蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№604 ささえられている

からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ  笹井宏之

 


3月17日
春ですね。
今朝はものすごく寒かった。寒いと「晴れか~」と思うよね。雪が降ると暖かいからね。もうそろそろ冬タイヤを換えないといけない。でもたまに4月に雪が降ることもあるから、みな空や大山を見上げながらタイミングをはかっていると思う。

今日はJK剣士から卓袱台返しについてご教授頂いたことについて書こうと思っていたのだが、朝からいくつもうれしいしらせが届いてフッ飛んでしまった。


まず本日は、我らが愛するゴッドハンド・Oセンセイのお誕生日!どんなに厳しい環境でも結果を出すことができる実行力をお持ちだという宿命のセンセイ、今年が飛躍の年となりますように。

次は、長女ぶーちーが成績優秀な学生だということで奨学生に選ばれたというニュース。これもすごいよね!昔から学費に関して親孝行なぶーちーだったけど(高校も特待生で月々3500円しか必要なかった。私立です、ホントのはなしです)母さんは鼻が高い、えっへん!2年生になったらようやく学校に通えるね。楽しんで!

 

そして、乳がんステージ4の患者さんとして一緒にYouTubeチャンネルにも登場してくれているさとちゃん。彼女は乳がんが骨と肝臓に転移しているからステージ4の診断を受けていて、昨年秋には元の主治医から余命10年ですとか言われた。その後、いい感じの病院に転院してホッとしていたところ。

今日、12時32分にさとちゃんから飛び込んできたメッセージ。
「肝臓の癌が なくなった!」

 

そのあとすぐにさとちゃんと直接話ができた。さとちゃんも少し涙ぐんでいたと思う。私は元来涙腺が弱いのでもちろん泣いた。

ちょうど昨年の1月からさとちゃんとのオンラインセッションが開始されて、春からはOセンセイとイケメンのKくんが加わってグループセッションになった。その過程でがんが転移して折れていた骨の再生が確認された。ふつうはないことらしい。でも肝臓のがんだけが大きくなっていて、なんでだろう?と不思議だった。その訳はとある生活習慣にあることがわかったので、さとちゃんはすごくがんばって生活を変えていった。お蔭で肝臓のがんが確認できなくなっただけでなく、胸のがんも骨のがんも活動してない状態に至ったという。

秋にしげにいちゃんが逝ってしまったとき、さとちゃんはすごく慰めてくれた。さとちゃんは私に泣くなと言わない数少ないひとのひとりだった。しげにいちゃんもお別れするには若すぎる年齢だったし、おなじがんという病だったからさとちゃんもきっと不安だったと思う。でもそんなことをいっさい感じさせずに、名駅の定食屋さんで私を抱き締めてくれた。

同じころさとちゃんの当時の主治医は、彼女に余命宣告をした。そのときわたしはしげにいちゃんの家にいて、しげにいちゃんはもう天にいた。奥さんとふたりですごく怒って、ひとの命のことが現身を持つ人間に見通せるはずがないと思った。しげにいちゃんも医師のことばに打ちのめされて力を奪われたことがなんどもあったんと奥さんから聴いていたから、真実ではないことばでさとちゃんの生きる力が弱まらないようにと祈った。

 

今日、さとちゃんが聴かせてくれた話には哀しいこともあった。

がん患者さんのお見舞いにいくと「引かれる」から行くんじゃないよ、と言われていた友達が複数いたんだって。人の不幸が我が身に火の粉のように降りかかることを怖れるなんて、トンレンの実践をしているわたしには思いもよらない。実に神話的なマインドで、1000歩譲って理解してやってもいいがそれをさとちゃんに言うのは人の在りようとしていかがなものか。あなたは、愛とか思いやりっていうことばの下に生きていないのか?

主治医と同じように様々なひとがこの世にいるのは当然。理性ではわかってるよ?でもわたしは、自分の身近にいるひとたちがこんな目に遭ったら泣いて騒いで暴れまわって怒りたい。こういう場面でヨーガ教師ヅラして「人は生まれることも死ぬこともない」なんて涼しい顔をしたくない。そんなことを言うやつの方が不幸を引くんじゃい!!と呪いの言葉をかけてやりたいくらいだ。オープンマインドじゃないと言われてもいい、それのどこがMoksha(解脱)の女神だと笑われてもいい。だれかがいったその言葉は、きっといつまでも残滓としてさとちゃんのなかに残って彼女を哀しませるだろう。

お願いだから、そんなことばはぜんぶ黒いけむりにして吐きだして私のところに送って欲しい。すべて私が吸ってしまってなにもかも絶対者にお返しするから。


今日は、わたしのなかのちいさいいきものがだれかにあまえたくて泣いている。さとちゃんはわたしの生徒さんでありながら、おともだちとしてわたしを守ってくれたり泣かせたりする。今日のこのよろこびの波をたのしんだあと、私もさとちゃんにあまえさせてもらおうか。

人のかかわりというのは海の波のようにひいては返すもので、私は私のまわりにいるすべてのひとにささえられ、そうすることでちからを得てだれかをささえ返す。甘えたいときに甘えられずにションボリすることもまた、愛を寿ぐ行為のひとつなのだろう。

さとちゃんは強運だとわたしはいつも思っている。多くのひとがさまざまなかたちで彼女をささえている。さとちゃんもいまはそのことに気付いていて、その気付きがもたらすよろこびの大きさに私も胸が震えるようだ。

そしてその強運にはしげにいちゃんも間違いなく加わってくれていると、私は信じている。ありがとう、しげにいちゃん。あなたに起こってほしいと願った奇跡が、さとちゃんの身に訪れたよ。ありがとう。

 

 

 

 

 

№603 人間=男性?

