蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№611 つらいことの価値

やむをえず私は春の質問としてみずうみへ素足をひたす  笹井宏之

 



3月24日
今日は亡きおにいちゃんの5回目の月命日だった。まだ5カ月しか経ってないんだと思うとほんとに驚いてしまう。すごく長い時間が経ったようなのに。

JK剣士の渡航準備でハハはほとんど介入しないようにして見守っているのだが、こんなときおにいちゃんがいたら強い味方となってアレコレとお世話を焼いてくれたのだろうと思う。今日は二人でそんな話をした。「あー、しげにいちゃんがいたらなー」というワードはしょっちゅう三人の口から出てくる。しかししげにいちゃんは今やカラダという軛を超越した偉大な存在であるので、海外旅行保険よりもずっと心強く安心である。

 

 

先日都会の知人がとうとう禁断の白バラ牛乳に手を出してしまったらしい。もう後戻りはできない。木次乳業の牛乳も飲んで欲しいな。あれ以外の飲みたくなくなるし、これなら牛乳もアリだなって思える。
牛乳といえば明治か森永だったとおっしゃるそのお言葉を伺ったとき、明治か森永は牛乳じゃなくてチョコレートなんじゃないかと思った。なーんにもない山陰だが素材はどれもこれもピカイチ。なんといまや全国のセブンで白バラ牛乳が入手できるってほんとなの?!大山乳業さん、がんばってるんだなあ。それともダジャレ知事のお蔭かなあ。


ダジャレって言えばJK剣士。巣鴨の安い宿の話をしていたら、「そこはヤバいよ。鴨が屋根に巣をつくっているかもしれない」とか言ってくる。自分の国語力が恥ずかしくなんない?完全に滑ってるよ。あと、冷凍庫で眠っているすごく立派な栗をどうしようかと悩んでいると「嫌いな人に『これでもクリえ!』っていって投げつけたらいい」と言うので、それにも言葉を失ってしまったではないか。わざわざこんなことをここに書く自分も恥ずかしい。素面じゃ聞いてらんないからだれかビール持ってきて。でもY用さんやA木さんは喜んでくれるような気がするからあえて書いてみた。

 

 

昨夜のオンラインレッスン(グループ)でショックなことがあって、センセイは落ち込んでいる。ある方が、股関節と膝の痛みがよくならない、筋トレしてるのにと仰る。もう何年もこのクラスには参加して下さっている方。なんだかヘンだぞと思ったので、以前やっておられた朝晩のヨーガはやっていないのかと問うたら「やっている、リラクゼーションとして」と仰る。

一応ヨーガ実習を毎日やっているのに痛みが軽減せず、筋力が適切に増していかないのには考えられるいくつかの要因がある。

そのまえにえーっと、Yogaで筋力は上がるし、眠れるようになり痛みは軽減します。わかっていてくれますよね?ただしそのように指導すれば、という注意書きがつきます。

推察するに、

1.Pranayama(調気法)の要素が抜けている
2.適切な負荷がかかってていない(アイソメトリックでなく、ただのストレッチになっている)
3.雑念から離れていない(集中できていない)=項目1と関連する
4.緊張と弛緩の意識化ができていない=項目1、2,3と関連する

というところだろう。

効果がもたらされないのであれば指導者として重大な責任があるので、いったいどんな筋トレしているの?とお聴きすると、

「最近カーブスに行ってるから、そこで教わったやつ」

という重大発言があった。
がーん…

センセイもう立ち直れない。今日はここでお仕舞にしたい。
でも救われたのは、そのあとお話下さったK山さんが「昨日は(ハムを作ってる)現場の応援に出て、疲れから足に痛みが出ましたが、簡単な実習をやったら無くなりました。快調です。」とフォローしてくれたこと。

K山さんは二度の手術を経験された重い腰痛もちだった方で、深い絶望(とかいうと大げさだが、ご本人にとってはホントのこと)を抱いた状態で出会わせて頂いた。さんざんいろんなことをやってきて、よくならなくていいかげんくさくさしておられたので真正面からどーん!とYogaに騙されてくれたと思う。あまりにも腰が痛すぎて当初サボってばかりだったK山さんの腰痛はまず半年ほどで軽快し、いまはまったくない。


さとちゃんもそうだし、K山さんもおなじ。一番最近だとリーダーもそうだけど、さんざん苦しんだ方のものごとへの向き合いかたってすごい、といつも尊敬の念を抱かされる。

Yogaでは「不幸か病気しか人間を変えられないんだよね」と言い切っており、それゆえに「だから不幸も病気も悪いだけのことはないんだって」と諭す。確かに。

出典は失念してしまったが、ある聖典に、神様二人が人間のふりして旅をする話がある。お金持ちのお家で牛乳を乞うたら想像通りだと思うが冷たく断られた。これも想像通りだと思うけど、そのあと貧乏そうなおうちで同じことを頼んだら、やせっぽちの牛から絞った乳を快くごちそうしてくれた。

