお詣りに来たら改修工事が始まっていて、首塚はパネルで覆われて仮宮が安置されていた。

ここに初めて詣でたのは昨年の6月。その時はしげにいちゃんとJK剣士と三人で詣でたのだが、私がしげにいちゃんと東京を歩いたのはそれが最後になった。はじめてきたというしげにいちゃんも「ここはすごいな」と言っていたっけな。
昨年の3月から5月は上京もできず、私はどうしても、なにがなんでも6月に東京に行きたいと思ったことを思い出す。そのときなんだか「ここに来い」と呼ばれたような気がしたので、まったくの初めてだったのだけれど来てみたのだった。気のせいだろうと笑って頂いて構わないが、それ以降も毎月「ここに来い」と呼ばれているようで、11月まで毎月詣でたように思う。11月は大事な方のご加護をお願いしたい気持ちもあり(お願いごとなどほんとはしないものだけれども、どうしても)仮宮に手を合わせ、別日に神田神社に詣でた。そのとき心に留めていた方もご無事に物事を済まされたので、改修工事が終わったら御礼に上がりたいとずっと思ってきた。

今回は近くの横断歩道を渡る前からなにかしらの氣をビンビンと感じるように思い、とても驚いた。なぜなのかはわからない。新しくなった塚はちょっと凄かった。今日カラダで感じたことをここに書くことはしないけれど、気になる方は直接聞いてもらえれば。そしてできればぜひご自身でも足を運ばれて欲しい。私が言わんとしていることがきっとご理解できると思う。久々に手を合わせ御礼申し上げられてよかった。来月もたぶんまた訪れるだろう。


さて、その後意を決して、この面倒くさがりの私が表参道まで足を伸ばした。ある方へのプレゼントを手配し、お気に入りの靴の試し履きをした(山陰にはこのブランドの専門店がないんだもん!)。一番気になっていた靴はサイズが店頭になかった。4足試したかったのに2足しか履けず仕舞い。2足のうちいずれかを購入したかどうかはナイショ。

その後、秘密の場所に潜むJK剣士とおやつを食べながら話をした。「サイズがなくて取り寄せで、1週間かかるって言われてさあ」と話すと、「ママはジェームズ・ボンドみたいな紳士とお付き合いをするといいんだよ」とアドバイスを受けた。なぜ?!

MI6の諜報部員ジェームズ・ボンド、コードネーム007は素肌にシャツを着る色気だらけのイイオトコである。女性にプレゼントをするときにはサイズを聞かず、「君のサイズを眼で計ったのさ」と云ってジャストサイズをプレゼントしてくれるそうである。しかもMI6の経費で。なのでママも素敵な紳士に靴をプレゼントしてもらいなさいというワケであるが…全然イミがわかんない。わが娘に素敵な紳士を探せと言われるとは思わへんかったね。しかしそういうプレゼントをしてもらった暁には、私からも「あなたのサイズを眼で計ったのよ」と言ってスーツをプレゼントせねばならぬそうである。それは大変だ!我が眼力を磨くところから始めねばだよ。


ところで今日は最後に「素肌にシャツ問題」について書いておきたい。〇衛隊では制服は官給品で、ダッサイシャツも一緒に支給されてワイシャツの下に着ろという指導がなされる。丸首もしくはU首。これさ、最高にカッコ悪いよね。先日某所で若い男子の胸元から丸首シャツが覗いているのを見てしまい(だってボタンが開いてたんだもん)、「ちょ…それって」と萎えた。ないわ、それないわ。〇衛隊みたいにご指導されて叱られるんじゃなかったら、ゼッタイないわ。

なので全国の素敵な紳士、及び紳士になりたいイケてる男子の皆様、シャツは素肌に直接着てください。007の映画をよく見て、エロい魅力あふれる紳士についてのイメージをたたき込んで下さい。JK剣士によると「そういう目的ならば『カジノロワイヤル』を見ておきなさい」ということだそうです。


ところでさっき、急にお腹が痛くなってのた打ち回った。たまたま部屋にJK剣士が来てくれていたので心強かったが、お腹痛いときにひとりだと凹む。具合が悪いときには誰かにそばにいて欲しいし、そばにいてあげたい。すごくそう思う。

 

 

 

 

 

 

№663 仁義なきJK剣士との闘い

沈黙は剥きだしなれば声いだし声のうしろに隠るるわたし  渡辺松男

 

 

 

