蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№665 たったひとりのひと

対岸をつまづきながらゆく君の遠い片手に触りたかった  永田紅

 

 

 

5月19日
昨夜はひさびさにJK剣士と一緒に眠った。一緒に東京にいる間に一度くらい、ということで。このふたりはどちらも寝相がいいのでそれが可能なのだ。
夕食は横溝正史の「悪霊島」鹿賀丈二主演を見ながら。最近こんな映画ないよね、というくらいトラウマ映像満載である。そして岩下志麻、美しすぎる…ウットリである。でも最後まで見ていないので結末がどうなったのかまだわからない。

昨日は五反田駅そばの東急ストアがようやく開いていたので、ブックファーストに行ってみた。なかなか面白い品揃えの書店だった。
近頃は女性性に関わる書籍が多く入手できるようになった。とてもいいことだと思う。今、日本語で読めるものは大概網羅したと思うが、なかでも助産師のたつのゆりこさん監修・原田純さん著の「ちつのトリセツ」、リン・エンライト「これからのヴァギナの話をしよう」のふたつは秀逸だった。「これは読んどけ!」といえる推薦図書である。女性性を含む健康やパートナーシップ、そして関係性における愛を考えたい男性にも手にとって欲しい。当然女性はみな読むべし。

ということで昨今は、健康×女性性に関する本なら米子の今井書店錦町店(ツボイ御用達)でも入手できる。がしかし、昨日五反田のブックファーストで目にしたのは男性のためのセクシュアリティに関する本の、かなりのバリエーション。これはちょっと山陰ではお目にかからないなあ。さすが都会、地方都市とは違う東京の凄さってこういう点かと思う。ざっと背表紙を見た感じでは「これホントに役に立つのか?」と言いたくなるものばかりだった。もう一声ツッコんで表現すると「これ、ほんとにあなたのパートナーシップのためになるの?」、もしくは「あなたのパートナーを愛することにつながるの?」ということだろう。愛のインフラ整備仲間のJさんと一緒にこのラインナップを精査して、みんな(特に男性)の愛に対する認識と、こちら側(女性)が愛に求めるものについて話し合ってみたいものである。


さて昨日私が入手したのはノルウェーのセラピスト、ビョルク・マテアスダッテルによる「北欧式パートナーシップのすすめ ~愛すること愛されること」である。
最近主に読んでいる「B面日本史」はとうとう沖縄戦が始まった。B面だから庶民の生活を描きたいがこの時期にそんなものはないに等しいと著者が書いているとおり。昭和19年7月15日、今後の戦争指導方針検討会議のなかでマジメに検討された案のなかに「今後のことはどうでもよし」という一文があったというから驚き。コロナなんかでびっくりしている場合じゃないけれど、うっかりするとまたこんなことになっちゃう怖れだってあるんじゃないのという陰鬱な気分になる。この気分から転換するために、お互いが手をとり目を見つめ合って愛を構築するためのセラピーを提供してきたという人の本を手にとってみた。


この方は、どんな関係性だろうがカップルのことは「恋人」と呼ぶことに決めているという。ノルウェー語で「恋人」を表す“kjaereste”(すみませんが表記が間違っています、必要な文字が打てませんでした)は「最も愛しく、かけがえのない」という意味を持つそうだ。自分にとって一番愛しい相手を大事に扱いましょう、と著者は語りかける。愛とは、あなたが見つけた最も愛しい人を大事にし、あなたが選んだ相手の最も愛しくかけがえのない恋人でい続けることだと。

米のカウンセラー、G・チャプマンが愛の表現を5つに分類しているという。
「よい言葉/ともに過ごす時間/実践的な注意/身体の接近/プレゼント」

このなかでわかりにくいのは3つめの「実践的な注意」かと思うが、これは実用的な注意を相手に対して向けることを示し、具体的には、買い物をしてきてくれる、仕事や作業を手伝ってくれる、コーヒーを淹れてくれるなどということ。行動から生まれるのが愛だと気付くことで、愛され尊ばれていると思うことができるだろうとあるが、正にそのとおりだと思う。私は自然に療法士の仕事を選んだし、子供をはじめとする誰のお世話をするのも好きだが、これを当然と思われることで多分に傷付いても来たのでこの分類にはハラの底から納得できる。特に女性は無償のケアを求められることが多いので、これを愛の行為とお互いが捉えられる関係であれば非常に豊かなパートナーシップが築けるだろうと思う。

 

昨晩読み始めたばかりでまだ読了していないのだが、これまでのところで特に心に残った点について書いておきたい。
私もYoga療法を指導する中で、バガヴァッド・ギーターの教えどおり二極の対立を超越しようとし、「これでいいのだ」の境地で生きんと心に決めてはいるけれど、それが全うしきれないからこそ実践は意味を持つ。時に気分は沈み、涙を流して、そこからまた回復していこうとすることの繰り返しこそが生きるということ。

この本のなかで著者は「過度なポジティブシンキングが関係性を損なうことがある」と指摘する。
「イヤなことに目を向けずに前を見て!」という言葉をかけられることで、真剣に受け止められていないと感じ、それが繰り返されると相手を避けたくなるのだと。苦しいときに受けとめてもらえないと、ありのままの自分は受け容れてもらえないのだ――自分は、満足して陽気で元気な時しか価値がない――という思いが生じ(きっと存在の奥底で)、恥と孤独を養ってしまうことになる。

悲しみや心配事、不安や不満に寄り添い、ありのままの感情が受け入れられ表現できることこそが尊敬と愛であり、そこに真のポジティブさが生まれる。人と人が向かい合うとき、そこには必ず違いを見ることになる。この違いがあるからこそ惹かれたのだから、それをさらに愛しく育んでいくためには、目を見つめ合い、手を握りながら、勇気をもってでなければ言い難いことをあえて言葉にして対話していくことが大事なのだろう。大事なことであればあるほど言い澱んでしまう。このとき、ふだん公の場面でどれほど雄弁であろうと言葉は喉元に引っかかってしまうだろう。

でも、これまでに伺ってきた多くの方の人生や、自分自身の来し方を思っても、なんとしてでもこの言葉をやり取りできる関係性を、時間をかけても構築したいと思う。人と人が真に理解し合うのはなかなかに難しいことだから。

せっかく生まれたチャンスを誰にも決して無駄にして欲しくはないし、それは私もおなじである。恋人であっても友人であっても、仕事上のパートナーであっても、それぞれの愛のかたちを育んでいきたい。
こんな人と、きっともう二度と出会えないと思って。

 

 

 

 

北欧式パートナーシップのすすめ:愛すること愛されること

北欧式パートナーシップのすすめ:愛すること愛されること