蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№597 国家資格の闇

左手に携帯電話ひらく朝 誰より早い君のおはよう  笹井宏之

 

 



3月9日
出張…何日目?
山手線の北側でなにがあったか書いてなかった。

山手線の北側・秘境田端には例の秘密の場所があるがそれだけではない。規夫師匠が住んでおられる。田端はすごいところなのである。最近大崎に泊まってないから(宿が古すぎてちょっとねぇ)、聖地を大崎から田端に変更しちゃおうかな。


毎月の上京の際、なるべく師匠の御顔を拝するようにしている私。それでなにするのかって少々お話させて頂くくらいのことなのだが、愛の人・規夫師匠に癒され喝を入れられ、またがんばろーっと思って山手線の南西側へ帰ってくるのである。

 

今回はどんなことをお話させて頂いたかというと、つねづね加藤ゼミ医療チームメンバーのなかで噴出する話題、「国家資格の闇」について。

 

私はヨーガ教師でありヨーガ療法士。所属学会の認定を保有、維持し続けているとはいえこれは民間資格。「インド中央政府ヨーガ指導者国家試験(QCI認定)」には合格したが、日本国内ではそんなの意味あるようなないような?

10数年前初めてヨーガ・インストラクターの勉強をしたとき、同窓生は40人いた。ヨーガ療法士の勉強をした時も約半数の20人は残っていた。そして10年の時を経て資格を維持し、かつ指導を行っているのはたったひとり私だけである。1/40。かように民間資格者は、故郷の川を目指して遡上しつつも熊に食べられてしまう鮭のように激しく淘汰されるが故に、打たれ強いヤツだけが先生としてサヴァイヴしていく。

周囲を見回してみるとどいつもこいつも相当なタマのお方ばかりである。私以外。この過酷な世界で私のように気も声も小さいものがよく生き残った。自分で自分をほめてご褒美にビールを飲ませてやりたい。

 

ヨーガ教師以外には、美容師さんや保険の営業の方々も激しい淘汰率の中でサヴァイヴしておられる。とってもいいことだと思う。ところがどっこい、チームメンバーの周囲でなんちゃって民間資格のクセにエラそうに逞しく生きているのは私だけで、他のお二方のそばには国家資格保有者がたくさんおられるわけ。そしていつもお二人は苦悩の雄たけびを上げておられる。


国家資格、それはズバリ「食える資格」。もちろん全部がそうだとは言いませんが、一部にそういう“食える”国家資格がある。取得と病院等への就職がガッチリ結びついている手堅い資格のことです。
では資格を取ったらすぐ食える場合いったいなにが起こるかというと、大方の国家公務員と同じようなことが起こる。私はむかしこの世界にいたからすごくよくわかる。大多数の人がほんとに勉強しない。必要ないから。努力する人をせせら笑うような空気もある。まあムダなことに見えるんだろう。

なのでS堂リーダーとO先生はいつも吠えている。現実的にいろいろめんどくさい事象も起きているご様子。ちょっとここには書けない。闇だから。
このお二人のご様子を拝見していると「あー、国家資格保有者じゃなくてほんとによかった」という超!前向きな気持ちにさせてもらえるので、私の精神衛生には非常に役立っているが患者さんのためにはぜんぜんなっていない。

 

昨日はこのことについて規夫師匠に愚痴った。ホントは私の愚痴じゃないんだけど、私たちはチームメンバーとして一蓮托生というか毒を食らわば皿までっていうか?とにかく仲間の苦悩は私の苦悩であるからして、また聞きの愚痴を私が規夫師匠に愚痴った。

そしたらさー、規夫師匠が優しいことを言ってくださって…感動の涙が大山鶏の塩ラーメンに落ちそうになった。私はチームのお二人を猛烈に尊敬しているので、このお二人の苦悩に、敬愛する規夫師匠をドーン!とぶつけて何かがなんとかなって、結果的にたくさんの患者さんがしあわせになってくれたらいいなあとほんとに思っている。この「なんとかなった」後日談をいつかここで語れることを心の底から願っている。