5月17日
皆様こんばんは。ふらふらしてますか?私はいつもどおりふらふらしています。ここ数日はIncognitoの “Tales From The Beach” (2008)をぐるぐる再生しつつ生きています。
昨日のブログを読んだ方から「え、パックなんかしてるの」という反応が聞かれたので、そこのところちょっとツッコんでみようかと。

毎日やるルーティンが正直いって実に多い私。いやでもみんなけっこうそんな感じでしょ?いろいろやってるでしょ?なにしろ私は建前上Yoga(Ayurvedaのきょうだい)の先生ということになっているので、自分が毎日実践しないでそれを教えたらサギのような気がしちゃうし、どれもこれもやれば得することばかりなのでなんだかんだで実践いろいろ継続している。起床後にやることはYoga&Ayurveda絡みのことが多い。

ちょっと書いてみようかねぇ
1舌の掃除、2ガンドゥ―シャ(オイルうがい)、3白湯を飲む、4岩塩摂取、5鼻腔内粘膜のオイルマッサージ、6ネティクリヤ(鼻洗い)、7プラーナヤーマとクンバカ
とまあこんな感じ。このあと少し間をおいて、Asana(体操)やセルフマッサージなど。

そして夜は顔を三段階で洗う。これは20代前半に叩き込まれたことで、ときどきズルをしても結局心を入れ換えてもとの方法に戻っている。洗顔の三段階目がパックで、別に顔(表情筋)を上にあげたりしわを減らそうとかそういうことじゃなくて、クリヤ(浄化)のひとつである。と思う。

このパックに関しては笑える思い出がある。鬼教官をやっているときに一泊二日で陸上〇衛隊むつみ演習場(山口県)というところに野外演習に行った。学生たちには「5分で入れぇ!」とかどやしつけたくせに、他の教官(先輩)方に対し「自分がお湯落しときますんで」とかいいながらひとりでゆっくり湯に浸かりながら、このパックをした。おいおい、演習場でパックするか?!と自分で自分にツッコみながらも超いい気分だった。えへへ、もう時効だよね。
いやとにかく、YogaでもAyurvedaでも美容でも、浄化が何より大事だってことで。ねえ。

 

 

さて、本日JK剣士とハハのあいだにはバトルが勃発した。
秘密の場所に籠って秘密の潜伏生活をしているJK剣士の動向は、いまここで明らかにすることはできない…007並みのトップシークレットなのである。実のところ書きたいことはいっぱいあるんだけどなー、残念!

さて、できうる限りハハは一緒にご飯を食べている。ところが今日のお昼なに食べる?という件に関して、とことん大人げないバトルが展開され、二人とも一歩も引かずに嫌な感じで闘いぬいてドローになったのである。やるなJK剣士、ハハもまだまだイケるな。


そしてそのバトルネタとは…「マクドナルド食べたい・食べたくない戦争」である。
ハハはジャンクフードは食べない。JK剣士は帰国以来「マック食べたい」と言い続けていたらしい。しかしハハの耳は好きな声だけ聴いて都合の悪いことは入ってこないはなはだ都合の良い造りになっているので、「そんなこと聞いとらへん」ということになる。

そして今日「マックマック」とうるさく主張するJK剣士につき合ってマックを食べさせながら自分は何も食べずに、「自分のことばっかり主張しやがってなんやねんおまえ」とハハがキレた。実に大人げない。いや、別にお腹空いてキレたんじゃないですよ?そこのところ誤解の無いように。思いやりはどこいったんや、アメリカではPleaseとかMe,tooとかAnd you?って必ず聞くんや、絶対Thank youは言うんやと自慢しとったクセに。このケンカの相手(JK剣士)も大人ではないので、「なんで食べ始めてから文句言うんや」とキレる。

ここでJK剣士の爆弾発言。「思っとることあればその時言えや。これだから日本人はダメなんや」的なことを口にしたもんだからもんだから、この闘いは「アメリカかぶれVS和敬清寂」という仁義なき戦いになった。こうなったらハハは引かない。泣かせて、イヤイヤながらもごめんなさいを言うまでネチネチ責め立てた。最後は「お前はアメリカに行って成長してきたんか?しとらんやろ」と捨て台詞を残して別れた。

でもなんだかさー、帰国してから「ん?」と思うことがちょこちょこあったんだよね。待機期間を終えて鳥取に帰るまでにその「ん?」の部分を自分で気付いて修正して欲しいし、それにドカン!と警告を与えるのはハハしかできない仕事だと思った。

