蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№609 エビの呪い?

一度にわれを咲かせるようにくちづけるベンチに厚き本を落として  梅内美華子

 

 

 

3月23日
大阪は梅田に行ってきた。宣言解除の翌日で、なんとなーく先月とは違う空気が漂っているような感。

新大阪駅の下(いったいどこが一階なのかわからへん)には美味しいお店がいっぱいあるよと聞かされながら、基本的に岡山&新大阪は乗り継ぐだけのところで駅構内から出ることがないため、どんな美味しい店があるのか私にとってはなぞのウワサ話の域を出なかった。この度はじめて「下」を訪れ「うどんすき」なるものをご賞味させて頂いたのである!

うどんすきっていうのはうどんっぽいすき焼きってことなの?となりの席の方々の前にギュウニクが運ばれてきているのをみて「そゆこと?」と思ったが深層は闇のなかである。私は規夫師匠とご一緒するとき以外はギュウニク&ラーメンを食べない。郷に入っては郷に従えという教えがあるように、駒込に行ってはヤキニクかラーメンということで襟を正して頂戴している。

そういえば去年、規夫師匠と洋平ゼミ有志との会食を企画した際、うちのリーダーが鶏肉以外召し上がられないのにヤキニク屋さんで会食をセットしちゃって、自分のテレパシー能力の低さに凹んだ。でも、みんながどしどしギュウニク以外のものをリーダーに勧めるのはいま思い返しても微笑ましい光景だった。テンパった私はわかめスープなどを飲ませちゃったけれど、ビールにわかめスープってどうなの?って今になって反省。ごめんねリーダー。わかめスープってやっぱり〆だよね。ちょっと乱暴だったわ。

 

で、うどんすき。
「生きたエビ入れますか?生きてないエビ入れますか?」って聞かれたので生きたエビを所望した。ところが生きたエビが収められた蓋つきの容器が運ばれてきた折、お店の方が「生きているので暴れます。暴れなくなるまで掴んで押さえておいてください…」と怖ろしいことを仰るではないか。ああなんてこと…そこまで想定してなかった。ご一緒させて頂いた方に「エビ、よろしくね(ハート)」とかわいく断固としてお願いしてみた。

たぎる出汁のなかで身悶えしつつ赤く染まっていくエビ。実に心痛む光景ではあったが、たとえ植物であろうともその存在の自由度が動物に比して低いだけで、いのちを頂いていることに相違はないのだから、「食べること、食べて粗雑体を生かし続けること」について改めて深く思いを致すことになったエビとの邂逅。すごくあまくて美味しかった。もしかしてストレスホルモンが出ると甘くなるのか?人間も同じ?

 


さて、なにやら昨晩からカラダが痒くてならない。
ちなみに私はアレルギーなどは一切ないが、ご馳走を頂いたりお酒を過ごすと皮膚症状が出る。「おいしいものたべると顔が腫れる」ってこどものころ言われていた。これって九州だけで語られている俗説?こどものころは腫れなかったが、数年前から腫れるようになった。子どもの頃はさほどおいしいものを食べていなかったということかな。いや、ちゃんぽんも皿うどんもおいしかったよ? 先日赤坂で超高級担々麵を頂戴した後すこし腫れた。その翌日も美味しいものを頂いたので、その晩更に腫れた。きっと私という存在には贅沢すぎる食だったんだね。

皮膚っていうのは排泄機関のひとつなのでこういうことが起きても全然不思議じゃないし、むしろ症状は出ない方がヤバい。症状というのは実に偉大なものなのだが、世のなかの人々からは不当な評価を受けている。いい仕事をしているにも関わらずイジワルをされるデキル人、それが「症状」だと私は思っている。せっかく顕れてくれた症状を無視したり押し込めようとすると、その「なにか」がどんどん奥に籠っていってしまう。たぶんイジけるのだ。私も元来気の弱い質なので、この”症状”のイジけ具合には親密な共感を覚える。

 

鍼の先生によると、症状が改善してくるとだんだん表に出てくるんだって。なので目で見て手で触れられるような症状は「ああ、自分で自分を浄化してるんだなー」と思って感激の涙とともに、いまそうであることをしっかりと味わっていればいいのだと思う。
ちなみに症状も病も、いや人間存在っていうものは、そんなに単純なものではないので「あれ食べた=だからこうなった」というようにはわからない。キッカケとなったなにかに、今の自分の状態やら何やらがかけあわさってそうなっているのであって、前と今回では原因も違うんだと思うよ?

鍼治療を受けるようになって今年で8年になるが、このアプローチは”毎回出てくる同じ症状の違った要因”というものに対する気付きをとても深めてくれる。Yogaを生活に取り入れるということは、実のところ日々体操をするようになるということではなく、体操という道具を通じて、いのちと直結している呼吸をなんとかできるようになって、更に、いのちの器である肉体をなんとかできるようになり、自分という存在をなんとかできるようになっていくこと。

この浅い到達点を「制感/プラティヤハーラ」という。当然もっと先もある。制感ができるようになってくると、鍼のような治療を、自分に対する洞察を深めるためのものとして活用できるようになると思う。ただ単に「おねがいしまーす!」という感じで使うのでは鍼の神様もYogaの神様も泣く。我々はもっと深いんじゃい!と怒っちゃうかもしれない。


痒みだが、JK剣士曰くこの症状は肉体由来ではなく茹でられ食されたエビの呪いだそうである。紅くなった皮膚を見て「ほら、エビみたいになってるよ…」と怖いことを言ってくるJK剣士。でも自分だって今日タコ焼き食べてたじゃないの。タコの呪いがあって、指がiPhoneから離れなくなるかもしれないよ。あーこわい。