この国の、とかいうような大きな枠組みじゃなくてまずはいい。この秘境田端のクリニックで、ということでいいから。こういうことに諦めず向き合い続けた人の思いが波動となって、きっとこの国のなにかを少し変えていくことができるよ、いつかきっと。

私たちのリーダーがいつも「公益になれば」と仰るけれど、こんな人がちゃんとこの世にいることはとてもとても凄いこと。リーダーは菩薩さまか薬師さまの生まれ変わりなんじゃないの?と私は睨んでる。だからリーダーがんばって!私たちちゃんとついて行きます!(O先生がうんうんと頷いているのを感じる)

 

 

ちなみにヨーガ教師のリクルートは絶対者ブラフマンがやっておられる。この方からオファーが来たらお断りすることはゼッタイにできない。命取りになるので、ご指名を受けた人はもう観念して、私と一緒に頑張っていこうじゃありませんか。たとえ食えなくてもせめて来世に得を積もう!たぶん来世以降でなにかきっといいことあるよ。イリオモテヤマネコに生まれ変われるとか?カッコいいよね、ワクワクするよね。

 

 

№596 規則やぶり

雨ひかり雨ふることもふっていることも忘れてあなたはねむる  笹井宏之

 

 

 

3月9日
出張…5日目か。
今日は長女ぶーちーと感動の再会。の前に麹町でお仕事。そして人生初担々麺をご馳走になった。「ラーメン=B級中華萬龍軒」の私にとって、麹町・超豪華中華の担々麵はすべてが驚き。まずは価格がににに、にせんえん!こんな拉麺をご馳走になって良かったのだろうか…萬龍軒の夜定食はご飯をぜんぶ食べちゃったら消化不良になるくらいのボリューム(カラアゲ大2個付き)で900円(税込)。しかも、人生でなかなかない”連日拉麺”だったのだが、昨夜敬愛する規夫師匠にご馳走になってしまった塩ラーメンも萬龍軒の夜定食900円税込を超える価格だった。東京の拉麵文化おそるべし。間違いなく鳥取の拉麺偏差値は低い。ハップンせよ!鳥取の拉麵たち!

 

さて、感動の再会。南北線目黒駅で落ち合ってシェラトン都ホテル東京へ。ぶーちーは八芳園でバイトしたいんだって。どんな場所にあるのかも知らないみたいだから連れて行って(前を通り過ぎて)、お気に入りのカフェで素敵なお庭を見ながらお茶してみた。このお庭の向こうに、八芳園はあるんだよ。

八芳園っていえば、亡きおにいちゃんと出会ったときの仲間・だいちゃんがケッコン式を挙げたところ。そのとき、水木しげる先生のお筆によるラベルがイカした「のん氣にくらしなさい」「なまけ者になりなさい」という焼酎に、おにいちゃん含め三名の連名、しかもニックネームで「しげ、ますお、隊長」の熨斗をつけて送った記憶がある。今オトナになってふりかえるに、いくらだいちゃんは気心が知れた仲間とは言え、あれを八芳園にまで送っちゃうのはいかがなものだったろうか。お遊びが過ぎたんじゃなくて? だいちゃんが奥さんのご実家の方から白い目で見られていたら可哀相。ま、でもこの前会ったときもだいちゃんはいつもどおりだったし、もうそんなん時効よね。

 

 

そう、時効といえば。
ぶーちーは鳥取県民しか入れない女子寮に住んでいる。目白にある清和寮、乙女のみが住む園である(たぶん)。先日ぶーちーは、その寮にかつて住んでおられた先輩からお話を伺ったとのこと。あらゆる規則というものは破られるためにあるのであるからして、先輩方の武勇伝もなかなかのものであったらしい。

寮~規則、ときて私の存在のなかにデジャブが起こった。はるかむかし、これとおなじ光景をどこかで見たことがある…そうあれはK空J衛隊のH南基地。わたくしがまだ逞しい大腿四頭筋を持っていた22歳の頃。

 

一般業務をしばしおやすみして学生として気楽に生きている期間が、自衛官にはあった(いまでもあるのだろうが)。ガッコウが各地にいくつかあって、階級が上がったり専門業務で次のステップに上がるときなど節目節目でガッコウに入る。そのガッコウはかの場所では「教育隊」と呼ばれている。