規夫先生がJK剣士にメッセージを下さったのだ。「ほんとうに海外を経験しようと思ったら、日本との精神的なへその緒を切らなければダメだよ」と。そのお言葉を考えると、JK剣士はマスターマリコのおおらかで温かい羽根の下でぬくぬくと、美しく楽しいアメリカだけを体験してきたように見える。そりゃあなにかしらつらいこともあっただろうけれども、たぶん負荷は少なかったはずなのだ。でも残念ながら楽しい経験で成長できる人はいないって、Yogaではハッキリ断言してるからね。わざわざ苦しめといっているわけではないけれど、ちょっと今のJK剣士はズレてるような気がする。だからあと数日一緒にいるあいだ、いつものように差し違えるか取っ組み合いする覚悟で向き合いたい。

とはいえ、夜はちゃんと双方が双方ともに「さっきはごめんね」といって、「犬神家の一族中井貴一出演1991年Ver.を見ながらなかよく晩ご飯を食べましたので、ご安心ください。

 

№662 作戦失敗

寒天の闇わたりきてすれ違ふたましひの芯光り合ふまで  竹山広

 

 

 

5月15日
の、ブログを書くつもりだったのに、昨夜、JK剣士と別れて自分の部屋に戻り、顔を洗ってパックをしながらパソコンを膝に乗せたままソファの上で気を失っていた。ハッ!と気付くと日付が変わっていたので、「もういいや…」と思ってベッドにもぐりこんで寝直した。パックはちゃんと落しました。

いくつも不思議な夢を見た。朝目覚めたとき、寝落ちする前にある方に送ったメッセージの内容が思い出せず猛烈に焦った。まあ毎日恥ずかしい失敗ばかりしながら生きているから、別にいいんだけど。そして気を失っていたのに、なぜか起きたら洗濯はすべて完璧に済んでいて「ブログも書いてないのに何で洗濯はしたん?」と、思わず自分で自分にツッコんでしまった。


昨日は秘境田端で秘密の仕事。の前にリアルセッション。昨日のセッションでは私はおまけで乱入させてもらっただけなので、ウォーミングアップとラストの靈氣だけ。でも「かよちゃん、靈氣力(?)上がってる?!」と言ってもらったのでいい気分である。驕ってはならないが、体感なさった方に変化が生じるのならば、靈氣というエネルギーの性質上、私という我が廃されてストローとして靈氣を誰かに流す役割が果たせているっていうことなんだろうから、それはちょっと喜ばしいことに思える。

ワクチン接種後のクライエントさんは、注射針を刺されたところに痛みがおありとのこと。そこに触れるとヒビキを感じ、私のカラダのおなじ部位に感覚を感じた。こんなことは初めてだったので「へー」と興味深く感じながらただ身を任せていた。

秘密の仕事では、睡眠や痛み、ダイエットなどについて某先生と対話したのだが、「人間の三大欲求ですから」と仰る某先生に対し、「三大欲求のうち睡眠と食欲しか扱っていないからダメやん」と自分のアタマのなかでツッコミが入り、思わず「性欲のハナシがないですやん」と言いそうになったが、森の子リス的乙女は頬がポッと赤くなる気がして発言できなかった。でも今日そのことを規夫師匠に申し上げたら、大変マジメなお顔で「うん、重要なことだけど、やはりそういう話題は現代ではまだ出しにくいね」と仰られたので、なにも言わんでほんとうによかったと安堵した。


東京で仕事をしたりフラフラしているのに、近くにJK剣士がいて朝や夜は一緒に過ごしたり(過ごそうとしても断られたり)するのは実に不思議な感じである。今日も先程まで夕食を一緒に食べながら、JK剣士が今見ている「アメリカン・スナイパー」のはなしや、マスターマリコのはなしをしていたらアッと言う間に時間が経ってしまって今日ももしやブログヤバいんじゃないか?!と思ったのだが、もしかしてツボイがどこかへトンずらしたのではと皆さんが心配されていたら困るので、今必死にこれを書いている。


きょうは朝からなかなかないタイトなスケジュールだった。世の中のみなさんにしたら実にフツウなことなのかもしれないが、私はそもそもフラフラしてばかりのナマケモノなので、朝昼午後に予定が入っていたらもうてんやわんやである。