そのあとの神様の発言。
「お金持ちはもっとお金持ちになーれ。貧乏なおじいさんはもっと貧乏になーれ。」

ななななんてこといいますの?!と思ったでしょ?
私も前は思ったよ。賢い人はもう答えがわかってると思うけど、富むことで心が貧しくなる者はどんどん富んで滅びるがよいし、貧しくとも心豊かなものはますますその心が豊かになるようにっていうことですよね。

別にYogaが財を否定しているわけじゃないから、そこんとこ勘違いしないようにってお師匠様がいつも言ってる。ガッポリ稼いで素敵なアシュラムを寄進したり、ひとを助けている人もたくさんいるからね。自分のことばっかり考えるのがマズイということ。

だってほら、わたしのなか(心臓のなか)には、あなたがいてくれるのだから。

だから私もその方の痛みがよくなりますように、カーブスがもっと栄えますようにってお祈りすることにする。

 

 

 

 

№610 モウソウこわい

あこがれがあまりに遠くある夜は風の浅瀬につばさをたたむ  笹井宏之

 

 

 

3月24日

いま、我が家にはJK剣士というトラップが張り巡らされていて、ただでさえ毎日ふらふらして仕事をしない母の稼働率をさらに下げようとしている。

春休み、めっちゃいそがしい。いつもだったらスクールバスで勝手に行って勝手に帰ってきてくれるのに、スクールバスがおやすみである期間を春休みといいます。毎日2回お稽古のために行って帰って、これじゃ保育園のときと一緒だよね。しかも帰ってくるなりにぎやかなこと!

今日はお昼ご飯がお寿司だった。回らず、家で食べるやつ。ランチタイムの回るお寿司は米子なのに行列ができるからイヤ。JK剣士は何を思ったかナットウ巻を買っていたので、「ねえねえナットウ巻って美味しいの?」と訊ねると「いや、なぜこうせねばならなかったのかって感じ」という。人生初ナットウ巻は期待していたものとちょっと違い、JK剣士の心に深い哀しみをもたらしたようだ。

私的には近所の服部珈琲のポテサラサンド(ポテトサラダが挟まれたサンドイッチね?)は「ないわー」と思うのだが、たぶんそれと同じ感じであろうと推察した。ゼッタイにありえないと思うが、あったらいやなのは「大学芋おにぎり」。ナットウ巻とポテサラサンドは、なぜそのひととそのひとをコラボさせちゃったのかしらねという悲哀が漂い、梅干しの代わりに大学芋がくるまれたおにぎりのようだなと思うわけ。ま、私は生まれてこの方ナットウ巻を食べたこともないし、たぶんこの粗雑体が消えるまで食べないと思う。そもそもなぜこのおさかな王国山陰で、きみはナットウ巻をチョイスしたのだろうか?


今日ある方が「最近、ブログおもしろいね」とお言葉を下さったのだが、やっぱりYogaのハナシはあんまり要らんようである。ふーん。まあでも確かに、Yogaのことは書いてないにも関わらず、心の平安にいたることのできるYogaっぽいヒラメキが得られたらそっちの方がぜんぜんいいよね。

もしかして皆様、すごく高度な要求をして私を育てようとされてる?Yogaに触れずにYogaの智慧を表現せよ!的な。「自分以外みんな我が師」ってこのことか。そういうことに気付かせるために、規夫師匠も洋平センセイもブログを書け~と言い続けてくれたのかもしれない。だとしたらすごくありがたい。

 

 

さてJK剣士が海の向こうへ飛んでいくことになった。親の希望のひとつとして「16歳までに海外を経験させたい」ってずっと思っていた。1年半前に修学旅行でほんの数日間台湾に行って帰ってきたときの彼女の様子も、私のその思いに火を注いだ。でもどうしていいかわかんないでしょ?私は前からフツーのお母さんじゃなかったけどここ数年は頭もおかしいから(注・ウパニシャッドの教えどおりに生きてるつもりです)、「海外行かせたいなー」と願って何をしたかっていうと、

 

ほっといた。

しなかったことならある。
「ああしないと、こうしないと」とは考えなかった。今の自分の足りないアタマであれこれ考えて思考を捏ねくりまわしたりしないで、行けるならよし、行けんならばそれもよしと思っていた。ただ行けたらステキ~とはずっと思ってた。それだけ。

今回渡米できることになったのはマスターマリコが「おいでよ!」と言ってくれたからなのだけれど、でもママのマスターであるマリコさんと関係性を構築してきたのはJK剣士自身だから。母さんのお蔭ということはぜんぜんない。

 

なにかを無駄に怖がったりしちゃダメだと思う。想像の怖さの方が、ほんとうの怖さよりも怖いことをひとはちゃんと知っておいた方がいい。妄想って実はみんな毎日してるでしょ?ああなったらどないしょ、こうなったらもう破滅やとかいっつもあたまのなかで考えごとをこねくり回してるでしょ。
それカラダに悪いから今すぐやめた方がいいです。ほんとに。ストレスホルモンがバンバンに出ますから。インド5000年の智慧だからね。母さんウソつかない。

 

 

№609 エビの呪い?