デジャブで浮かんだのは、スタッフ・サージェント(という階級)に昇任したら入るガッコウのこと。みんなあんまり知らないけど、下士官の場合採用されたからって定年まで勤められるわけじゃなくて、このスタッフ・サージェントになれるかどうかが人生を分ける。昇任できずに任期で退職していく人もいっぱいいる。めでたく昇任したらガッコウに入らねばならない。採用され入隊したときには下士官として「命令される側」の素養を身に付けるが、ここでは「10名程度の小グループの指揮官」としての振舞を学ぶ。指揮”する”側になるワケ。

ちなみにここでの経験って、今私がセンセイ業をするのにすごく役立ってる。私のインストラクションの圧がすごいっていう人がいるけど、それは声だけで人を従わせることができることを知っているから。時にそういう声のもつ力が圧倒的に人を安心させる。ホントはまじでヤバい状況のときに「大丈夫だ、安心してついてこい。絶対死なせない」と、ドスの利いた声で断固として言ってやれる人で私はありたい(いつもは違うよ)。そしてその力強い声を発することが、状況をホントに動かすかもしれない。

J衛隊のガッコウ、猛烈にしんどかったけどおもしろかったなあ!
班対抗駅伝(複数人で組んで走る。誰も脱落させない)、翌年夏に死人が出た10キロ走(ホントです)、マジで突いたら先輩が吹っ飛んだ銃剣道競技会、風邪で39℃の熱を出し泣きながら指揮した教練(気をつけーとか敬礼!とかやるアレ)、リーダーとしての実力が丸裸にされ「あゝ、こいつと一緒にゼッタイ戦争いきたくない」という人が明確になるむつみ演習(陸上自衛隊むつみ演習場という山の中で二泊三日かけてやる戦争ごっこ)。

 

学生99名のうち可憐な女子が10名。最年少のわたくし。たぶん四階建てだった隊舎の、二階にある女性自衛官の部屋に酔って迷い込んだ男子学生がこっぴどく酷い目に遭わされたことも懐かしい。

そしてこの度心によみがえってきたあのこと。もう時効よね、言ってもだいじょうぶよね。

「指定場所に居住する義務」がある自衛官は、基地から外に出るには「門」を出なければならない。「門」を出るには「許可証」というのがいる。「門」には「ケイエイ」という人がいて身分証明書と許可証をチェックして、入っちゃだめな人を入れないように、また、出ちゃダメな人が出ないように見張っている。

あるとき、ホントは外出しちゃいけないことになっているひとを外出させるために、ちょっとした細工をした。当時の外出証は、板チョコ2カケくらいのサイズのプラスチック製だった。それを基地外周の堀の外から柵のなかに投げ入れて、複数人で再利用して外出したのです。行きは良かったんだけど、帰りにその札がお堀に落ちちゃってねぇ。明け方までかかって男子数名が探しあて事なきを得た。これ、バレたらマジでマズイやつ。「脱柵」といって懲戒処分もんですから。でももう時効だしね!総員99名異状なしだよね。

規則やぶりは、これくらいの気合と迫力をもってやって欲しいものである。二極の対立とともに、いつかどこかで誰かが定めた規則をも超越せよ。ぶーちー、レッツエンジョイ寮生活。

ん?今日はYogaの話は?

№595 才能?

ゆびさきのきれいなひとにふれられて名前をなくす花びらがある  笹井宏之

 

 

 

3月8日

先日JK剣士がご立腹になった件について書いてなかった。
実のところJK剣士はファンが多いようなので(カッコいいからなあ)、このことを書き忘れていることについてご立腹の方がおられるかもしんない。ちゃんと書かないと次会ったとき叱られるから、今日書きます。後半で書きます。

 

押し入れの片づけをしていたら、長女ぶーちーとJK剣士の七五三の写真が出てきた。人生において制服以外でスカートなんて持ってもいないJK剣士だが、三歳時の七五三ではちゃんと振袖を着ている。が、しかし。手に持っているのは「刀」である。刀…? そしてその写真を撮った直後、振袖を着ているのがイヤさにぽろぽろと涙を流したため、サッサと普段着に着替えて今度はバイク(刀と同じくおもちゃ。だけどなぜかBMW)に跨ってビシッ!とキメてぶーちーと2ショットを撮っている。すごい眼力で。大きく引き伸ばされて写真屋さんのウィンドウを飾った思い出の写真である。