今日は秘密の紳士とのオンラインセッションで始まり、Jさんとのリアルセッション、そして午後は規夫師匠のお供をして表参道へ出向き、夜はJK剣士との会食&バカ話である。こんなタイトスケジュール久しぶり。やればできるやん!
どの方との対話も実に素晴らしかったし、私にしあわせをもたらしてくれた。

しかし師匠とショッピングに行く日が来るとは夢にも思わなかった。「秘書っぽくなっとるやん!」とある方に言ってもらったが、実に感慨深い。でも師匠はショッピングにはあまり興味がないようで、私の頭のなかの壮大な野望(あれとこれとそしてこれを買わねば…)はコンプリートされなかった。「白いシャツ買っといてくださいよ!」と申し上げたものの曖昧な笑いでごまかされた。買ってくれんような気がする。やっぱり新宿伊勢丹に行くべきだったんだ…作戦失敗。秘書失格である。あーあ…

 

 

 

 

№661 毒でも、愛なら

信仰を持たないわれも祈りたくなることがあり手で手を触れる  中島祐介

 

 

5月14日
秘密の場所に籠るJK剣士にせっせと食料を運ぶハハ。今日はリクエストによりカラアゲ弁当を運んだところ、「梅干し、ウマっ!!」と目を閉じて嘆息している。カラアゲ弁当の隣に日の丸ごはんがあった訳だ。渡米前、JK剣士は梅干しがキライだったが、とうとう味わえるようになったらしい。「渡米による梅干し効果」と命名し認定された。


何しろマスターマリコのところに滞在していた訳だから、いろいろと新しいことに触れる機会が存分にあったJK剣士。ちゃんとお金を払って約4時間、キネシオロジー(筋反射テスト)の勉強をしてきたという。へえ!と思い、今日の掲載歌を選ぶのを手伝ってもらおうかと思い立ちテストしてもらったのだが、結論は「…どれでもいいんじゃない」という甚だ気の抜けた回答であった。大したことないことで試すなよ、という我が潜在意識の抵抗にあったような気がする。

自分に合う食材などをテストできるそうだが、蕎麦にトラウマのあるJK剣士は潜在意識も蕎麦に対してNOを言っているそうである。だからやっぱり蕎麦は食べんと言っていた。グルテンにはほとんどの人がNO、アルコールやたばこもOKが出る人はほとんどいないらしい。

聞くところによるとこのテストは「今この瞬間」のことがわかるそうで、未来のことなどはわからないらしい。ハハはYogaの勉強をしてきたせいかほんのちょっぴり傍若無人なところがあるので(慧心師の薫陶を受けたので仕様がないのです…)、自分に合わない食材などを自分に対して聴きたくない。だって聞いてしまったら、その食材と向かい合ったときに「あー、そういえばこれは前カラダがNOと言っていたな」という思い込みがジャマをしそうだから。でもそれって不自由だなと思うのだ。

今のことはわかる、しかし先のことは、私の根本と言えどわからない。いったいなにに影響を受けて「今こうである」私が変わるかどうかはわからない。なんといっても私は万処に遍在するものであって、あらゆるものと緻密に関わり合っているものでもあるから、今ダメななにかが次の瞬間にはOKになる可能性にいついかなるときにもオープンでありたい。それが、自由っていうことなんじゃないかと思う。

Yogaなどをやりだすと、食事が気になってくる。まあYogaにはAyurvedaという姉妹がいるのでそちらに踏み込んで両方の実践を気にしだすと、菜食×断食という健康そうな習慣にアタマからツッコんでいって、なぜか逆に甚だ不健康なことになることが多い。私も色々苦い思い出がある。
しかもこの状態になったひとは間違いなく(かつての私ももちろん)「自分がすごいことをしている!」という高揚感に捉われて、「いいよいいよ」と人に勧めまくりたくなるのである。これは菜食×断食をはじめたら必ずセットでついてくる、避けがたいおまけである。なので、今その渦中にある方は存分にそのおまけを味わい尽くしてください。

そして菜食×断食をどんなレベル感であっても採用したら、やはり人生や肉体が変化が生じてしまう。ようするに健康になっちゃうわけだ。そうすると次に経験するのは「Aを食べたら調子がよくて、Bを食べたら調子が悪い」というジャッジの世界である。
ことろがどっこい、これもまた一過性のとおり過ぎねばならない経験だと思うんですよ。


