蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№601 満たし満たされる

箱になるまえの私に会いたくて思い切りあけてもらいました  笹井宏之

 

 

 

3月14日

昨日某所で、悩める女子の味方〇センセイ(ワケあって特に名は秘す)にカラダを触ってもらった。って、いやらしい意味ではありませんよ?そういうことを想像したおじさんは反省してください。


私は右肩がどうしても内旋してしまう。他の部位と違ってなかなか意識するだけでは直せない。なぜかようなことになっているかというと、どうやら昔から可憐で体が弱かったため(今もだけど)右腕を無理に使ってきたかららしい。



そう言われると学生のときから右腕を酷使する活動ばかりしてきた。特にアレがいけなかったね、あの場所でのアレの操作。64式7.62mm小銃っていうのは約4,300g(弾倉及び付属品を除く)もあるのに、これを右腕だけの力で持ち上げないといけない動作がいろいろあって、それが特にいけなかったような気がする。

エライ人がジープに正装して乗り、しかも動く車の上で立って人がたくさんならんでいる前を通り過ぎる光景を何かでご覧になったことのある方はいると思うが、あんなときに「儀仗隊 ぎじょうたい」というにわかチームが担当の部隊で編成される。余談だが陸上自衛隊にはイケメンぞろいの常設の儀仗隊もある。国賓などをお迎えするときのためです。身長は高過ぎても低すぎてもダメで、イケメン・ハゲOKだそうである。帽子は脱がないからね!

さて、あるとき基地司令が変わりますよ、というタイミングでわが部隊にこのチームが作られたとき、その場所で初めて、そしてたったひとり、女子として加えてもらった。「モール」っていう肩の飾りや白い脚絆をつけた第一種礼装でキメて儀式に花?を添える。みーんなが見てる前で微動だにせず威儀を持ってあらゆる動作を行うって、いまふり返ると究極のロールプレイングゲームみたいでおもしろかった。

儀仗では涼しいカオをして何度も”捧げ銃/ささげつつ”(銃を持っているときの敬礼の一種)をしないといけない。しかも長い時間。ジープに乗ったエライ人があたりを回ってる(巡閲、っていう)間ずっと。左手は添えるだけなので重量は右手だけで支える。銃を肩にかけるための装具がついてるんだけど、それに手をかける感じで指を伸ばしている。ちゃんと胴体で支えられなければ、肩や腕にかなりの負担がかかる。

長距離を走るのは大得意で立派な大腿四頭筋を持っていた私だが、最近まで腕をちゃんと使うのは大のニガテだった(だから二の腕や脇が弛んでいた)。もう辞めて10年以上たつのに、当時のカラダのクセがそのまま居残っていて、右肩・右上腕の二か所にすごく硬くなってところがあることをゴットハンド・〇センセイが見つけてくれた。


毎日全身の重要ポイントをセルフアビヤンガしている私としては、この「コリ」が相当に手強いものであることがわかる。時間をかけて、急いでなんとかしようとは決してせずにほぐしいってあげないといけない。


誰のカラダにもだいたいこの「コリ」がある。でもそのことに気付いておられない方がたくさんいて「こういうもんだ」と思い込んでいる。それがホントに肉や骨だったら触っても痛くないですから。「コリ」だったら触れると痛むかイヤな感じがする。


“痛い・違和感や不快感がある・傷がある・傷跡が残っている”
こういう部位に対する特効薬がある。
「触る」「動かす」ということ。これに尽きる。
触れるのも動かすのも、生体エネルギー(Prana プラーナ)を動かすっていうことだから。

信じってコツコツやったら劇的ビフォーアフターを体感することになるでしょう。ホントだよ? 大事なのはやり過ぎないことと、毎日必ず少しずつ

先日も知人が美顔器?の購入をつよく勧められているんだけど…と悩んでおられたので、美顔器は人間の手にはゼッタイ敵いません!と断言しといた。痛かったり凝っていたり傷跡が残っているところには、健康なところ以上にエネルギーを送らないといけないし栄養もたくさん必要。なのにそういうところは組織が硬くなっていて必要なものが届かない。だから治らないし、変わっていかないという悪循環になる。そういう場合は、動かすことで血流を始めとする流れを生んであげる必要があるし、完全にカチカチになっているところは物理的に触れてほぐししてあげる必要がある。

 

実際に動いたり触れたりする一歩前にある大事なことは、
「自分でなんとかできるんだ」
「このコリや痛みなどは無くすことができるんだ」
と確信すること。この時点でもう半分以上治っていると思う。あなたが治ることを決めた瞬間に治癒は起こっている。残りは粗雑体に残った印象を消し去ることだけ。あなたが思ったとおりになってしまうから「大変そうだ」とか「時間がかかるんだ」なんて言う”物語”は不採用で前に進むこと。


わたしのカオを見て「毎日やってそれかよ~」とツッコまれたらなんと申し上げようもないが、自分で「イヤだなあ」と思っているところがなくなっていくのはほんとうに気持ちが良いし、もっとアグレッシブに気分が上がる。
肉体という粗雑体は思考と動きによっていかようにも変わる、と知ることは世界に対する態度を変えるためには格好の素材になると思う。なんとかなるんじゃん!と確信をもって思えるようになれる。


ここでの「動き」というのは、自ら動くこと・触れて動かすこと・ひとに動かしてもらうこと・ひとに触れてもらうことを含むと考えているので、じょうずに“他助”を求めることを忘れないで欲しいし、大好きなひとに自分のカラダの痛む場所や傷跡がのこっているところを触れてもらったらいい。そしてあなたも触れてあげたらいい。

あとは、からだの小さなポイントだけでなくもっと大きな枠組みでも、しあわせで安らいでいる感覚が毎日得られるようにしてもらえるともっといい。これもやはり「他者」が大事なカギになって「自己」が豊かになっていく。豊かな「自己」と繋がれる(=Yogaする)と「他者」のことも満たしてあげられる。

この世は海の潮の満ち干のように、満たし満たされることで生じているんだとわかりながら生きたいし、生きて欲しい。アートマンを通じて、あなたとともにわたしがいる。そしてわたしのなかにあなたがいる。いまここで、いつも。



癒してあげるポイントが見つかってほんとに良かった。ゴットハンドに感謝です。