一度にわれを咲かせるようにくちづけるベンチに厚き本を落として  梅内美華子

 

 

 

3月23日
大阪は梅田に行ってきた。宣言解除の翌日で、なんとなーく先月とは違う空気が漂っているような感。

新大阪駅の下(いったいどこが一階なのかわからへん)には美味しいお店がいっぱいあるよと聞かされながら、基本的に岡山&新大阪は乗り継ぐだけのところで駅構内から出ることがないため、どんな美味しい店があるのか私にとってはなぞのウワサ話の域を出なかった。この度はじめて「下」を訪れ「うどんすき」なるものをご賞味させて頂いたのである!

うどんすきっていうのはうどんっぽいすき焼きってことなの?となりの席の方々の前にギュウニクが運ばれてきているのをみて「そゆこと?」と思ったが深層は闇のなかである。私は規夫師匠とご一緒するとき以外はギュウニク&ラーメンを食べない。郷に入っては郷に従えという教えがあるように、駒込に行ってはヤキニクかラーメンということで襟を正して頂戴している。

そういえば去年、規夫師匠と洋平ゼミ有志との会食を企画した際、うちのリーダーが鶏肉以外召し上がられないのにヤキニク屋さんで会食をセットしちゃって、自分のテレパシー能力の低さに凹んだ。でも、みんながどしどしギュウニク以外のものをリーダーに勧めるのはいま思い返しても微笑ましい光景だった。テンパった私はわかめスープなどを飲ませちゃったけれど、ビールにわかめスープってどうなの?って今になって反省。ごめんねリーダー。わかめスープってやっぱり〆だよね。ちょっと乱暴だったわ。

 

で、うどんすき。
「生きたエビ入れますか?生きてないエビ入れますか?」って聞かれたので生きたエビを所望した。ところが生きたエビが収められた蓋つきの容器が運ばれてきた折、お店の方が「生きているので暴れます。暴れなくなるまで掴んで押さえておいてください…」と怖ろしいことを仰るではないか。ああなんてこと…そこまで想定してなかった。ご一緒させて頂いた方に「エビ、よろしくね(ハート)」とかわいく断固としてお願いしてみた。

たぎる出汁のなかで身悶えしつつ赤く染まっていくエビ。実に心痛む光景ではあったが、たとえ植物であろうともその存在の自由度が動物に比して低いだけで、いのちを頂いていることに相違はないのだから、「食べること、食べて粗雑体を生かし続けること」について改めて深く思いを致すことになったエビとの邂逅。すごくあまくて美味しかった。もしかしてストレスホルモンが出ると甘くなるのか?人間も同じ?

 


さて、なにやら昨晩からカラダが痒くてならない。
ちなみに私はアレルギーなどは一切ないが、ご馳走を頂いたりお酒を過ごすと皮膚症状が出る。「おいしいものたべると顔が腫れる」ってこどものころ言われていた。これって九州だけで語られている俗説?こどものころは腫れなかったが、数年前から腫れるようになった。子どもの頃はさほどおいしいものを食べていなかったということかな。いや、ちゃんぽんも皿うどんもおいしかったよ? 先日赤坂で超高級担々麵を頂戴した後すこし腫れた。その翌日も美味しいものを頂いたので、その晩更に腫れた。きっと私という存在には贅沢すぎる食だったんだね。

皮膚っていうのは排泄機関のひとつなのでこういうことが起きても全然不思議じゃないし、むしろ症状は出ない方がヤバい。症状というのは実に偉大なものなのだが、世のなかの人々からは不当な評価を受けている。いい仕事をしているにも関わらずイジワルをされるデキル人、それが「症状」だと私は思っている。せっかく顕れてくれた症状を無視したり押し込めようとすると、その「なにか」がどんどん奥に籠っていってしまう。たぶんイジけるのだ。私も元来気の弱い質なので、この”症状”のイジけ具合には親密な共感を覚える。

 

鍼の先生によると、症状が改善してくるとだんだん表に出てくるんだって。なので目で見て手で触れられるような症状は「ああ、自分で自分を浄化してるんだなー」と思って感激の涙とともに、いまそうであることをしっかりと味わっていればいいのだと思う。
ちなみに症状も病も、いや人間存在っていうものは、そんなに単純なものではないので「あれ食べた=だからこうなった」というようにはわからない。キッカケとなったなにかに、今の自分の状態やら何やらがかけあわさってそうなっているのであって、前と今回では原因も違うんだと思うよ?