たっぷりと春を含んだ日溜りであなたの夢と少し繋がる  笹井宏之

 

 

3月16日

昨日帰ってきたんだけどね、品川から乗った新幹線、ひとがいっぱいだった。

2時間に一本しかない伯備線特急やくもや、日に二便しか飛ばない米子空港発のANA、そして米子でのタクシーは必ず予約するが、新幹線は乗る直前にしか予約しない主義の私。「自由で便利」な都会の交通機関の恩恵を甘受するつもりが、窓際の席がすべて埋まっていた。こんな混み具合、ものすごく久しぶり。そしてお客さんはほとんどが新大阪で降りた。

新大阪から先は車内販売もない旅。水も買えない、アイスも食べられない(食べないけど)。やっぱり都会とやや都会とイナカの感染症感度はけっこう違う。都内もおなじだよって優しいリーダーはなぐさめてくれるけど、そもそも周囲の空気を読んで人が動かないのがイナカ。だから帰ってきた私は危険人物として、本来そうであるようにあくまでもおとなしく生活している。

 

 

負傷JK剣士は昨日から普通の稽古に復帰したとのこと。まだ足の甲に古傷感いっぱいのかさぶたが残ってるけどもうだいじょうぶ。保険金でガッポリ…なんて考えたわけじゃないけど、萬龍軒の夜定食6回分におつりが出るくらい共済がお見舞金くれるんだってよ!やったねJK剣士!怪我した甲斐があったね。ガッツリいかいや!(*米子弁同時通訳=ご馳走をたくさん頂きましょうね)

 

そういえば赤坂の高級クラブで「インテグラル・スナック」をオープンした日、とある秘密の紳士がアフターなるものに?で夕食をご馳走してくださったんだけど、そこの佇まいが「ここは五反田の萬龍軒か?!」という感じだった。翌日こどもたちに「五反田にも萬龍軒があったよ!!」と報告したが価格は全然萬龍軒じゃなかった。将来ぶーちーが出世したらおごってもらおう。

 

 

 

さて、昨日帰りのJRのなかで読みかけの本を読了した。”イギリスの上野千鶴子”と私が命名したキャロライン・クリアド=ペレスの著作である。ちょうどブログで、軍用銃の操作によりいまでも腕にしこりが残っているというネタを書いたばかりだったのだが、そのネタに真正面からヒットした。シンクロ。

 

なんども書くが私は標準の日本人女性の体型を逸脱しており、アメリカ人女性の平均身長も超えている。ただしアスリートやスーパーモデルには足りない。この程度でもジャストサイズの服を見つけるのは難しいし、和服の反物も幅が広い特別仕様のものを用いなければならない。自衛隊で支給されたかつてのストッキングなど、腿の途中で生地が終わっちゃって笑った(靴磨きに転用した)。しかし私だって背が高いというだけで肉体的には女子である。ここ、笑うところじゃないからね!

このことを痛いほど感じるのは強烈な男性社会に紛れ込んだ女性だけだと思うが、どんなに小難しいことができても重量物を男子と同じように持ち上げられなければ「使いものにならない」というレッテルを貼られたりする(レッテルの貼られ方は各業界で違うだろう)。そのことを身に染みて知っているので「男女共同参画」とか「雇用均等」とか無理だろ!と思って来たし、いまも思ってる。

女性ががんばって男性と同じように働いたり、男性がケアを多く求められる女性の役割を果たそうとしても無理があるしなにより非効率でモッタイナイと感じる。だから女子学生の育成に当たったときには、自らの特異な立ち位置を自覚するとともに、そのあるがままの存在として優れた任務が果たせるよう自分の頭を使って必死に考えろと伝えたつもり。男性上司はそんなことを教えてくれないからね。「つかえるWAF(=Woman Air Force 女性隊員)になりなさい」と耳にタコができるほど言ってきたのは、男と張り合うことが女性にとってのいい働き方となるワケじゃないから。

 

この本の中には、人が生きる場面で、人口の半分を占めている女性がどんなに不快な、怖い思いをしているかが綴ってある。私も100名以上の男性の中にたったひとり混じって夏季野外訓練(ようするにキャンプ。私が大きらいなやつ)に参加したことがあるし、飲み会に行っても女子がひとりになることがほとんど。一応みんな紳士的だったけれど、酔って体に触られるとかキスをされるとか体型のことを揶揄されるなんて日常茶飯事で、それにどんなふうに対抗するか、自分をどう守るかに多大なエネルギーを使ってきたと思う。顔はニコニコしていても「触ったら殺す」という無言のオーラを出していたし、人前で酔うこともなかった。

ふつうの女性は無意識に、多くの男性の前で発言を避ける人が多いんだってこの本に書いてあった。その一文を読んで愕然としたのは、前回の加藤ゼミ(人数多め)でズケズケものをいう女は私ぐらいだったような気がするからだ。

