蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№604 ささえられている

からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ  笹井宏之

 


3月17日
春ですね。
今朝はものすごく寒かった。寒いと「晴れか~」と思うよね。雪が降ると暖かいからね。もうそろそろ冬タイヤを換えないといけない。でもたまに4月に雪が降ることもあるから、みな空や大山を見上げながらタイミングをはかっていると思う。

今日はJK剣士から卓袱台返しについてご教授頂いたことについて書こうと思っていたのだが、朝からいくつもうれしいしらせが届いてフッ飛んでしまった。


まず本日は、我らが愛するゴッドハンド・Oセンセイのお誕生日!どんなに厳しい環境でも結果を出すことができる実行力をお持ちだという宿命のセンセイ、今年が飛躍の年となりますように。

次は、長女ぶーちーが成績優秀な学生だということで奨学生に選ばれたというニュース。これもすごいよね!昔から学費に関して親孝行なぶーちーだったけど(高校も特待生で月々3500円しか必要なかった。私立です、ホントのはなしです)母さんは鼻が高い、えっへん!2年生になったらようやく学校に通えるね。楽しんで!

 

そして、乳がんステージ4の患者さんとして一緒にYouTubeチャンネルにも登場してくれているさとちゃん。彼女は乳がんが骨と肝臓に転移しているからステージ4の診断を受けていて、昨年秋には元の主治医から余命10年ですとか言われた。その後、いい感じの病院に転院してホッとしていたところ。

今日、12時32分にさとちゃんから飛び込んできたメッセージ。
「肝臓の癌が なくなった!」

 

そのあとすぐにさとちゃんと直接話ができた。さとちゃんも少し涙ぐんでいたと思う。私は元来涙腺が弱いのでもちろん泣いた。

ちょうど昨年の1月からさとちゃんとのオンラインセッションが開始されて、春からはOセンセイとイケメンのKくんが加わってグループセッションになった。その過程でがんが転移して折れていた骨の再生が確認された。ふつうはないことらしい。でも肝臓のがんだけが大きくなっていて、なんでだろう?と不思議だった。その訳はとある生活習慣にあることがわかったので、さとちゃんはすごくがんばって生活を変えていった。お蔭で肝臓のがんが確認できなくなっただけでなく、胸のがんも骨のがんも活動してない状態に至ったという。

秋にしげにいちゃんが逝ってしまったとき、さとちゃんはすごく慰めてくれた。さとちゃんは私に泣くなと言わない数少ないひとのひとりだった。しげにいちゃんもお別れするには若すぎる年齢だったし、おなじがんという病だったからさとちゃんもきっと不安だったと思う。でもそんなことをいっさい感じさせずに、名駅の定食屋さんで私を抱き締めてくれた。

同じころさとちゃんの当時の主治医は、彼女に余命宣告をした。そのときわたしはしげにいちゃんの家にいて、しげにいちゃんはもう天にいた。奥さんとふたりですごく怒って、ひとの命のことが現身を持つ人間に見通せるはずがないと思った。しげにいちゃんも医師のことばに打ちのめされて力を奪われたことがなんどもあったんと奥さんから聴いていたから、真実ではないことばでさとちゃんの生きる力が弱まらないようにと祈った。

 

今日、さとちゃんが聴かせてくれた話には哀しいこともあった。

がん患者さんのお見舞いにいくと「引かれる」から行くんじゃないよ、と言われていた友達が複数いたんだって。人の不幸が我が身に火の粉のように降りかかることを怖れるなんて、トンレンの実践をしているわたしには思いもよらない。実に神話的なマインドで、1000歩譲って理解してやってもいいがそれをさとちゃんに言うのは人の在りようとしていかがなものか。あなたは、愛とか思いやりっていうことばの下に生きていないのか?

主治医と同じように様々なひとがこの世にいるのは当然。理性ではわかってるよ?でもわたしは、自分の身近にいるひとたちがこんな目に遭ったら泣いて騒いで暴れまわって怒りたい。こういう場面でヨーガ教師ヅラして「人は生まれることも死ぬこともない」なんて涼しい顔をしたくない。そんなことを言うやつの方が不幸を引くんじゃい!!と呪いの言葉をかけてやりたいくらいだ。オープンマインドじゃないと言われてもいい、それのどこがMoksha(解脱)の女神だと笑われてもいい。だれかがいったその言葉は、きっといつまでも残滓としてさとちゃんのなかに残って彼女を哀しませるだろう。

お願いだから、そんなことばはぜんぶ黒いけむりにして吐きだして私のところに送って欲しい。すべて私が吸ってしまってなにもかも絶対者にお返しするから。


今日は、わたしのなかのちいさいいきものがだれかにあまえたくて泣いている。さとちゃんはわたしの生徒さんでありながら、おともだちとしてわたしを守ってくれたり泣かせたりする。今日のこのよろこびの波をたのしんだあと、私もさとちゃんにあまえさせてもらおうか。

人のかかわりというのは海の波のようにひいては返すもので、私は私のまわりにいるすべてのひとにささえられ、そうすることでちからを得てだれかをささえ返す。甘えたいときに甘えられずにションボリすることもまた、愛を寿ぐ行為のひとつなのだろう。

さとちゃんは強運だとわたしはいつも思っている。多くのひとがさまざまなかたちで彼女をささえている。さとちゃんもいまはそのことに気付いていて、その気付きがもたらすよろこびの大きさに私も胸が震えるようだ。

そしてその強運にはしげにいちゃんも間違いなく加わってくれていると、私は信じている。ありがとう、しげにいちゃん。あなたに起こってほしいと願った奇跡が、さとちゃんの身に訪れたよ。ありがとう。