鍼治療を受けるようになって今年で8年になるが、このアプローチは”毎回出てくる同じ症状の違った要因”というものに対する気付きをとても深めてくれる。Yogaを生活に取り入れるということは、実のところ日々体操をするようになるということではなく、体操という道具を通じて、いのちと直結している呼吸をなんとかできるようになって、更に、いのちの器である肉体をなんとかできるようになり、自分という存在をなんとかできるようになっていくこと。

この浅い到達点を「制感/プラティヤハーラ」という。当然もっと先もある。制感ができるようになってくると、鍼のような治療を、自分に対する洞察を深めるためのものとして活用できるようになると思う。ただ単に「おねがいしまーす!」という感じで使うのでは鍼の神様もYogaの神様も泣く。我々はもっと深いんじゃい!と怒っちゃうかもしれない。


痒みだが、JK剣士曰くこの症状は肉体由来ではなく茹でられ食されたエビの呪いだそうである。紅くなった皮膚を見て「ほら、エビみたいになってるよ…」と怖いことを言ってくるJK剣士。でも自分だって今日タコ焼き食べてたじゃないの。タコの呪いがあって、指がiPhoneから離れなくなるかもしれないよ。あーこわい。


№608 センセイの研修

泣いてゐるものは青かり この星もきつとおほきな涙であらう  笹井宏之

 

 

 

3月22日
雨ですね。寒いですね。でもハクモクレンも、もう咲き出した桜もキレイで春がきたって感じ。

エイギョウブチョーは本社?に出頭した。
今日は不思議なことにぜんぜんお客さんがいなくてCAFFE VITA&門脇師匠貸切。私としては至福!

初めてこのお店に足を踏み入れたときから私はモカイルガチェフの大ファン。いつもは席に向かいながら「イルガチェフおねがいしまーす!」とオーダーするのだが、先日こちらで1年の修行を終えた長女ぶーちーから「モカならばマタリ№9もあるぞ」と促されたので今日はその1杯からスタート。

ここに来たら3杯は必ず飲むからね。まさかとは思うが「えー、コーヒー3杯も飲んだらお腹痛くなっちゃう」などという世迷言をいう方がまだいるとすると、あなたの飲んでいるコーヒーは酸化した古いコーヒーだから胃が痛くなったりするのであって、こちらのものはぜーんぜんそんなことにはなりませんから。インスタントコーヒーとか缶コーヒーとか飲んだら大変なことになるよ。体内の抗酸化物質が大量消費されてカラダが老けていく…ああ怖い。

このたびのチョイスはモカマタリ№9、トリプルショットのスペシャル・カプチーノ、最後にカフェコンパンナで〆。調子がいいときしかあまい飲み物を飲まないように気をつけているので、今回は絶好調ということ。やっぱりコンパンナは最高。

 



さて、本日は2020年後期認定ヨーガ療法士応用研修会にWeb参加した。
朝9-17時ぶっ通し。お昼ご飯を食べながらも対話が進行するという、心身に対する負荷を苦行レベルにまで高めた実に認定ヨーガ療法士らしいストレスフルで楽しい研修会である。

昨年10月にヨーガの師匠・木村慧心師が「伝統的ヨーガにもとづくヨーガ療法標準テキスト インド5千年のサイコセラピー ――ヨーガ療法ダルシャナ」というめっちゃ長いタイトルの書籍を上梓されたのでそれを元にお勉強なのであるが、リアルでもWebでも相変わらず叱られている。お勉強たりない、そんなんじゃダメ、もっと修行せい!と叱られ続けもう何年だっけ? でもいい話もいっぱいあるよ。ヨーガ療法の指導技術とヨーガ療法士育成教育の質に関しては、日本は本場インドを越えて現時点では世界最高峰みたいだね。師匠のご尽力の賜物と、聖典智慧、そして絶対者ブラフマンのお心ゆえですね。

 

さて、すみません。今日はあまり面白くない話が続きます。ごめんなさい。

ダルシャナっていうのは、カウンセリングみたいなものと思ってもらったらそれでOK。でもまだまだぜんぜん人口に膾炙してない言葉である。伝統的ヨーガにおけるセンセイと生徒の対話のこと。心身のどこかに悩みを抱えて教室を訪れる人がほとんどであるヨーガ業界の現状で、ダルシャナなしでAsana(体操)だけしててもお話になんないにかかわらず、世のなかのYogaクラスはいまだに体操やりっぱなしで生徒さんの状況など知らずに、効果も高いが危険度も高いAsanaを教えまくっている。ヤバい。

人って、自分で自分を観察(内省)するだけでは自分の変化はわからない。誰かに「それでいったいどんなふうに変わったんか?」を見極めてもらわないといけない。どんな取り組みもそうだよね。Yogaだって同じだよという、ただそれだけのこと。

 

でもこの大事なことがYoga業界ではなされてなかった。伝統的にはずーっとやってきた取り組みなわけで、師匠などはずっと悔しい思いをなさってこられたんだろう。今日ほかの先生のお話を伺っていても「フィットネスヨーガ業界では、生徒さん個々となかなかことばでやりとりできない」なんてことを言っている人がおられたんだけど、それじゃいけないと思う。