JK剣士はあの頃から剣士だったんだなあ。もし学校剣道から足を洗ってJK剣士じゃなくなっても、剣士としての魂みたいなものはずっとこの子のなかにあるんだろうね。そんな気がする。

JK剣士は進むべき道についてめちゃくちゃ悩んでいる。ところが我が家はハハがこんな感じなので、「行くべき道は今ここに!」とかいうような一般的には何の役にもたたないアドバイスを平気で(アドバイスですらないのに)してしまうから、JK剣士の葛藤はいや増すばかりである。ひどいよねそのお母さん。どんな人だろ、一回会って文句言ってやらなきゃ。

…だってさあ、JK剣士はオトナのウソは見抜く眼力をもっている。だからハハとしてもウソはつけない。高校は卒業するべきだよとか、次はインハイ絶対あるよ!とかウソでもないかもしれないけど真実ではないでしょう。だからハハのなかにある最も真実に近似した言葉を(しょせん言葉にしか過ぎないれども)伝えるしかない。

即ち「絶対者のお仕事は緻密にして完璧であり、偶然はない」。
これをJK剣士向けに翻訳してみまして「今、そうであるってことが答えだ」となる。

考えすぎるな、逃げるな、ジャッジするな。小さな自分が考えた、一見よさ気な結果を探しに行くな。君の毎日使うトイレの壁に道元さんの言葉が書いて貼ってあるよ。「己のはからいなし」とか「人の悟りをうる、水につきのやどるがごとし、月ぬれず、水やぶれず」とか。その言葉たちが言おうとしていることをうんと考えてみて欲しい。

ほんとなら、今この瞬間リアルにそばにいて何も言わずに抱きしめたい。今それができないこともまた、おおきなもののはからいだと思う。だから今このようであることを信頼したい。心の中で戦争が起こっていても、それをもっと大きなもので豊かに支えていたい。がんばれ、JK剣士。

 

 

はい、ご立腹の件です。ご立腹して保健室経由で帰宅して来られました。それをハハがあたふたと迎えに行ったのです。なんといっても境線は電車が1時間に1本しか来ないからであります。

なんでそこまで怒ったん? 

朝、登校すると、教室の黒板にこんなことが書いてあったんだって。メモをもらったのでここに書き写してみましょう。

才能+努力=成果・結果
才能なし+努力=成果・結果なし

あるセンセイが書いたそうです。これを見た瞬間、カッ!と頭にきてすぐに帰りたくなったがとりあえず話は聴いてみるかと思って1時限目は堪えたそうな。センセイはこう言った。「才能がないやつがどんなに努力しても無駄なんです」。そして自分の経験から何某かのことを語った。JK剣士は「気分が悪いです」と言って保健室に自主避難した。気持ちはわかんなくもない。

私のおともだちには人の成長発達に関与しているひとがたくさんおられるんですが、はてさてこのセンセイのリロンに如何に向き合いますか。まあここでセンセイが才能っていう言葉をどんな解釈で捉えてんのかとか、センセイの世界観とかいろいろな視点があるでしょうが、しかし。

こんなことを聞かされたワカモノはどんなことを思っているんだろう。まさかその場にいる子らがみんな「そうか、そうなんだな」と思ってる訳もないとは思いますが、まさか万が一、朝一番の授業だからちょっと寝ぼけてて心のハードルが低かったらスーッとこの魔法の言葉が存在に刻み込まれちゃうかも。それはとても恐ろしいことだと思う。私はきっとこの話を規夫師匠にしちゃうだろうな。でも一瞬で終わるだろうな。

 