 

人間、っていうとき、それは男性のことなんだって。でもそうだよね。女性固有の生態はあまりわかっていないし、あらゆるモノのサイズは男性のカラダに合わせてある。医学の世界でもそう。昨年夏、とあるクリニックの男性医師にあなたはもう老人だと言われた。老化だからもう治らなくて一生クスリを飲み続けるしかないと。でもそのあと怒った私は自分でいろいろ調べて人に助けを求め、セルフケアをし、その時の症状はもうまったくない。クスリも飲まなかった。そのとき医学の領域にも女だけが知る伝承された智慧があって、完全に隠れていると知った。だから諦めたらダメだと思っている。医師は男性だから、悪気はなくてもそもそも思いもよらないんだろう。

 

 

私には素敵な男性のおともだちがたくさんいるけれど、その方々がどんなに素敵な紳士でも、あなたが体験したことも見たこともないことはたぶん理解できない。第二次大戦中、ホロコーストが否定され続けたように。

私は特殊な世界で生きた経験とノウハウを持つ、声も体格も大きくて場合によっては黙っておかない者だからまあいいとして、ずっとうんと背丈の小さい女性がじつは無意識に怖い思いや大変な思いをしているんだと、わかってあげて欲しいな。169㎝の私にとっての64式小銃と、150㎝の彼女にとっての64式小銃はまったく違う意味を持っていたんだと、私自身もこの本を読んでようやくわかって、ちょっと反省している。

そして女性も、男性と同じように生きることを目標にしないで欲しい。たぶん別々の領域でそれぞれを活かしながら尊重し合って生きていくことができるし(Oセンセイが「補寫だね」っていつもいうように)、それはバガヴァッド・ギーターが教える二極の対立を超越することに繋がっていくんだと思うよ。

 

 

 

№602 インテグラル・スナック

つぼみより(きみがふたたびくるときは、七分咲きにはなっていたいな) 笹井宏之

 

 

 

3月16日
昨晩帰宅。11日ぶり。JK剣士と熱いハグを交わす。いろいろあったが本日のところはご機嫌よろしい様子で一安心。「ブログに『ねたきりいぬ』のこと書かせて頂きました」と報告すると、「どんなん(*米子弁同時通訳:どのような内容なのか聴かせてごらんなさい)」と言うので読み上げてやった。読んでる自分も聴いてるJK剣士も笑ってしまって、いったいなにがなんだか。

そのあと、JK剣士が大好きなエド・シーランの曲を教えてくれた。歌詞が最高だからって。二人でYouTubeを見ながら何も言わずに心をかよわせて、これママの好きな人にシェアするよって話したら、どのひと?って聞いてくれた。JK剣士は優しい。


どうして彼女はこんな僕を愛してくれるんだろう
彼女ならだれでも手に入れられるのに
僕は自分のことすら愛せていないのに
ベイビー、僕のいちばん優れた部分は「君」なんだよ


JK剣士は言葉に対する感性が鋭い。エド・シーランの曲や声もさることながら、この歌詞には多くのひとが胸を打たれるだろう。"Baby, the best part of me is you"という思いのなかに含まれている豊かな感情や愛を想うと、からだのなかをエネルギーが駆け巡るようだ。

 

…………………

さて!
先日、東京は赤坂の高級クラブ「スナックHIKIDASHI」に洋平ゼミメンバーズの数名+αの方々が集まってくださった。しかも昼間から。皆様お忙しい方ばっかりなのにほんとにありがたい。

“マスターMっちの部屋”に新人ママとして立たせて頂いたのだが、ここはカウンターの向こう側に立つ人もお席に座るお客様とまったく同じ料金システムでお金を払ってお酒を飲む。この空間がおもしろい。そしてお酒も飲めて、もてなす側ともてなされる側には役割の差があるというシチュエーションもおもしろい。センセイとしての空間制御能力というか、場をホールドして皆さんを楽しませ和ませる訓練として最適だと思ったけれど、いやいや訓練どころかめちゃめちゃ楽しかった!

 

わざわざお越し頂くわけだからなにかおもてなしをと珍しいおつまみを準備し(山陰名産板わかめとか、非売品の缶メシとか)、余興として三絃を披露することにした。三絃を遥々山陰から持ってきたために、五反田駅で泣きそうになりながら徒歩6分の距離をタクシーに乗ったのだ。三絃は決して重くはないが微妙に長い。

まあでも筝より全然マシよね。箏だと180㎝くらいあるから迷惑過ぎて、新幹線に乗せてもらえないんじゃないかな。本心は、ご披露するなら箏の方がいい。ボディが大きいから響きも素晴らしく、リアルに演奏を聴いたインパクトはすごいと思う。ちなみにこの度運んで来たのは長女ぶーちーのお稽古用三絃で、ホントのこと言うと舞台用ではないため音の響きがイマイチだった(細かい部品が違うので音色も遠音も違ってしまう)。この三絃はこの後、長女ぶーちーとともに目白の清和寮で暮らすことになる。

 

ご自身も楽器を嗜まれるリーダーに「誰もわかんないから間違えても気付かれないよね?」と鋭いツッコミをもらっちゃったのだが、仰るとおりでございます。なにがあっても「これ、こういう曲だから。なんか文句ある?」といえばいいので私も大船に乗ったつもりで演奏を…いやしかし、一か月だけ私より早く(4歳で)筝曲を始めたお姉さん弟子ぶーちーがその場にいたので技量はバレバレ。それでもね、翌日「相当稽古したね?」と言ってもらったので、よかったなと思ってます。おめでたい「越後獅子」の前歌部分を、弾き歌いでご披露させて頂きました。お耳汚しでございました。

 

 

皆様がそれぞれにさしいれなど御心づくしくださって、ほんとうに嬉しかった。なんといっても洋平ゼミメンバーが中心で、それ以外のお二人もインテグラル理論にはご興味おありだからこその話題が満載だったと思う。チームメンバーはその前日に規夫師匠と杯を傾けていたから、師匠ネタでも大いに盛り上がった。
自分自身のシャドウと向き合いつつある私に、師匠がすごく優しいお言葉をかけてくださったのだが、それはずばり「俺になにかして欲しいことある?」。乙女心のどまんなかに刺さった。

ちょっと解説します。
「彼はきっとこんなふうに思っているんだろうな」というのと、「どんな風に感じてるの?」と直接訊ねるのは違う。でもほとんどの人が訊ねないまま「きっとこうだ」と決めつけがち。だからちゃんと訊ねたい。そして師匠は私に訊いて下さった。ホントに嬉しかったけど動揺して、「こうして一緒にラーメン食べてもらえるだけでいいです」とかわけのわんないことを返していた。それじゃシャドウの課題にちゃんと繋がってないだろ!と自分にツッコんでやりたい。

 

空間の力と、参加して下さる方のエネルギーをもってダイナミクスが生まれ、ここに来る前の私とはちょっと違っているようなそんな気分になった。バーMarujinで修行を積み、コロナ禍にもかかわらず前年比超の売り上げを叩きだしたという伝説のスタッフ・ぶーちーをチーママとして抜擢したのだが、勢ぞろいした方々の気迫に押されて疲労困憊したらしい。

ちなみにこういう状態を「エネハラ=エネルギー・ハラスメント」とS森さんが命名された。エネハラとは、受け取った愛が強すぎて自らの器に収まりきらず溺れそうになる状態である。これは暑苦しい愛を持つお相手の問題じゃなくて、自分の器がまだちっちゃいことに対する発奮の言葉だよね?この器を一度ぶち壊して、もっともっと愛を受け取りたい!っていう。


かくも強い愛を垂れ流しにしてしまえる熱い方々が集まった赤坂の高級クラブ。スナックHIKIDASHIという場を借りた「インテグラル・スナック」は、噂では第二回が開催されるらしい。もしまたママ修行が許されるならば、次は「あなたとかわした約束がけっして違えられませんように」と歌う名曲を弾かせて頂きます!

 

 

 

 

№601 満たし満たされる

箱になるまえの私に会いたくて思い切りあけてもらいました  笹井宏之

 

 

 

3月14日

昨日某所で、悩める女子の味方〇センセイ(ワケあって特に名は秘す)にカラダを触ってもらった。って、いやらしい意味ではありませんよ?そういうことを想像したおじさんは反省してください。


私は右肩がどうしても内旋してしまう。他の部位と違ってなかなか意識するだけでは直せない。なぜかようなことになっているかというと、どうやら昔から可憐で体が弱かったため(今もだけど)右腕を無理に使ってきたかららしい。



そう言われると学生のときから右腕を酷使する活動ばかりしてきた。特にアレがいけなかったね、あの場所でのアレの操作。64式7.62mm小銃っていうのは約4,300g(弾倉及び付属品を除く)もあるのに、これを右腕だけの力で持ち上げないといけない動作がいろいろあって、それが特にいけなかったような気がする。

エライ人がジープに正装して乗り、しかも動く車の上で立って人がたくさんならんでいる前を通り過ぎる光景を何かでご覧になったことのある方はいると思うが、あんなときに「儀仗隊 ぎじょうたい」というにわかチームが担当の部隊で編成される。余談だが陸上自衛隊にはイケメンぞろいの常設の儀仗隊もある。国賓などをお迎えするときのためです。身長は高過ぎても低すぎてもダメで、イケメン・ハゲOKだそうである。帽子は脱がないからね!

さて、あるとき基地司令が変わりますよ、というタイミングでわが部隊にこのチームが作られたとき、その場所で初めて、そしてたったひとり、女子として加えてもらった。「モール」っていう肩の飾りや白い脚絆をつけた第一種礼装でキメて儀式に花?を添える。みーんなが見てる前で微動だにせず威儀を持ってあらゆる動作を行うって、いまふり返ると究極のロールプレイングゲームみたいでおもしろかった。

儀仗では涼しいカオをして何度も”捧げ銃/ささげつつ”(銃を持っているときの敬礼の一種)をしないといけない。しかも長い時間。ジープに乗ったエライ人があたりを回ってる(巡閲、っていう)間ずっと。左手は添えるだけなので重量は右手だけで支える。銃を肩にかけるための装具がついてるんだけど、それに手をかける感じで指を伸ばしている。ちゃんと胴体で支えられなければ、肩や腕にかなりの負担がかかる。

長距離を走るのは大得意で立派な大腿四頭筋を持っていた私だが、最近まで腕をちゃんと使うのは大のニガテだった(だから二の腕や脇が弛んでいた)。もう辞めて10年以上たつのに、当時のカラダのクセがそのまま居残っていて、右肩・右上腕の二か所にすごく硬くなってところがあることをゴットハンド・〇センセイが見つけてくれた。


毎日全身の重要ポイントをセルフアビヤンガしている私としては、この「コリ」が相当に手強いものであることがわかる。時間をかけて、急いでなんとかしようとは決してせずにほぐしいってあげないといけない。


誰のカラダにもだいたいこの「コリ」がある。でもそのことに気付いておられない方がたくさんいて「こういうもんだ」と思い込んでいる。それがホントに肉や骨だったら触っても痛くないですから。「コリ」だったら触れると痛むかイヤな感じがする。


“痛い・違和感や不快感がある・傷がある・傷跡が残っている”
こういう部位に対する特効薬がある。
「触る」「動かす」ということ。これに尽きる。
触れるのも動かすのも、生体エネルギー(Prana プラーナ)を動かすっていうことだから。

信じってコツコツやったら劇的ビフォーアフターを体感することになるでしょう。ホントだよ? 大事なのはやり過ぎないことと、毎日必ず少しずつ

先日も知人が美顔器?の購入をつよく勧められているんだけど…と悩んでおられたので、美顔器は人間の手にはゼッタイ敵いません!と断言しといた。痛かったり凝っていたり傷跡が残っているところには、健康なところ以上にエネルギーを送らないといけないし栄養もたくさん必要。なのにそういうところは組織が硬くなっていて必要なものが届かない。だから治らないし、変わっていかないという悪循環になる。そういう場合は、動かすことで血流を始めとする流れを生んであげる必要があるし、完全にカチカチになっているところは物理的に触れてほぐししてあげる必要がある。

 

実際に動いたり触れたりする一歩前にある大事なことは、
「自分でなんとかできるんだ」
「このコリや痛みなどは無くすことができるんだ」
と確信すること。この時点でもう半分以上治っていると思う。あなたが治ることを決めた瞬間に治癒は起こっている。残りは粗雑体に残った印象を消し去ることだけ。あなたが思ったとおりになってしまうから「大変そうだ」とか「時間がかかるんだ」なんて言う”物語”は不採用で前に進むこと。


わたしのカオを見て「毎日やってそれかよ~」とツッコまれたらなんと申し上げようもないが、自分で「イヤだなあ」と思っているところがなくなっていくのはほんとうに気持ちが良いし、もっとアグレッシブに気分が上がる。
肉体という粗雑体は思考と動きによっていかようにも変わる、と知ることは世界に対する態度を変えるためには格好の素材になると思う。なんとかなるんじゃん!と確信をもって思えるようになれる。


ここでの「動き」というのは、自ら動くこと・触れて動かすこと・ひとに動かしてもらうこと・ひとに触れてもらうことを含むと考えているので、じょうずに“他助”を求めることを忘れないで欲しいし、大好きなひとに自分のカラダの痛む場所や傷跡がのこっているところを触れてもらったらいい。そしてあなたも触れてあげたらいい。

あとは、からだの小さなポイントだけでなくもっと大きな枠組みでも、しあわせで安らいでいる感覚が毎日得られるようにしてもらえるともっといい。これもやはり「他者」が大事なカギになって「自己」が豊かになっていく。豊かな「自己」と繋がれる(=Yogaする)と「他者」のことも満たしてあげられる。

この世は海の潮の満ち干のように、満たし満たされることで生じているんだとわかりながら生きたいし、生きて欲しい。アートマンを通じて、あなたとともにわたしがいる。そしてわたしのなかにあなたがいる。いまここで、いつも。



癒してあげるポイントが見つかってほんとに良かった。ゴットハンドに感謝です。

 

 

 

 

 

№600 こんなのイヤだよ

雨ひかり雨ふることもふっていることも忘れてあなたはねむる   笹井宏之

 

 

3月13日

雨が降っている。今日は(今日も)秘境田端の秘密の場所へ出向くので五反田駅までの徒歩6分が恨めしい…。なにしろ私はふだんが車移動のひとだから。きっとホンモノの都会の方ならここまでガッカリなさらないんだろうな。これを読んでいる山陰のお仲間の方々はこのガッカリ感をわかって下さると思う。

 

 

昨日は食卓に欠かせないあのマヨネーズの!株式会社キユーピーのエライ人、そして私に仕事を下さるMっちが秘境田端に見学に訪れたので、私もちょろちょろ着いて行った。いい機会なので長女ぶーちーも呼び、Mっちにご挨拶をさせて頂くとともに、日本の透析施設の現状について知っておきなさいエッヘン!とエラそうに申し付けてみた。

秘境田端の秘密の場所がむかしむかしどんなところだったのか、ポスター大の三枚の写真を見せて頂いて愕然とした。今私が見ているクリニックはおしゃれなクリニック。米子でいうと、そうね…JK剣士もぶーちーも私もお世話になっている美容院Lokiさんみたいな感じ。ところがどっこい、むかしのここは米子でいうと休日の薄暗い高島病院救急外来。この前負傷JK剣士と行ったばっかり(その節はお世話になりました!)。ローカルすぎて甚だ申し訳ないですが、わかる人にだけわかるこの感じ。
片やきれいになって元気を出すところ。片やどこかに”問題”がある無力なひとが誰かに何とかしてもらうために行く、気乗りしないところ。この幅感が許されているのが今の日本の透析業界なんだって。

 

まったくおなじ医療を受けるのにこの格差。選べるんならいい方を選びたい。
でもこんな施設って全体の数パーセントしかないらしいよ。薄暗い高島病院がスタンダード。あなたが週に3回美容院に行く美女で、毎回4時間そこで過ごしあなたの生命を磨くとしたら、薄暗い高島病院でビミョーな椅子に座って過ごすのとLokiさんの太陽の光が差し込む心地よい空間で過ごすのとどっちがよろしい?ちなみにLokiさんは米子には珍しく、シャンプー台のある空間は個室になっているのです。仰向けで人に髪を洗ってもらうのって端から見るとマヌケな感じがするんだろうと常々思っていたから、この個室は衝撃的画期的だったよね。もしかすると都会ではこれがフツーなのかもしれないけど、米子ではねぇ。

 

もし私が透析患者さんで、自分が選べる施設がガッカリなものだったらどうするだろう?そもそも透析医療を受けて生き続ける、という事実を前に心も打撃を受けていて、積極的になにかを探したりするマインドからは程遠いような気がする。そんな心持ちでなら、目を閉じ耳を塞ぐように、自分の置かれた状況については思考停止モードに入って情報を探したりしないかもしれない。仕様がないからと諦めて、苦行を受け容れるような気持ちで。

 

昨日、施設見学の後、Mっちと一緒に赤坂の高級クラブ?「スナックひきだし」に行った。ここは日替わりでママがお客をもてなしていて、ママはほんとは水商売のひとじゃない。高級クラブ?は大人の社交場だからMっちはちゃんとご同席した紳士と名刺交換をし、ご挨拶をなさっていた。Mっちは私にお仕事をくれるくらいのお方だから「ちゃんとツボイも皆さんとご挨拶をして人脈を拡げなさい」と商売の神様のように促してくれたんだけど、フラフラ~と田端に行った私は名刺も持っていなかった。だから座り込んだままビールを飲んでいた。するとMっちは「このひとはちょっと変わったヨガのセンセイだから」と皆様に話してくださってそこから盛り上がって、Mっちの話術により話は成人発達理論やインテグラル理論まで膨らんでいった。

すると昨日のママが「私はふつうのヨガクラスが大きらい」と仰る。
そういえば他のクライエントさんも言っておられた。「ヨガいいよ」って勧めても「いやー、私はヨガはちょっと…」と言われるって。どんなヨガがこの世のスタンダードなのか私は知っているから、そりゃそうだろうな、と思える。

こんなんじゃないといいのに、と思ってみんな我慢してどこかの何かを利用しているのかな。実のところYogaの思想によると「今こうでなければいいのに」と思うことがビョーキなんだけれども、片や高品質で心地よく、私にどこまでも寄り添って愛をもって接してくれる人たちが現実的に存在しているのに、薄暗い部屋で放置されるように過ごし、作業のように決して“ケア”とは言えない何かを施されるのって、ここは怒っていいんじゃないの?いや、怒ろうや!!、と思う。

 

この現状にに怒ることができるのは利用する側のひとたちじゃなくて、その施設の運営側に立てる人たちだと思うのだ。こんなんイヤだろ!と誇りをもって仕事をするからこそ、私たち教師なら「仕事を選ばない自由」を発揮することができる。こういうときカネを第一のものとすると目が曇って道を踏み誤るから要注意。


だからこそ、私たちは独尊位の状態を取り戻さないといけない。
見るものと見られるものの混同という病から回復し、世界や物事、事象を正しく見る眼を育て養わないといけない。私たちがイヤな思いをして稼ぎ出すお金で生きているという幻想を採用している限り、ほんとうに誰かのためになる仕事をすることはできない。

私の心臓のなかにアートマンがいる。このアートマンが私を生かしめている。私のアートマンとあなたのアートマンは絶対者の下でひとつだ。私たちはいつも一緒にいて、一瞬たりともわかれたことがない。だから私がこうして生きていることに、ほんとうはお金の過多など関係ないんだという理に啓かれることができれば、全然関係なさそうに見える誰かのために怒ったり、おかしな場所をなんとかしたいと思える。

まだ会ったことのない誰かのために「こんなのイヤだよ!」って言える人のことを、私はすごく尊敬している。それはあなたが、自らが絶対者と共に在ることを知っている証だと思うから。

 

 

№599 スパイスはクスリ

くちびるのふるえはたぶん宝石をくわえて旅をしていたからだ  笹井宏之

 

 

 

3月11日
出張7日目。

東日本大震災から10年。あの日東京にいた。羽田空港国際線ターミナルで友達のますおちゃんとランチをした。その日の朝にはだいちゃんと飯田橋モスバーガーでモーニングを食べた。前日には聖地大崎のスタバで規夫師匠とセッションをしていた。14時過ぎのフライトで飛び、米子空港に降り立ったらみんながテレビの画面に見入っているから何事かと思い、映し出された光景を見て声を喪った。規夫師匠もしげにいちゃんも、その日会っていた友達もみんな無事だったので本当に安心した。震災直後でも米子からだと普通に電話が通じたので、しげにいちゃんの奥さんに安否をお伝えしたりしたことを思い出す。

急ぎ帰宅し、我が家にはテレビがないから、震災のことをまだ知らなかった家族に出勤を促し(現役自衛官は呼び出しがかかるまでぼんやり待っていたりしない)、ずっとラジオでニュースを聴いていた。こどもたちと一緒に。

その前の週には慧心師にお目にかかって8月のキエフ出張への希望を申し出、被爆地で平和教育を受けて育ったので被爆者の方には強い思い入れがありますという話をした。チェルノブイリで起きたようなこと(もっと悪いこと)が日本で起きようなんてそのときはまったく思ってもみなかったが、モノは(多彩な理由により)壊れ、人はミスをするということはなんの不思議もないのだった。

震災直後、支援物資を米子港に集めよう!という声が高まって、みなが色んなもの(毛布とか衣類とか食品とか)をもって殺到したが案の定大変なことになっていた。かつて膨大な量と種類の”モノ”を保管管理する専門職として働いていたので、ただモノだけがあってもどうにもなりはしないこと、モノには質が伴ってなければならないこと、保管や物流は人が想像するよりずっと緻密な仕事であることを知っている者として、この動きをものすごく批判的な目で見ていた。

人を助けたいとき、忸怩たる思いでそこにただじっとしていることが必要なときがある。動くべきときに動かないのはマズいけれど、動くべき時機の見極めは内的な感覚に従うのが良いのではないか。安っぽい罪悪感からドタバタしない方がいい。それはきっと目の前のひとのためじゃなくて自分のためだから。カオティックな状況で外の世界の事象に惑わされたらロクなことにならない。ただこのじっとしているというのがなかなか大変なので、こういうとき自己とともに今ここに座すことができる修行が、人には必要だと信じている。
というか、せめてなにかのためになるかもしれないと信じてYogaすることしか、できない。

 

 

 

さてさて、今日はホテルで事務作業の日。ずっと部屋にいるよ、と伝えるとぶーちーが遊びにやってきた。寮の食事はボリューミーだから普段は昼食を取らないそうだが、ママと一緒なら、というのでスリランカ料理のお店に行った。バナナの皮?に包まれた不思議なカレーだった。でもご飯は私の大好きなバスマティ米。現地のアーユルヴェーダ施設と関連があるらしく、かなり気合が入ったスパイシーなものを食すことができた。からい、というわけではない真っ当なスパイシーさ。

日替わりのアーユルヴェーダ茶がつくとのことで、今日はカルダモンのお茶だった。清々しいしい香りを持つショウガ科のスパイス。胃を健やかにし消化を助けてくれる。こういうお茶がちゃんと食膳に供される点も素晴らしい。

 

 

スパイスって薬だから。
アーユルヴェーダの専門家教育を受けていた数年間は、毎朝チャイを淹れて飲んでいた。前夜から仕込んで。今はあまり牛乳を飲まないので毎日チャイを飲むことはないけれど、生姜、シナモン、クローブ、ブラックペッパー、クミン、フェンネルくらいは常備して体調に合わせて使っている。手軽なのはフェンネルがいいよ!食後に一つまみをそのまま嚙む。消化促進になるし口のなかがサッパリする。神戸のインドカレー屋さんは食後にちゃんとこれを出してくるので「さすがだな!」と思う。フェンネルそのままだときついと感じる方は、細かく砕いた氷砂糖を混ぜると食べやすい。まあでも精製糖の害を考えるとそのまんま頂くのが良いと思う。生姜は粉末と生では作用が違うので、体質や効能に応じてチョイスするのがいいです。

*スパイス情報はこちらのサイトがわかりやすいです
https://www.ayurvedalife.jp/spice_of_ayurveda.aspx


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№598 身になるあぶら

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす  笹井宏之

 

 

 

3月10日

出張6日目。今日は青山と赤坂と新宿に出没した。ちょっとなんていうか、夢みたいな1日だったのです…思い出してもじーんとしてしまう。アルファ波増し増し、セロトニンが大量に出てテロメアが伸びちゃう。また若返ってしまうな。

 

 

新宿に向かう途中でふとJK剣士のことを思い出した。
JK剣士は面白い話がダイスキ。いつもそれを私に振って笑わせてくれる。テストの珍回答みたいなやつがお気に入りらしく、先日見せてくれたのは6つのひらがなを正しく並べて意味のある言葉にしてねという設問に回答したもので、「ねたきりいぬ」とあった。ああ、確かにうちも愛猫二匹(ぷりんともなか)の看取りをしたが、ワンちゃんだともっと大変だろうなぁという万感の思いに水を差された理由は、正しいとされる回答が「たぬきねいり」だったからである!なんと?!

 

ちょっと待ってよ、センセイ。昨今どこの小学生がこのワードを使うのですか?
鳥取県西伯郡南部町池野では裏口にタヌキの親子(母さんと子供2匹)が訪れ、雪が積もればうさぎやイタチの足跡が山から林へ向かっていた。夜になればフクロウが鳴き、雨が降ればカエルが山から川や田圃へ向かって行進していた。そういう世界でも「タヌキ寝入り」って不自然な言葉だよ。そもそもタヌキさんとそんなに親しくないし。タヌキさんはけっこう警戒心が強いではないですか。それより「あんこムシ(あんこは我が家の猫で、私のことを平気で無視する)」のほうが生きた日本語だね。

だから何が言いたいかっていうと、この現在の日本においては「ねたりきいぬ」の方がリアルだってことです。私がセンセイなら花丸に加えて特別賞「あたらしいことばがうみだされたで賞」を授与し、この言葉の普及に努めます。日常生活で活用するためにもっと含蓄があった方がよいと思うので、①天寿を全うする前の犬の状態 ②人が成長の途次において、変容前にぐったりしているさま という感じで使ってみてはどうか。用例:JK剣士は将来のことを考え、ねたきりいぬになっているね。 みんなもぜひ使って普及に努めてね!

 
 

ところで昨日、長女ぶーちーとデートをして寮生活のアレコレを聴いた。いちばんの驚きはカラダにできるシミと食生活に使用する油(食用の油脂類)に対する考察だった。

昨年10月に洋平先生と再会したとき、青汁で乾杯しながら先生が「ツボイはさすが肌がきれいだな」という旨のことを仰ってくださったのだが、そのとき私はテレて「あらあらまあ洋平先生ったらお上手ね(ハートマーク)」と反応したのだが、勘違いも甚だしかったことが判明した。要するに洋平先生のお心は即ち、食生活が調っていることが粗雑体で確認できますね、と私のプロ根性をお褒め下さったのであろう。なーんだ、ちぇっ。

 

おなじ寮で起居する若者と同じ釜の飯を食べ、同じ風呂に入るぶーちー。みな若いぴちぴちした大学生なのに肌にシミがある人が多く、衝撃を受けたというのである。たぶんこれは食事における油脂類の選択に原因がある(当然他の要因だってあるが、粗雑体的にはということ)。

人のカラダはYogaの人間五蔵論では「食物鞘」と呼ばれるくらいで、素材はすべて食べ物由来である(それを生かしめるのはプラーナの力)。人の細胞再生に脂肪酸アミノ酸は必須であるにもかかわらず、特に油脂類に関して多くの人はあまりにも無防備かつ無頓着である。
我が家では、食材のうち油脂類に大変な資金を投入している。良質な油脂を積極的に摂取し、その管理に十分な配慮をする。

サラダ油などと言う出自のハッキリしない油は使わない。加熱調理には飽和脂肪酸を用い、植物油はジュースと同じつもりで鮮度にとことん注意が必要。

ちなみにコーヒーは豆の油分等を抽出して飲むものだから、植物油と同じで鮮度がとことん大事。このことは度々ここでも語っているとおり。古い腐った油になっているから酸っぱいコーヒーがあったり、お腹が痛くなったりするんである(なんといっても私はエイギョウブチョー of CAFFE VITAですからね!えへん)。門脇師匠のところでは焙煎後すぐのものしか販売されないので、それを豆で購入して飲む直前に挽き、淹れたらすぐ飲んで、1カ月以内に飲み切る。

オリーブオイルはどういう方法で絞ったものかを吟味し、冬季以外は冷蔵の状態で輸送・保管されているものを用いる。ほんとうに美味しいオリーブ油は実に高価なので、そのままを飲むくらいの勢いで短期間に消費する。だからあまり買わない(買えない)。日本オリーブが扱っているトルトサはとっても美味しかったなあ。

揚げ物をする場合は菜種油を用い、使用後はすぐに廃棄で使い回しはしない(だからあまり揚げ物をしない。マーガリンなどという工業製品は口にしない(ショートニング、植物油脂を用いた菓子類も同様)。チョコレートは乳化剤不使用のカカオ70%以上のもの、バターは木次乳業か輸入物のグラスフェッド。他にオメガ3や中鎖脂肪酸オイルを摂取し、必須脂肪酸全体の摂取バランスを調整している。飽和脂肪以外の油脂は当然すべて冷蔵保存、未使用のものは冷凍保管する。

と、こういうことに気をつけていると肌にシミってほとんどできないものである。シミができてから高級化粧品とかエステとかで何とかしようとするよりも、ふだんから口にするものの方がインパクト大で効果も高い。シミだけの問題ではなく、体内の細胞再生すべて(特に脳)に影響があると思うと、口にするものを体外にある段階から吟味することの影響は計り知れない。食事とは即ちクスリなのだから。ただ、あまりにもベタ過ぎて、ほとんどの人は真剣に捉えない。ダイエットに関しても斯くの如くである。

ハッキリ言いましょう。ときどき教室に行ってYoga Asanaをやってるだけでは質の高い健康もパフォーマンスも手には入らない。体操はこの一瞬の姿勢や呼吸に、ダイエットは今この時あなたが口にするものの選択に還元されて、あなたに真の利益をもたらすものであらねばならない。
そして最終的には、物質的なものをすべて凌駕する力をもつ思考(無意識に考えている傾向)を二極の対立から解放し、至福の状態にしておかねばならない。体操・調気法・瞑想に加えて、理論・養生法までお伝えしなければならない理由はここにある。


よく肌のことを褒められるが、こういうわけがあるとは思ってこなかった。なるほどそういうことだったのね。かよちゃんきれいだねって言われてるわけじゃなかったのね、とほほ。