 

私が住むこのニッチな世界では「東京の一般的なヨガスタジオでポーズだけ教えてます…」という人は恥じ入るような顔をして小さなお声でそのことを言い、プライベートセッションとダルシャナ中心で指導をしているヨーガ療法士がそれを聴いて優しく微笑んでいる。

「一般のヨーガ」とは極端な表現をすると(口が悪いのは重々承知であえて言うが)この世界では蔑みの言葉である。この世界には私のようにヨーガによって癒され、そして指導者になる道を選択した人がたくさんいる。師匠はとても厳しくお口が悪い(ブラックジョークがすごい)ので、自らが癒されていない者が指導はできないことをハッキリと仰られ、今日もある方に対して厳しいお言葉を発されるのを皆が息を詰めて見守っていた。

しかし、この世にこうしてまだ生を受けている(輪廻の最中にある)ということそのものが病気ともいい、私たちは常に癒される過程にあるのだろうから、これは程度の問題なんだろう。人のネガティブな氣を引き受ける覚悟とエネルギーが発揮できる程度に病んでいる私が、さとちゃんや他のクライエントさんに向き合う。教えるものと教わるものの区別も、実はたぶん関係ない。絶対者の前でわたしたちはいついかなるときにも平等だ。


2022年5月、ヨーガ療法学会第20回記念大会がなんとこの僻地・米子で開催されるんだよ?! 総合司会もたぶんやることになるが、それよりなにより劇的な変化を遂げた方の節目を寿ぐつもりで、私も久々に症例発表をしてみようと決めた。

3年ぶりになるリアル学会、2000人くらい来てくれたいいのに。

 

 

 

№607 Yoga Day、そしてダジャレ

春芽吹く樹林の枝々くぐりゆきわれは愛する言ひ訳をせず   中城ふみ子

 

 

3月19日

先日インテグラル・スナックのあと、とある紳士が五反田の萬龍軒(ほんとは萬龍軒っていう名前じゃないから食べログ探さないでください)に連れて行ってくれたことを書いた。”秘密の”紳士ってちゃんと書いてるのに、O先生が「いやーさすがですね」とその紳士を特定してをお褒めになられる。イメージ的にぜっんぜん萬龍軒っぽくない紳士だから、その守備範囲の大きさにますます憧れちゃったというのだが… 

秘密のはずだったのにバレてるやんか!
私にもヒミツくらいあってもええやんと思って「いやそれマジでヒミツの別のひとやから」とウソをついてみたら「かよちゃんほんとにアフターで誰かとどっか行っちゃったの?!」とヤバいエロイ妄想が炸裂。甚だややこしい展開になってきたので泣く泣く観念した。はい、ご明察。それはリーダーです。ご馳走様でした!焼売美味しかったです。また行きたいです!

 

 

さて先日、私が所属する菊井筝楽社から会報が届いた。
そのなかにご宗家からの残念なお知らせがあった。尺八演奏家の星田一山先生(ほしだ いちざん/大阪音楽大学講師)が昨年12月14日におかくれ遊ばされたとのこと。ご宗家との合奏など、いくつも美しい思い出がある。上方の芸とはこのように洗練されたものなのだと、驚きとともに感じさせられた。御年78歳、まだまだお若くてらしたので残念でならない。80,90代でしか表現できない芸をお極めになりたかったと思うと、その無念さが伝わってくるように思う。

 

訃報と言えば、ウクライナでお世話になった通訳の五代裕己さんが昨夏急逝なさったが、今年の“International Day of Yoga”におけるNPO法人ヨーガ療法士協会のチャリティでは、彼が創設したウクライナ剣道連盟へ剣道の防具等を支援することが盛り込まれた。

海外で剣道連盟まで創っちゃうってほんとスゴイ…。五代さんは鹿児島県志布志市出身、國學院大學に進まれた。たぶんとっても強かったんだと思う。瞳にもその佇まいにも、その片鱗があった。我が家にも彼が贈ってくれたウクライナ剣道連盟の手ぬぐいがある。「克己」と染め上げられている。師匠が音頭を取られるチャリティはいつもどれも意味も価値もあるが、この度は個人的な思い入れが「五代さん&剣道」というダブルとなったので、なんとか協会にお力添えをと思う。

 


ところで皆さん“International Day of Yoga”のことご存知ですか?
通称“Yoga Day”と呼ばれていますが、2015年にはじまって以来毎年6月21日(夏至)に行事を行っている。2014年12月11日の国際連合総会 (UNGA) において、全会一致で宣言された。
ウィキペディアの「国際ヨガデー」のページでは『ヨガ(ヨーガ)は、おもにインドで形成された、肉体的、精神的、霊的修練である。』とあって、これを読むと「なんだよわかってるじゃないの!」と力強く背中を叩いてあげたくなるよね(だれの?)。この霊的修練なしにYogaは出来ないし語れない。だから「たいそうたいそう」とばかりいう方は必ずどこかで私に愛のお説教をされます。