なんだか後味の悪いハナシで、私もどうお仕舞にしたものか悩んでいる。なので最後に道元さんのお言葉をもう少し紹介して終わることにしよう。

「ひろくおほきなる光にてあれど、尺寸の水にやどる。全月も弥天も、草の露にもやどり、一滴の水にもやどる。」

この部分が私は大好き。どんなにちいさな柄杓で汲んだ水のおもてにも、月はやどる。わたしのなかにもきっと月がやどる。

さとりは難しくない。自分がなににも囚われていないと知ること、この恐ろしいばかりの自由のなかに生きていることに向かい合うこと。自由だから、この自由をわかちあうために、言葉という不自由な道具や肉体という限りある道具を用いて、まるで別のいのちを宿しているかのように見えるひととわかりあおうとする。触れあおうとする。
そしてそこで気付く。わたしたちはおなじ月の光を宿したもの同士であって、わかれて存在しているように見えるだけで、ひとつであったことを。

私たちはずっとひとつであったことを大きな安心とともに思いだす。それがさとり、そしてYoga。

正法眼蔵」現成公案の巻に載っている言葉です。ぜひどうぞ。

№594 シンクロニシティ②

くぎ抜きで君を抜いたらそのあとの愛が竪穴状で鋭い  笹井宏之

 

 

 

3月8日
えーっと、出張4日目?この世のどの場所に存在していてもいろんなことが起こるね。
JK剣士は大荒れだし、心優しいオタクには転機がやってくるし。

昨日は休養日にしていたのでホテルの部屋に籠っていたのだが、おにぎりと水を買いに出たらすごく寒くてビックリした。ホントに季節の変わり目の出張は悩ましい。今日は遥々山手線の北側まで出かけていくので、寒さで遭難しないように気をつけないと。でも行った先ではさ…へへへ。この先は明日書きましょう。ふふふ。

 

 

さて、大変お待たせ致し?ました。先日、マスターマリコに遠隔ヒーリングなるものをやって頂いたその顛末記を書いておこうと思います。現在絶賛モニター募集中とのことですので、奮ってご参加の上、マスターマリコのバージョンアップに積極的に関わってこの迷妄の世界を住みよくしていきましょう!


マスターマリコとは常々テレパシーでやり取りをしているので「遠隔」と言われても「ああ、あのいつものやつ」と思ってしまったがたぶんちょっと違うんだろう。
キネシオロジーをベースにしたヒーリングとのことで、私の感覚としては

キネシオロジー+靈氣+テレパシー=なるほどそういうことか!」

という感じ。通常90~120分かかるそうだが、例によって例のごとく内的イメージのつかみ取りが得意な私は60分弱で済んでしまった。

 

って何のことかさっぱりわかんないでしょう?!

キネシオロジーをものすごくザックリ説明すると「カラダにウソはつけない/カラダはウソつかない」ということを活用した手法…だと思うが、専門家の方に先に謝っておきます。よく知らないクセにごめんなさい。

思っていることは必ず現象化している。
という表現だとちょっとアヤシイから言いかえると、思考は肉体に反応として間違いなく現れている。キネシオロジーではこれを他者が感じ取る(読み取る)ことができる。Yogaはこれを自ら感じ取って自分の内外を統合させていくわけだけれど、練習を積む必要があるし時間がかかるから人に読み取ってもらうのは便利だよね。

体験してみるとすごくおもしろかった!
最近の私は靈氣のお蔭か、自分の感情エネルギーを実際の「モノ」と同じように感じ取ることができるようになっている。例えるならば、脚を虫が歩いていたらさすがにわかるでしょう?あんな感じである。ちなみに今日の気分は超絶悪い。あることを原因として自分のなかにイヤなものが蠢いているのがアリアリとわかる。夢もそのことを示唆していた。

私にとってこの度のヒーリングは、自らの内外をどのポイント(感覚)でフィットさせると自己とのあいだに乖離が生じないのかを理解させてくれた。思考はすぐに嘘をつくがカラダの感覚はウソをつかない。「思っている」ことは「考えている」と「感じている」が混然としている。自分のなかにふたりのひとが存在しているように。たぶん経験からいっても感覚に従わないとロクなことにならないが、時折思考が感覚らしく偽装(擬態?)していることがあるから厄介なのである。