たぶんスワミ(=師に対する敬称)・ヴィヴェーカナンダの著作「ラージャ・ヨーガ」に書いてあったと思うのだが、こういう食実践を始めたばかりで、まだ心身及び存在が浄化しきってない場合「そのものによって左右される」と。
いわゆる悪いものを食してしまうとイヤーな感じになり、いわゆるよいもの(現時点で私がそう分類しているもの)を食すとイイ感じになる。ところがどっこいヴィヴェーカナンダ大師は、それって初心者だから、みたいなことを言っておられた(と思うんだよね)。

じゃあ修行が正しく進むとどうなるの?という話をよく慧心師がなさる。
慧心師の師匠であり私たちにとっての大先生はスワミ・ヨーゲシバラナンダ大師様だが、この方が日本に来日された時食べ物なんか、もう一度言います、”食べ物なんか“のことは一言も口にされなかったと。お大師様は菜食の方だったけれど、「あ、俺は菜食なんで、そこのところ配慮頼むよ」なんてことは決して仰らなかったと。

お迎えする方々はどうしていいのかわからず、毎日毎日ご飯とみそ汁と納豆しか出せなかったらしい。今みたいにインド食材が手に入る時代ではなかったし、今みたいに情報が出に入る時代でもなかったら。でもお大師様はいつも、美味しい、ありがとうと言って喜んで召し上がられたと伺う。お迎えなさった皆様方は、どれほどホッとされて嬉しく思われただろうか。

だから慧心師は私たちにいつも言うのだ。
「たかが食べ事でガタガタいうな」と。

目の前に出されたものが肉だろうと毒だろうと、「ありがとう、これを供して下さったあなたのお心持ちこそがほんとうにうれしい」と言って口にするとき、すべてのものが滋養となる。Yogiならばそのように生きろと慧心師が仰る、そのことを私たちは大事にしている。

粗雑体はまあちょっとは何とかなるかもしれないが(毒に汚染されるかもしれないが)、それ以外のボディ(生気鞘から歓喜鞘まで)はなんともないのよ、何食べたって。そもそもちょっとくらい肉のカラダが汚染されたからってなんだっていうのよ。
私というものはけっして傷付けられはしないし、かつて一度たりとも傷付いたことはない。そういう心持ちを養っていくのがほんとうのYogaだと思うんだよね。

目の前の、私を愛してくれている人との至福の時間が過ごせるなら、私はなんだって食べる。たとえ毒を喰らったとしても、それを至福に変えることができるためのYogaをやってる人で、私はありたい。

なぜならば、今一緒になにかを食すあなたを愛しているから。こころの底から。
あなたが私に向けてくれる愛を、疑いもなく信じているから。

 だからただ、ありがとう。

 

 

№660 JK剣士、帰国

帰りきてまづ手を洗ふならはしのこころやさしいけものとおもふ  永井陽子

 

 

 

5月13日
愛するオタクは新潟県燕三条市に到着。昨日午後、はるか遠くに立山連峰を望む景色を見て猛烈に感動したらしく「富山サイコーっす」「なにがなんでも秋田に行かねばなりません」と力強い言葉。あっぱれ!オタク。秋田を目指し、痛いおしりに耐えてがんばれ!

 

 

さて、全国?の皆様。大変長らくお待たせ致しました!
ここ最近登場するのは愛するオタクばかり。いったいあの子はどこへ行ってしまったの、とご心配になっておられた方がまさかとは思いますがもしかしておられたかもしれません。しかしご安心ください。本日早朝4時40分、ANA・NH0105便で無事羽田空港へ帰還致しました。おかえりJK剣士!


最近の羽田空港の入国審査(PCR検査含む)は1時間ちょっととのことだったので、始発の山手線に乗り込んで一路羽田を目指すハハ。到着予定時刻は当初5時だったのに、だんだん早くなっとるやん!「ごめんよ、5時40分には第3ターミナルに着くから」とLINE
でイイワケをしつつ、焦る。なんといっても未成年のひとり旅。ようやく帰ってきましたぁぁ!と思って到着ゲートから出てきたら誰もおらんやないの、という事態だけは何としても避けたい。ターミナルに到着してスマホをチェックすると「今、検査結果待ち」とのこと。やれやれ間に合った。

本日いちばん早い到着便だったので、出てくる人はみんなたぶん同じ便に乗っていた人のはず。ところがなかなかJK剣士は出てこない。2時間弱待ったところでようやく現れて感動の再会、熱いハグ(いつものこと)。オオタニを見に行ったときに買ったという赤いキャップを被っていた。AM2時出発だったので機内でよく眠れたよと元気そうな顔、搭乗していたのは20人ほどだったという。早速、到着ロビーのソファに腰かけて、写真を見せてもらいながら話を聴く。オオタニを見に行ったとき、「お約束」で赤いアフロのズラを被っていたとのことで、マスターマリコと並んでの真っ赤なズラ・ショットが素晴らしくイケていた。