モディ首相は、国際連合総会 (UNGA)でこう語った。

――ヨガは、古代以来のインドの伝統が生んだ貴重な贈り物である。

既に5000年の伝統がある。ヨガは身体と精神、思考と行動、抑制と実践の統合を実現させ、また、人と自然の調和、健康と福祉へのホーリスティックなアプローチを実現する。ヨガは単なるエクササイズではなく、自身の中に統合された感覚を見いだすものである。私たちのライフスタイルを変え、意識を高めることによって、幸福への助けとなる

 

さすがモディ首相。YouTubeでもアニメーション動画となってYoga普及に努めておられるだけのことはある。どんな国家元首と会見してもまずはYogaの話をするらしいよ。まったくご興味ない方はどんな反応をなさるんだろうね?想像すると面白いよね。

  

 

今日、ずいぶんカタいな。Yogaネタは飛ばす読者のみなさんがご立腹なさるかも。
JK剣士ダジャレネタで〆るね!

先日、1年最後の「お楽しみ会」があったらしいよ、高校生なのに…。そのとき元茶道部の子と盛り上がったんだって。
「うちはお茶はゼッタイせんけんな(*米子弁同時通訳:私は母上になんと言われても茶道の稽古は決して致しません。残念でした。)」と幼少時から頑なな抵抗を示してきたJK剣士。しかしあなた、稽古はせんけど初釜や茶会には出るやないの。マイ懐紙挟み・マイ懐紙(龍の柄)・マイ楊枝(チタン製)・マイ末広、道具はすべて揃ってますよね。稽古はせん、作法は知らん、しかし茶会は出ちゃうってちょっとカッコいいよね?その根性さすがだわ。母さんは肝が小さいからお稽古せんとムリだわ。

「お茶あるある」として、茶道のことをご存じない方はお茶が呈されるまでお菓子を頂くのを待っちゃう、というのがある。むかしむかし、抹茶はクスリとして服されていたから、お腹が痛くならないように先にお菓子を頂くことになっているのです。今でもいきなりダイレクトに抹茶を飲んだらほんとに具合が悪くなる方がおられます。お気をつけください。ご想像どおりですが、もちろん私はどんな濃いお茶でもまったくだいじょうぶです。

さて、そのお菓子を待ってしまわれることを、元茶道部の子とふたりで、

「マッチャ来るまでマッチャった!」

というダジャレで笑ったんだって。

…それだけのはなしです。もっちとA木さんだけは喜んでくれると信じてる。
大変ご無礼致しました。今日はこれでお仕舞にさせて頂きます。ごきげんよう

 

 

 

№606 イケメンの、筋肉による示威行為

息あつくわれをまく腕耐へてきしかなしみをこそ抱かれたきを  沢口芙美

 

 

3月17日に書いた原稿が、下書きフォルダに放置されていたのでアップします。

このブログは「ハスドロ」と呼ばれている。かなり前からのインテグラル友達S藤さんが命名してくれた愛称。そして本日このハスドロでJK剣士に次ぐ新たなアイドルが誕生したことが確認された!

久々に車に乗ってスーパーへお買い物へ。近所のHックでふらふらしていたら、お花屋さんから世界でたった一人のママ友Fさんが顔をだしてくれた。おにいちゃんの月命日のためにメッセージを記入していたら、「いやー、今回も楽しませてもらったわ」と言ってくださる。

お茶の間の皆様の自粛ライフを元気付けるために、感染症への恐怖などそこのけであちらこちらをうろついている私をお褒め下さるお言葉にジーンと来ていたら、私じゃなくてジョニー・デップK田のことなのだった。なんだそっちか!「静岡まで見に行きたい…」乙女のように目を輝かせるFさん。年齢を教えてあげると「アリだわ」と意欲的である。静岡とは対角線上にあるような米子にファンが生まれてしまったジョニー・デップK田。罪な男…

しかし私のまわりには素敵な方が多くってよ?

ここではリーダーと呼ばれているS堂さんは、初めてリアルにお目にかかった時からセメた服装で私の心を鷲摑み。O先生もゆくゆくはあんな風に…と憧れている。ほんっと!にカッコいいんだから。加藤先生は未だ“リアルS堂”をご覧になっていませんね?人生損してますよ。

昨年駒込のピザ屋さんで宴会してるとき、ある女性がリーダーのことを「橋本じゅんに似てる」と仰った。橋本じゅん=「図書館戦争」=玄田隊長=「クマと戦って勝てる人間は玄田隊長くらいしかいない」という連想が一瞬にして湧きあがり「ぜんっぜん違います!!」とブチ切れてしまった私。その節は大変失礼しました…。リーダーはクマに襲われてもそのクマを説諭して「俺、もう明日からどんぐりだけにする!」という気分にさせちゃえるひとです。イケメンでしょ?

あと、元ラテンダンスチャンピオンOさん。私的にはこの方ヤバいと思うわー。数年前神楽坂でブタニク食べながら飲んだ時にはまわりに黒い雲が立ち込めていたけど、今は南国の太陽に目が眩むような色気が復活してますよ。でも俳優の名前がニコラス・ケイジしかわかんないから誰に例えていいかわかんない。強いて言えばサルと魔人抜きでノープロブレムなアラジン。いいでしょ?

 

 

ここまでイケメンネタで引っ張ったから、今日は最後までこれでいくことにする。
イケメンの条件がマッチョなボディだと勘違いしている、ピュアな男心を打ち砕く路線で進めることにするわ。

 

むかしむかしうちのチームのイケメンズはすごいボディを持ってたらしい。まあなんといっても私だって毎朝10㎞走って夜に1~3km泳ぎ、64式小銃を取りまわす女だったからすごいボディだった。当時(25歳頃)の写真が出てきたから恥を忍んで見せてあげたら、O先生は爆笑しリーダーの顔は引きつってた。全然今の方がマシなんです、あらゆる角度から。ただ授乳を経た乳がこじんまりしてるだけで。これはすべてJK剣士を育てるためで、事故みたいなもんだから。

そして二人のメンズにも決して見せられない暗い過去がある。O先生はいったいなんのためなのか100㎏のウェイトを上げていた時代があって、その頃の写真は恥ずかしくてすべて処分したそうだ。こどもに絶対見られたくなかったんだって。100㎏の重量物を意味なく上げる活動を終了したあとの写真は見せてもらったが、推定50代後半のデブのおっさんがそこに映っていた(O先生は私と同い年だから40代です)。頬はアンパンマンのようにハリきって輝いている。それ見てみんなで大爆笑!今のO先生は細マッチョで余分なものはついていないし、お仕事でなさっていることとご自身を扱う方法が乖離していない。

リーダーは、某所の焼き鳥屋でその店のおかみさんに腕を撫でまわされたことがあるらしい。私が初めて会ったときもすごくカッコいいボディをしていて、私がこんなシャイガールじゃなかったら胸や腕をさすって氣を吸い取っていただろう。ただしどこにも痛みが無かったら。もしどこかが痛むなら、その体には調和を欠いた虚無的な美しさしかない。

 

美とは調和である。乱調に生まれる美もあろうが、調和しているものがあえて乱されるからこそ美として成立するのだ。不調和な状態が常態化している、それは単なる乱れでしかないから。

 

肉体には見えるところと見えないところがある。見える部分は肉の目で見ればいいが、見えない部分を見るためには内的視力を養わなくてはならない。今、肉体を扱う業界でこの内的視力の欠如が大きな問題を生んでいると思う。人間ってわりと単純だから、見えないことは存在しないことにしてしまえる。そもそも五感を使った活動って、脳が色んなことを処理して掬い上げると決めたものしかキャッチアップしていない。

リーダーは自らの激務を支える自己存在を構築するために肉体にも向き合っていたと思う。でもそこで提示される方法が、残念ながら目に見えるものだけを扱う手法だった。腰痛に悩む人は「腹筋を鍛えるように」と言われるんだけど、その腹筋がどの部分のことなのか真に理解して自分の言葉として教えられる人はほとんどいない。だから見える腹筋を鍛えてハラを6つに割ってみても、腰痛は治らない。

 

この見える体を鍛え、そして服の外からでも、服を脱いだ時でも「誰かに誇示したい、称賛されたい」という無意識的な思いが根強くある。これは筋肉による示威行為であると思う。O先生とコラボ・セッションを行なうときこの求めに直面することがある。気持ちはわかるが絶対に認められない。自らの意思で「自由に動かせる」からだが人の目から見て結果的に美しいと言われることと、ただ見せて触らせて「スゴーイ!」と言われることはまったく違うから。

まず内的な調和を生みそこに美を宿し、その体で人と向かい合い愛しあって欲しい。どこも痛まない体で。だから内的な感覚を目印にして進むのがいい。今、私はよく人に姿勢や体型を褒められるし、40代後半にして自分史上最高のカラダだと思っている。私はPranayamaを通じて肉体を制御していると思う。

内的な満足感が連れて行ってくれる先に粗雑なものの調和がある。ほんとうのイケメンはそこから決して目を逸らさずにいて欲しい。内外共にイケメンである真のイケメン男子を、私は心の底から愛する。

 

 

№605 こころをきめて

それは明日旅立ってゆく人のゆめ こうのとりには熱いポトフを  笹井宏之

 