私は人の潜在的ニーズをキャッチアップするのが天才的にうまい。小さい頃からそうやって生き抜いてきたので(そうでなければ生き延びられなかった)、生存戦略として重要な能力だと無意識に思い込んでいるフシがある。しかも現在、職業柄この特性が役立っているので、まるで最高にいいことのように自分自身誤解している様子。

しかしこの能力を遺憾なく発揮すると自分のなかで乖離がおこる。Hさんのところで生存が確認された7歳児の自分と、ソツなく生き抜いてきた自分のあいだに戦争が勃発する。それで今日は超絶イヤな気分なのである。あちらとこちらが向かい合い、睨み合っている。一触即発、丸めた紙玉くらいはすでに投げ合っている気配。飛んできた紙を開くと「ばーか!」とか「もう遊んでやんない」などと子供じみたことが書いてあるが、双方真剣なので冗談では済まんのである。

それを統合するために私は7歳児の味方でいなければならないし、感覚もそうと言っている。でもできないのである。7歳児の喜ぶように実際の行動や発言をすることがどうしてもできない。慣れていないからだろう。ただし、ほんとうはどう思っているのか、どうしたいのかはわかっていて、戦闘状態を“イヤーな感じ”として感じ取れるのは、間違いなく私という存在が統合へ向かっている証拠である。

 

 

Yogaなどで自分に取り組んできて、いまこうやって「私」そのもののなかで起きていることを俯瞰していることができるが、ここまでの時間も取り組みも膨大なものだったから、マスターマリコのような方に頼って自分と向き合うのは多くのひとにとっての助けとなるだろう。

昨日JK剣士もこのセッションを受けたとのことだが、葛藤の大海原に投げ込まれて大荒れになっていた。生きるということは一筋縄ではいかない。

今、わたしのなかで勃発している戦闘から飛んできた流れ弾に当たって「ばか」呼ばわりされたひとには大変申し訳なく思っているが、ほんとにこころのなかで思っていることを、どうしても口に出せないからそんなことになってしまうのである。今、必要なのは言葉を引き摺りだしてなんとしても伝えることなのか、それとも言葉の排除された領域で触れ合うことなのか。いや、たぶん、双方を含んで超えることなんだろうな。

 

今日はちょっとカタい話になっちゃったね。まあ今戦闘中なんで、ごめんなさいね。シンクロニシティとは何の関係もないようだけれど、すべてが共時で起こるんだとすれば、マスターマリコとのセッションと心的戦闘状態は深いレベルで関連している。あと数日すればそのことにハラの底から合点がいくだろう。

マスターマリコ、いつも本当にありがとうございます。
今、テレパシーで愛を送りました。あ、もう届いた?よかった。
早くリアルで会いたいです。帰国待ってます。

 

 

 

 

№593 ひとりを通じて

ばらばらですきなものばかりありすぎてああいっそぜんぶのみこんでしまいたい 笹井宏之



3月7日

よいこのみなさん、げんきにしてましたか?
神戸でふらふら、静岡でふらふらしていたら、いつものようにブログがアップできなかった(日があった)。

のぞみの止まらない静岡からひかり520号に乗り、昨晩遅くようやく五反田に辿り着いた。既に品川駅の新幹線改札口を出たところから、ションボリして泣きそう。元来繊細な質なので容易にションボリモードに入ってしまう。

ワケあってこの度荷物がとても多い(道中助けてくださった皆様、本当にありがとうございました!)。なぜそんなに荷物が多いのかは来週末にタネ明かしされるので今はナイショである。とにかく五反田駅徒歩6分を歩くのもイヤ、というかムリだったので迷わずタクシーに乗ってようやくヨロヨロと宿に辿り着いた。そんな状態なのにちゃんと五反田駅のションボリ成城石井(店舗が小さい)で例の杏仁豆腐はゲットしたのだが、あまりに疲れすぎていて食べることもできず仕舞い。
苦労して運んできた荷物を本日使用したときは、実に至福の思いだった。ああ、人様の手を煩わせつつ苦労した甲斐があった…詳しいことはまた今度ね。

 

さて昨晩ひかり520号でなんとか無理やりアップしたブログに対し、年少の読者Bさん(20歳、目白在住)が「楽しみに待っていました」というお言葉をくれて、ああさみしい思いさせちゃったのねと深く反省した。