ひとりだけなかなか出てこれなかった理由は、入国審査の際に「アメリカで学校に行っているのか?」と訊かれ、「いや、日本の学校です」と答えたら如何にもアヤシイと思われたらしく、スーツケースを開けられ、ヘロイン等々の麻薬(注・見本)を見せられ「こういうの預かってないですか?ほんとですか?だいじょうぶですか?」と何度も問い質されたからだという。

そういえば米への入国の際にも、約二カ月滞在の予定について「え?長すぎない?16歳でしょ?(in English)」と怪訝な顔をされたという。ハハがいちばんウケたのは「このマリコとお母さんはどういう関係なの?」と訊かれたというネタ。「え…?」と焦ったJK剣士を、日本語のできる職員が「昔からの友達って言え」と助けてくれたという。ここで「ハハはマスターマリコに靈氣を伝授してもらって」とか言い出したら更にアヤしくて強制送還になったりしたのだろうか?まあでも昔からの知り合いなのは間違いないですから、ぜんぜん嘘じゃないです。


出発前、JK剣士のスーツケースにはマスターマリコに頼まれたものが入っていた。強力ワカモトとタロットカード、どちらも大量でかなりの重量である。米子で、マスターの会社のスタッフさんからこれを預かったJK剣士は「これヤバくね?」とビビっていた。強力ワカモトってなんなん?母もわかんなかった。ビオフェルミンの親戚だろうか? 

米入国の際に「これなに」と訊かれたらどうしよう…と焦っていたが無事にそれを希望していた方の手に届けられたという。マスターのお知り合いで、日本食のスーパーマーケットを立ち上げた年配の女性(すごい人らしい)が「これを飲んで私は頑張ってきたのよ!ありがとう!」と、お礼にお寿司をくださったそうだ。キャタピラロールじゃない、本物の握りだったんだよ、きっとすごく高いんだよということだった。ビクビクしながら密輸気分を味わえて、いい経験になったよね。


今日は朝から一緒に過ごしていろんな話を聴いた。ちょっとここに書けない重いハナシもあるが、これはアメリカでの体験のことではなく、これからどうしようかと真剣に考えているJK剣士の心のなかのこと。
「16歳で海外に」って思っちゃいたけど叶うとは思わんかったなあ、とハハが言うと「それな!」と答えるJK剣士。二人で笑った。


丸6週間マスターマリコの傍で薫陶を受け、視野と世界を拡げて帰ってきた。ハハはなによりやっぱりマスターマリコがすごいと思う。この世に「ひと」をただの「ひと」として見つめて向き合えるひとってそんなにいないんだよ、ほんとに。肩書とか職業とか、立場とか資産とか、絶対者ブラフマンの前では引っぺがされてしまうものを色メガネとして透かして誰かを見る人がたくさんいる。

でもマスターはそうじゃない。JK剣士は「ひと」として向き合ってもらって帰ってきた。あの場所でJK剣士は「ハハのこども」ですらなかった。彼女がお世話になってる間にも、ハハはマスターに何度か助けを求めたり教えを乞うたりしたが、そこでもJK剣士とハハとは別の存在、別の人格としてやりとりをしJK剣士ネタは一切出なかった。私もまたひとりの「ひと」としてマスターと向き合ってもらっている。

今はもうとにかく、マスターマリコへの感謝しかない。でもこれは「ひと」ではなくハハとして。マスター、本当にありがとうございました。


やや太って二重顎気味のJK剣士。毎日肉とアイスクリームを食べていたらしい。「だろうなあ~」という感じ。竹刀も2カ月振ってないしね。滞在中にはちゃんとLAの道場に問い合わせをしたんだって。世界選手権代表だった超有名選手が直々に返事をくれて、「今は堪えてくれ、いつかぜひ一緒に」というやり取りをしてもらったという。


秘密の交通手段で都内へ移動し、秘密の宿泊施設で2週間の待機期間に入る。
約二カ月の不在を終えて鳥取の、そして学校の空気を吸ったときなにを想うだろうか?すべて絶対者の思し召しどおりにしかならんので、考えても仕様がないよね。うん。