蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№600 こんなのイヤだよ

雨ひかり雨ふることもふっていることも忘れてあなたはねむる   笹井宏之

 

 

3月13日

雨が降っている。今日は(今日も)秘境田端の秘密の場所へ出向くので五反田駅までの徒歩6分が恨めしい…。なにしろ私はふだんが車移動のひとだから。きっとホンモノの都会の方ならここまでガッカリなさらないんだろうな。これを読んでいる山陰のお仲間の方々はこのガッカリ感をわかって下さると思う。

 

 

昨日は食卓に欠かせないあのマヨネーズの!株式会社キユーピーのエライ人、そして私に仕事を下さるMっちが秘境田端に見学に訪れたので、私もちょろちょろ着いて行った。いい機会なので長女ぶーちーも呼び、Mっちにご挨拶をさせて頂くとともに、日本の透析施設の現状について知っておきなさいエッヘン!とエラそうに申し付けてみた。

秘境田端の秘密の場所がむかしむかしどんなところだったのか、ポスター大の三枚の写真を見せて頂いて愕然とした。今私が見ているクリニックはおしゃれなクリニック。米子でいうと、そうね…JK剣士もぶーちーも私もお世話になっている美容院Lokiさんみたいな感じ。ところがどっこい、むかしのここは米子でいうと休日の薄暗い高島病院救急外来。この前負傷JK剣士と行ったばっかり(その節はお世話になりました!)。ローカルすぎて甚だ申し訳ないですが、わかる人にだけわかるこの感じ。
片やきれいになって元気を出すところ。片やどこかに”問題”がある無力なひとが誰かに何とかしてもらうために行く、気乗りしないところ。この幅感が許されているのが今の日本の透析業界なんだって。

 

まったくおなじ医療を受けるのにこの格差。選べるんならいい方を選びたい。
でもこんな施設って全体の数パーセントしかないらしいよ。薄暗い高島病院がスタンダード。あなたが週に3回美容院に行く美女で、毎回4時間そこで過ごしあなたの生命を磨くとしたら、薄暗い高島病院でビミョーな椅子に座って過ごすのとLokiさんの太陽の光が差し込む心地よい空間で過ごすのとどっちがよろしい?ちなみにLokiさんは米子には珍しく、シャンプー台のある空間は個室になっているのです。仰向けで人に髪を洗ってもらうのって端から見るとマヌケな感じがするんだろうと常々思っていたから、この個室は衝撃的画期的だったよね。もしかすると都会ではこれがフツーなのかもしれないけど、米子ではねぇ。

 

もし私が透析患者さんで、自分が選べる施設がガッカリなものだったらどうするだろう?そもそも透析医療を受けて生き続ける、という事実を前に心も打撃を受けていて、積極的になにかを探したりするマインドからは程遠いような気がする。そんな心持ちでなら、目を閉じ耳を塞ぐように、自分の置かれた状況については思考停止モードに入って情報を探したりしないかもしれない。仕様がないからと諦めて、苦行を受け容れるような気持ちで。

 

昨日、施設見学の後、Mっちと一緒に赤坂の高級クラブ?「スナックひきだし」に行った。ここは日替わりでママがお客をもてなしていて、ママはほんとは水商売のひとじゃない。高級クラブ?は大人の社交場だからMっちはちゃんとご同席した紳士と名刺交換をし、ご挨拶をなさっていた。Mっちは私にお仕事をくれるくらいのお方だから「ちゃんとツボイも皆さんとご挨拶をして人脈を拡げなさい」と商売の神様のように促してくれたんだけど、フラフラ~と田端に行った私は名刺も持っていなかった。だから座り込んだままビールを飲んでいた。するとMっちは「このひとはちょっと変わったヨガのセンセイだから」と皆様に話してくださってそこから盛り上がって、Mっちの話術により話は成人発達理論やインテグラル理論まで膨らんでいった。

すると昨日のママが「私はふつうのヨガクラスが大きらい」と仰る。
そういえば他のクライエントさんも言っておられた。「ヨガいいよ」って勧めても「いやー、私はヨガはちょっと…」と言われるって。どんなヨガがこの世のスタンダードなのか私は知っているから、そりゃそうだろうな、と思える。

こんなんじゃないといいのに、と思ってみんな我慢してどこかの何かを利用しているのかな。実のところYogaの思想によると「今こうでなければいいのに」と思うことがビョーキなんだけれども、片や高品質で心地よく、私にどこまでも寄り添って愛をもって接してくれる人たちが現実的に存在しているのに、薄暗い部屋で放置されるように過ごし、作業のように決して“ケア”とは言えない何かを施されるのって、ここは怒っていいんじゃないの?いや、怒ろうや!!、と思う。

 

この現状にに怒ることができるのは利用する側のひとたちじゃなくて、その施設の運営側に立てる人たちだと思うのだ。こんなんイヤだろ!と誇りをもって仕事をするからこそ、私たち教師なら「仕事を選ばない自由」を発揮することができる。こういうときカネを第一のものとすると目が曇って道を踏み誤るから要注意。


だからこそ、私たちは独尊位の状態を取り戻さないといけない。
見るものと見られるものの混同という病から回復し、世界や物事、事象を正しく見る眼を育て養わないといけない。私たちがイヤな思いをして稼ぎ出すお金で生きているという幻想を採用している限り、ほんとうに誰かのためになる仕事をすることはできない。

私の心臓のなかにアートマンがいる。このアートマンが私を生かしめている。私のアートマンとあなたのアートマンは絶対者の下でひとつだ。私たちはいつも一緒にいて、一瞬たりともわかれたことがない。だから私がこうして生きていることに、ほんとうはお金の過多など関係ないんだという理に啓かれることができれば、全然関係なさそうに見える誰かのために怒ったり、おかしな場所をなんとかしたいと思える。

まだ会ったことのない誰かのために「こんなのイヤだよ!」って言える人のことを、私はすごく尊敬している。それはあなたが、自らが絶対者と共に在ることを知っている証だと思うから。