 

ところで昨日O先生の教え子さんとのセッションを行ったのだが、なぜかような命名に相成ったか(ジョニー・デップK田、敬称略)というと、セッション中はわかんなかったのだが後程一緒に海鮮丼を食べるときマスクを外したそのお顔が、まさに「君はパイレーツオブカリビアンか?!」という感じだったのである。会話するフリをしながらその顔をマジマジと見てしまった。髪型・目力・髭=パイレーツオブカリビアンジョニー・デップK田である。

ところでジョニー・デップ(ホンモノ)と私がこよなく愛するニコは仲良しなんだそうだが、今朝S田さんが衝撃ニュースを教えてくれた。「ニコラス・ケイジ(57)が日本人女性と結婚した」、5回目の結婚である。日本人女性?ん?おかしいな私は今ここにいるのに…。しかも出会いは滋賀県だというではないか!滋賀があるなら鳥取もありえるよ、と長女ぶーちーがなぐさめてくれる。5回目があるなら8回目くらいには私もお鉢が回ってくるかもしれない。

もしかしてついてこれていない人がいるかもしれないので解説しよう。私はニコラス・ケイジのファンである。「好きな俳優は誰ですか?」というよくある問いには当然迷わず「ニコ!次点はケヴィン・ベーコン」と答えるのだが、必ず笑われるのはなんでなんだよう。実に腹立たしい。ニコは間違いなく奇才である。なにが好きかと言われれば、「なんでこんなことになってしまったのかぁ!」という苦悶の演技が最高だから。のた打ち回るように激しく生きるオトコっていいよね。胸がきゅーんとするよ。背中に手を当てて靈氣をしてあげたくなる。

 

 

今日はシンクロニシティ②について書くつもりだったが、やはり無理そう。リーダーやO先生から聞いた資格の闇についても書きたいが、出張中はネタが多いので順延になってしまう。

今日どうしても書いておきたいのは、合宿中に投げかけられた“プライベートセッション中心の仕事に対する効率性”について。似たようなことはほかのところでも訊かれるから。
私はラージャ・ヨーガの道にご縁頂いたものとして、当然ながらカルマ・ヨーガも含んで超えて生きている。絶対者に示された道がプライベートセッション中心であるのならば、四の五言わずにその道を歩むだけ。

ちょっとマジメな話をすると、カルマ・ヨーガの聖典「バガヴァッド・ギーター」に示された主要な教えは以下の二つである。


①二極の対立を克服せよ

②結果を求めて行為するなかれ

だから効率を考えちゃうとそれはヨーガじゃないかな。あと、1対1でも1対多数でも、私は各人のなかにアートマンとして存在する絶対者ブラフマンにご奉仕しているのであって、永遠にたったおひとりに対する指導をしていても、そのおひとりを通じて万処に遍在するものに関与しようとしているのだと思う。そう信じている。

そういえば昨日ジョニー・デップK田(敬称略)にも「なぜYoga指導においてダルシャナ(対話)が必要なのか?」というようなことを尋ねられた気がするが、その問いに対する答えもこれと同じである。私はその方を通じて絶対者と共に在りたいのであって、アプローチする方法はYogaじゃなくったっていい。でもYogaを道具として与えられたのも絶対者の思し召しであるから、この非常に狭い領域を通じて出会うことになった理由をなるべく理解した上で、一緒に体操なり瞑想なりをしたいではないですか。

ということで、明日はシンクロニシティ(マスターマリコとのセッション)について書けるといいな。


 

№592 静岡の理学療法士さん

 

3月6日
新幹線が名古屋を出たところ。今は静岡に向かっている。
これからO先生と合流し、はじめてお目にかかる方とセッション。

昨日は洋平ゼミ関西合宿だった。関西メンバーズを代表するA木さんの素晴らしさが遺憾なく発揮され、22時に「かみさんがまっとるから」とウソかホントかわからない言い訳を残して去っていったとき、なんだか急にションボリしちゃったな。やはり毎日古墳をめぐりコーフンしつつホラ貝を吹き、修験の道でシッディ(超能力)を手に入れんと努力している男はハンパなかったわ。