3月19日

昨日はいくつもいい話題があって興奮してしまった。夜のリアルレッスンでもさとちゃんのことをお伝えして「あそこが痛いここが痛いというまえに毎日朝晩Asanaをやりなさーい!」とお説教をしてきたが、皆さんそんなことではビクともしない。えへへ、と笑っておられるだけである。健やかさとはこういうことだよね、ほんと。

 

 

さて、今日はめちゃめちゃくだらない話をします。いつもどおりってことですね。

本日JK剣士は修了式で、無事波乱万丈の1st JKライフをコンプリートした。
昨夏には辞めるの辞めないのと騒いで学校をサボって東京に行き、規夫師匠と一緒に駒込でパフェを食べ、1万円札を見せられて「これはただのクーポン券」と言われ目を白黒させていた。あのときはまだしげにいちゃんがいたから、一緒に渋谷やらなにやらを遊びまわってもらったことを想うと心底感慨深い。

こういう節目には迷わず萬龍軒でお祝いである。ちなみにJK剣士は今週3回目の萬龍軒。萬龍軒中毒だね。

 

先日のインテグラル・スナックのときに「秘儀・卓袱台返し」の話題が出た、と話してあげると「あれだな、卓袱台返しはジェームズ・ボンドだな」と切り返された。なぜだ?!なぜ卓袱台とジェームズ・ボンドが繋がるんだと苦悩していたらご丁寧な解説があった。
日々平凡に暮らす皆様にとっては、私が「秘儀・卓袱台返し」を過去二回にわたって繰り広げたエピソードだけでも魂消ておられるかもしれませんが、ホントのところ卓袱台返しというのはそんなお茶の間的な小技ではないのです。
以下、JK剣士の解説を聴いてみましょう。

 

「真の卓袱台返しとは、ボンドがカジノで潜入捜査を行っているとき、悪いやつらがワー!ッと入ってきてマシンガンをぶっ放して殺されそうになったところを、テーブルをガッ!とひっくり返して身を隠しつつ命からがら脱出することを言う」

 

少々煮物の汁が残った皿や、水の入ったコップがひっくり返ったくらいのことでは卓袱台返しなんて言えないのだ。エラそうにインテグラル・スナックという刺激的な場でそんな小技をエラそうに語って聞かせた、自分の小物感に大いに恥じ入ってしまう。インテグラル・スナックのママ(見習い)ならば、もっとダイナミクスを求めて生きていかねば!

 

 

ということで、JK剣士は海外に飛んでしまうことになった。
流浪する母がようやく懇談の席に着いたとき、今年の成績表の「担任のコメント欄」には「目が世界に向いている。そのため世界史や外国語の学習に意欲的に取り組めた。」とあった。担任の先生はさ、ほら「才能がないやつが努力してもムダなんだ云々」ということを言っちゃった人だから、母はここで門脇師匠の御達し通り「先生は努力したことがなかとやろーが!?(*長崎弁)」と文句言ったらんばと思い詰めていたのだが、JK剣士はそこをひょいと跳び越えて「渡米します」と言った。

 

 

LAにいるマスターマリコが私に「こっちにおいでよ」と言ってくれて、JK剣士も一緒に連れてきて置いていっていいよと言った。そのことを伝えた日、彼女は何も手につかなかった。しばらくのあいだ大混乱になっていたが、私が出張から帰る日「行ってみることにした」とLINEがきた。行って、違う世界を見て、そこでインハイをめざすのかどうか改めて考えてみたいと。幸いなことにと言っていいのかわからないが、いま彼女のチームでは女子が5名揃わないので団体戦での勝ちは狙えない。だから先輩のAちゃんも「行ってこい」と言ってくれたって。

規夫師匠が仰るように、インハイ自体には意味はないと私も思う。でもJK剣士がインハイに彼女だけの意味を与えることはできる。なにかに意味を見出したときの強さや鮮やかさを、様々なひとに見せられてきたし、母として子供にそれを期待しちゃうのは罪じゃなかろうと思う。

 

 

いつも生徒さんに、毎朝起きたとき「ゼッタイにありえないと思うことについて3つ妄想しろ」と申し上げている。私は縛られて生きたくはないし、誰にもそうあって欲しい。人生で起きることは私の顕在意識が想像しうることを軽々と超えていていつも驚かされる。「え!すごーい」と思えるようなものですらなく、斜め後ろから後頭部を直撃するような感じで物事は起こり「嘘やろ?!」と驚かされる。そうすると思わず前方に数歩よろめいてしまい体勢は大いに崩れるが、なんとかコケることもなく必要な間をおいてまたじきに適度な歩幅で歩きだせるようになる。

 

先日夢のような1日を経験したのだが、こんなことは想像すらできなかった。こんな世界がこの世にあるんだなという心持ちだった。だから小さな枠組みで自分の未来が展開するなどと考えず、いまこの一瞬に思考停止で生きていられればいいと思う。

この一瞬の思考停止、これをマインドフルネスという。
と思ってるんだけどな。

 

 

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公式戦での雄姿が、早く見られるようになればいいのにね。