東のもっち、西のA木という二人の偉大な才能が確認され、自分のダジャレとボケツッコミのライン発達の低さに衝撃を覚えた合宿だった。「今ツッコむとこやろ!」と厳しい指導を受け、「こんなん常識や」とダメ出しをされたときには自分の未熟さに思わず泣きそうになってしまった。ボケツッコミの虎の穴があったら入塾して修行をしなくてはならないのではないか。そうすることで私という至極マジメで小心な人間にもダイナミクスが生じ、自分というものの世界の多様性が増すかもしれない。


今回の合宿のキーワードは現在流行中の「鬼滅の刃」。そこから話題を膨らませてマインドフルネスやシャドウについて対話を行い、私も最後にAsanaを用いて心身を鎮める実習指導を行った。
大変申し訳ないことに私はこの「鬼滅の刃」にほとんどと言っていいほど触れていないため、「全集中の呼吸」という非常に重要らしいワードのことも理解していないのだが、ここまでの皆様の対話や提示された資料を拝見しながら「きっとこのようなものであろう」と天からビビーと降りてきた妄想に従って、全身を用いて意識化を十分に為しながら、雑念や外界の事象に気を逸らさずに集中することを体験して頂いた。

やはり肉体を通じての実践は絶大なパワーがある。人を変えずにおかない説得力を持ったパワーだ。しかしながらこれは、ウィルバーも言っているとおり、聞くのとやるのではまったく違う。ときどきサラッと体験してやった気になってみたり、地図だけみてその地を訪れないのではもったいない。実際に身体を動かして体得したなにかは人を裏切らないと、私は信じている。ここは愚直に学び、愚直に毎日実践することでしか見ることのできない世界をぜひ見て欲しい。

…………………

静岡でセッションを行い、今は品川に向かう新幹線のなか。

O先生の後輩にご紹介を頂きセッションを行った。鋭い眼力と熱いハートを持ち、ハートの熱が熱すぎるが故に不整脈が出てしまうイケメン理学療法士を、私はジョニー・デップK田(敬称略)と命名した(すみません、いつもながら生意気なことで…)。

思い詰めて就寝中に胸痛が出ることのある私には彼の苦しみがよく理解できる。しかし彼と私の違うところは、ジョニー・デップK田が「あ、おかしい。怖い。」と真っ当な恐怖心を抱くのに対して私は「痛いなー(棒読み)」と思いながらそのまま寝ちゃう点である。私のピュアな恐怖心はいったいどこに消えてしまったのか。だって怖くないんだから仕様がないよな。しょせんカラダなんて皮みたいなもんだから、どうってことないじゃん?

しかしまあこんなイケメンでは、そっと触れられただけで痛いの痛いの飛んでいってしまう女子(年齢問わず)がたくさんいるのではないか。静岡の理学療法士さんの質は怖いほど高い。さすがO先生を生んだ土地である。しかもジョニー・デップK田はO先生の教え子だというではないか!O先生へのリスペクト増し増しである。

静岡駅のカフェでご自身はケーキ(ロールケーキなのにモンブラン)を食べ、私にはビールを飲ませて下さるそのお心遣いにも胸がきゅん!としてしまった。男女が向かい合って語り合いながら、男性がロールケーキ(モンブランなのに)、女性がビールという絵も実に微笑ましい。そしてうちのリーダーの自慢話をふたりで盛んにしていたら、43分発の新幹線に乗らないといけないのに既に34分になっていた。1分で新幹線改札口までダッシュし、1分でハグしてホームに上がったら既にひかりはそこに停車していた。

ということで、静岡発ひかり520号7号車からお届け致しました。
明日こそ、シンクロニシティに関する続きを書きますね。

 

 

№591 一先ずお礼を

3月5日
今日は、神戸でのインテグラル勉強会&合宿を開催。
鬼滅の刃」を入り口にして、ILPの実践について議論できた。
とりあえず今晩は休もうと思う。朝も早かったし。明日改めてご報告を。

少人数といえど充実した会になったのはご参加下さった方々のお蔭様。ここで心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました!