蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№281 急がせない、儲けようとしない

元旦の朝の初夢

家に何者かが襲撃してくるようだとのことで、皆が警戒している。
家の中にはたくさん人がいるが、皆それぞれ武装している。
裏口から侵入しようとしている男を見ると、何やらどこかで見たような顔である。
この家の中にいる人の兄弟であった。
すべて“悪ノリ“のおふざけであった、というオチ。
その場にいる皆で、腹を抱えて大笑いした。

…………………

さて、12月22日に、東京のとある会社が、米子にて勉強会を開かれた。
その際、現社長が書いた書籍をプレゼントして下さったので年末から読み始めていた。小説仕立てのもので、創業者であるお父上についてご子息が書かれたもの。

そのなかの文章に、非常に心惹かれた。

***
お前が美しいと思うことに集中すれば良いんだよ。
人の意見に左右されても面白くないだろ。

儲けちゃいけないんだ、
儲けは計算するものではないんだ。

まずは皆様に喜んで頂く。社会を豊かにするお手伝いをする。
そうしたら、頑張って、と皆に応援される。
儲けるんじゃない。儲かるんだよ。
本当に皆様が必要としてくれるなら勝手に儲かるんだ。
*** 

今日はチーム内でこの言葉をシェアした。
すると、経営学を学んでおられたチームメイトが、これまで「どうすれば儲かるか?」ばかり考えさせられてきたが、それがすべて嘘だと分かってしまったのだという話をしてくれた。
これからチームとして活動をしていく上で、上記のような「儲けたらいけない」という正気を保っていることは、実に大切なことなのではないかと思う。

 

津軽三味線奏者の吉田兄弟は、まだ幼い頃から、一流の師のもとで、一流の楽器を用いて稽古をしていたという。相当な費用が掛かったはずである。しかも二人分。

お父上は、二人の天分を見込んだのか、その為の費用を捻出し続けたわけだ。
吉田兄弟の家はあっと驚くような襤褸家で、同級生たちに馬鹿にされていたということだ。

私はこの話が大好きである。
腹の底から、熱いものがこみ上げてくるような気がする。
生活よりも芸を優先するこの生き方に、無理があるのはわかっている(普通はみんなやらない)。それでも、素晴らしいと私は思う。

芸は自分の心身に沁み込み、
どんなことがあっても決して奪われず、心を滋養する。
また、表現された芸は、会ったことも無い誰かの心を動かすかもしれない。
もしかしたら、後に続く人を生むかもしれない。
この国の文化というものに対して、少しでも貢献できるかもしれない。

自分の芸道に関しても、経済的な面と、指導の面で支えてくれた数名の方の存在無くしては、絶対にここまでは来れなかったという思いがある。
今、皆さんがご覧になる誰かの優れた妙技や芸も、どこかの誰かが、胸の中の理想を持ち続けて困難を乗り越えてきてくれたからこそ、目にできるもののはず。

先程の話には後日談があるそうで、海外にも凱旋講演をするようになった吉田兄弟は、ボロボロだった自宅を立て替えてお父さんにプレゼントしたそうだ。

お父上は、子供だった頃の吉田兄弟が演奏するのを見るのも聴くのも、大好きだったんじゃないかと思う。
いつか何かになるための稽古をさせていたのだとしたら、家を建て替えたりはしなかったんじゃないかな。絶対に急がず、「いいねえ、いいねえ」と言って目を細めながら、のんびりと成長を見ておられた結果なのだろう。

№280 新年

年越しに何をしようかという話を娘としていて、二つ案が浮かんだ。

①年越し「越後獅子」演奏
②年越しブログ更新

ということで②となった。
越後獅子演奏は、日が昇ってから改めて。

さて、今年。
まずゼミナール。2回目を風邪により断念したので、残りの会で悔いの無いように取り組みたい。

そして、大切なのは某企業さまとのお仕事。
継続させて頂けるに足る価値を提供していきたい。しかし焦らずに。じっくりと、”何か”を育てるための土壌を作るような取り組みができればと思う。

また、1月から新しい取り組みが動き始める。

11月から動き始めたのに、僅かな期間の、僅かな機会を最大限に用いて、関わる三者の互いに対する信頼感が育まれていったことが凄いと思う。
この方たちとの協働ならば、自分にできることをしっかりやっていきさえすれば、人を笑顔にする貢献ができるはずだと確信できる。これまで孤軍奮闘してきたからこそ、この協働の有難味がわかる。本当に嬉しい。

しかももう一人の専門家は、仏様のような手を持つ人だった(水掻きがある!)。
多くの人を、その”手”で救う方なんだと思う。
この方との協働作業を通じて、私のヨーガ指導にも変容が起きる気がしている。

また、上京の機会を捉えて、ゼミナールで出会った仲間の方の心身の健康に寄与できれば嬉しい。
各地での自主勉強会も、継続していけるよう努力しよう。

これまでお世話になってきた講座のクライアントの皆様。
より楽しくて気付きに繋がるような内容を提供して、「人生にヨガという選択肢があって良かったな」ともっと思って頂けるように、枠に捕らわれずにどんどん色んなテーマを取り上げていきたい。

そして、普通の体操のクラスの皆様。
ここがやはり私のとっての、最も大事な基礎の部分。
肉体を通じて、今より”少しだけ”楽になることの繰り返しを通じて、その先にある新しい光景を一緒に見て頂きたい。



昨秋からの1年間、挫折を味わったこともあって、これまでの自分なら決してやらなかったようなことを色々と経験したと思う。涙すること、悔しいこと、不安なことがたくさんあったが、お蔭で自分の既存の器にヒビが入ったかもしれない。

これまで探し物をしながら、寄り道・迷い道で来たように思うけれども、この後の人生は、既に持っているものを如何に磨き上げるかということと、如何に表現するかについて考えたい。
そして、他分野を専門とする方と、力を合わせていくこと。

既に昨年のこととなった数日前に風邪で寝込んだわけだが、アーユルヴェーダでは「風邪は浄化」という。過剰に溜まったものを、体外に排出するための作用。
なんだかさっぱりした気分。

ヨガでもヨーガでも、何でもいいじゃないか。
茶は美味しければいい、という境地に、この分野でも近付いていきたい。
細かいことはいいから、まずは一服! ですよね。

f:id:Yoga_Lotus:20200101005301j:plain



№279 大晦日に

仕事を納めた途端に風邪を引き、三日間寝込んだ。

病状としては全く大したことないのだが、普段との落差に対して敏感なのでこういうことになる。いや、あえて即座にこういう行動を取る。

ちなみに原因は、ある”心労”による。考えすぎた。

まず気管支に違和感を覚えたのが27日。その日の夕方、痰が出るようになる。

翌朝、違和感は上気道と呼ばれる部分へも広がっているのを感じる。
だるさと悪寒もある。ひたすら横になって、排出される痰などを絶対に飲み込まないようにする。食事はほとんどとらない。白湯は出来るだけ飲む。

寝込んで2日目、悪寒と体の痛みはピークになっている。違和感は副鼻腔の特に右側にも広がっている。息を吸うと鼻の粘膜が刺さるように痛い。ごま油を鼻腔に塗って対処する。
眼を開けると痛むので、なるべく目も開けない。
この日は年末最後のゼミナールだったのだが、頭も全く働かない上、声もまともに出ないのでお休みした。

三日目。最初に違和感を覚えた気管支の辺りに、「かゆみ」のような感覚を覚える。これは、私の感覚では治癒傾向にあることを示す。数回、寝汗をかき、体を吹いて着替え、家族に助けて貰って寝具を交換する。

四日目(今日)。
朝、再度寝汗で目を覚ます。体を起こしていることができる。多少の違和感は残っているが、炎症は引いたと分かる。さすがに年末にし残した用があるので、午後から数時間外出をし、活動する中で少しずつ調子を取り戻す。食欲は多少戻る。

懸念だった襖の修繕(娘と猫が穴をあけた部分)をし、正月前の買い物をした。年明けから雪が降るかもしれないとのことだったので、3日間は一歩も外に出なくともいいように準備をした。
これで何とか年越しを迎えられそうだ。

という訳で、ヨーガの先生は敏感であるがゆえにめんどくさいという話。
お蔭で回復が早い。

昨日、ゼミナール仲間のO石さんとZOOMミーティングをしていたのだが、実は多くの人が鈍感さを発揮して、体調があまり良くない中で、無理をすることをスタンダードとして生きているんじゃないのいうという話になった。
健康に物差しがあるとすれば、それが随分とぼんやりとした目盛りになっているような?

1月に、田端のS堂さんのクリニックで、コラボ・セッションをさせて頂けることに決まったのだが、最終目標は「みんなの健康スケールの目盛りには、もっと先があると気付いてもらうこと」であると思う。
質の高い健康の先にあるのが、”まだ見ぬ自分に出会う”という意味での発達なんじゃないかなと、私は思う。

しかも都合のいいことに、質の高い健康に取り組むということを通じて、自分が何やら変容していた、ということも起こり得る。
ヨーガでは、「病は教師である」と言うからだ。


風邪ぐらいで三日も寝込めんよ、と仰る方もおられると思うが、すべての不調に伝染病レベルの休養を取る覚悟で「養生」を行えば、三日も寝込むことは数年に一度あるかないかの話になるはずだ。その為には、肉体だけではない、心の鍛錬がいるわけで、この度の私のようなのは修行不足の証拠のようなもの。

とは言え、人間ってそんなに長く悩んだりしておられないもんですね。
これが、基本的に元気だということなのかと思う。

来年が皆様にとって、良い年になりますように。
大きな自己と小さな「名前のある我」が、より調和して生きられますように。
生きとし生けるものが、苦しみを克服できますように。


№278 馬鹿でもいいや

こんな夢を見た。

実在するある大きな会の講師が、小さな部屋で数名の人の質問に答えてアドバイスをしているのを、後列から見ている。せっかくだからあなたも何か質問したら、と声を掛けられて「特に聞きたいことも無いんだけどな」と思うが、「企業さんのメディテーションセミナーのことを話そうかな」と考えた。
しかし、社員が頻繁に戸口から覗き込むので、話の接ぎ穂を掴むことができない。(何か失態があったらしい) それがあまりにも長いので、諦めて帰ることにする。

フェリーに乗って帰途につく。ちょうど満潮時らしく、旅館やホテルなどの大きな建物も、屋根以外は水面下に沈んでいる。廃墟かと思うがそうではなかった。水は澄み、景色はとても美しい。

フェリーの中から鑑定を生業とする知人にメールをすると、「今はすべてが凶」と返信がある。すべてが、などという断言が軽々しくできるものではない。モノによるのだろうと思って問い直しても「なんでも凶」と言う。そんなことあるかい、と呆れてしまって、今後のやり取りはやめておかねばな、と思う。

船が着いた先は岡山の港だった。ここから今日中に帰るか、それとも1泊するのか決めなければならない。船の中に三弦の先生がいたので、みんなで稽古をすることになった。稽古をしながら考えようと思っている

…………………

今日の講座が仕事納めだった。
これから、来年の講座やセミナーに使用するレジュメの作成を始める。
企業さまでの2回目のセミナーに向けて、色々とアイデアを練る。

午後から、富山・須山窯 須山昇華先生のお作を受け取りに行った。
眼鏡箱を誂えて頂くことと、追作(同じものを、もう一つ作って頂くこと)をお願いしていたもの。

芸にはお金がかかる。覚悟の上だ。
昨日も、称号のお礼を師匠に差し上げたところ。

これを、馬鹿なことと笑う人も多いかもしれない。
でも、お金を理由に芸を諦めていたら、芸道はどうなっていくだろう。
免状システムに様々な意見があるのは認める。
でも、先生がそれでガッポリ儲けたりしている訳ではないのはわかる(少なくとも我が師匠は)。

稽古のための場を準備して、維持して頂くだけでも大変だと思う。
季節に応じた様々なお道具を揃えて頂かないと、できないことがある。自分ではそんな道具はとても買えない。
楽器もなしで、手ぶらで稽古に行けるのはお稽古場があるからだ。

ちなみにこの度、称号を頂戴したことに対する御礼を差し上げたのだが、先生はすぐに「看板(師範です、ということを示すもの)」を手配して下さったという。
無論、看板の申請は無料ではない。
そんなに高額なお礼は差し上げていないし、称号を手にするまでにどれほどのお時間を割いて頂いたかしれない。恐縮至極である。

お茶で免状に対するお礼を差し上げた際には、土田友湖さんという方が手作りした”袱紗”をお祝いに頂いた。袱紗とは、道具を清めたりするための道具だ。
この土田さんは、袱紗などの布のものをずっと作り続けているお家である。なかなか自分のために、このような袱紗を求めたりはしないものだ(値も高い)。そして真摯な仕事をなさる作家さんのお仕事を支え、伝統的な技を途切れさせないことも、茶人の役目だと思う。

お免状を頂く事が、自分たちの稽古環境に繋がっている。
お礼という形を通じて、思いを表現し、表現される。

馬鹿でもいいかなと思う。
私はこの環境を受け容れて、自分の芸を育てていこうと思う。

№277 どこを切るか ~お花問題

こんな夢を見た。

姉の家に遊びに行ったのだが、学校の廊下のような、広く、横に長い場所に、大勢の人が雑魚寝状態で居る。姉の家族ももちろんいる。そこで、誰も何の疑問も無いように寛いでいるが、私は寛げない。
寝ている人もいるのに、大きな声で会話をする人もいる。誰もなにも構わない。

時折、コモドオオトカゲのような大きな生きものが現れ、通り過ぎていく。
近付いてきた時にはびっくりして飛び退ったのだが、人を踏まないように4つの足を踏ん張って優雅に歩いていくし、寝ている側も決して踏まれはしないことを確信しているようで、目を開けることすらない。「ああ、そうか、危なくないんだな」と思ってホッとした。

ここに来るまでに、海岸で大きな爆発を見た。水中で何かが爆発したようなので、兄にそのことを尋ねると、「あれはね、今の政治家たちが変わらない限り、手の打ちようがないんだよ」と言っていた。ああそうなのか、まあそうかもな、と思いながら、安倍首相の顔を思い浮かべていた。
…………………

昨日は、スマホもパソコンも見たくない、という気持ちになり、ブログ更新をサボってしまった。目もすっかり疲れていた。
ここのところ遅くまで画面を見ていることが多かったので、なるべく夜にはそういった機器に触れないようにしていきたい(ゼミナールは別として)。

眼が疲れているのには、七情が動いているという理由もある。
色々と心を煩わされることが多かったので、来年に向けて心の整理や、現実的にも関わるものの整理を着けていかねばならない時期に来ているようだ。

さて、昨晩は、娘のお花の稽古を見ることができた。
中学に上がってからは、年末のこの一度のみ稽古させて頂いているのだが、「ここに、こんな風に入れよう」と決める時や、花径に鋏を入れる時に迷いがなく、気質通りの清々しさを感じる。

この子に関しては、先生も「センスがある」と仰ってくださるのだが、茎に鋏をいれるという不可逆的な行為に対して覚悟が決まっていることを、「センス」と言うのだろうか。
ちなみに、同じように稽古していた長女や私は、センスのセの字も言われたことはない。主客のやり取りの中で、リカバリーが可能な茶道の方が、向いているということかな。

かつて華道の稽古をしていた時、「こうではない可能性」に心が残ってしまい、とても苦しかったことを覚えている。「お花を扱うことは、心理的なセラピーにも良い」ということを耳にするが、これは慎重に行って欲しいところである。

№276 餃子から空海

今日の夢は…
後味が悪かった。
なので、日記での記録に留めておき、内省を行いたい。
正に、これぞシャドウワークとしての夢活用。

さて、本日は友人のお招きで、手づくりの餃子をご馳走になった。
娘たちも一緒に、皆で餃子をひとつずつ包み、目の前で焼いてお腹いっぱい頂いた。
とってもおいしかった!
世間ではクリスマス・イブとのことだが、私は朝も晩も普段通りのレッスンなので、またとないランチ・イベントは大変有難かった。満腹になって満足したのか、子供たちもいつになく早々と寝てしまった。

お食事後の歓談時に、アマゾンプライムで映画「空海」を見れるよ、との話になった。

1984年公開の作品なのだが、私はこれを映画館で見た。
今、予告編を見てみると「弘法大師入定1150年御遠忌記念映画」とある。随分中途半端な年数の記念だと思ったが、開創と入定に合わせた御遠忌なるものを50年毎に行っておられるそうだ。

すごく印象に残っているシーンがある。
予告編のこの部分→ https://youtu.be/ZYAi6Rib6qs?t=79

「自分が生きるに値する人間か、それを問うてみたいだけじゃ」と言って、断崖絶壁から飛び降りるのだ! 
もちろん死なない。

香川県善通寺市にある73番札所、出釈迦寺に語り継がれる伝説として、大師が7歳の時、仏門に入ることを決め、その決意を成就させるために標高481mの山から断崖絶壁を飛び降りたという。
映画では大人の姿であるが…

映画公開時、私は小学生。
とにかくこのシーンのことが忘れられなかった。

最澄の役が加藤剛だとかそんなことはさっぱり忘れていたが(大変男前である)、落ちれば死ぬに決まっている崖から飛び降りて神仏を試すとは?!と、小学生の私はとても魂消たし、その後も折に触れて、「今の自分は、崖から飛び降りても救われるような、意味のある人生を生きているのか?!」などと考えてきた。

でもまあ、凡人ならきっとあっさり死ぬ。
あの世(があるとして、そこ)で絶対者ブラフマンに「はい、一からやり直し」と言われ、また虫やら何やらで人生やり直しつつ人に生まれるのを待つ、というのが順当なところなんだろうな。だから人生に悩んでお大師様の真似とかしなくて本当に良かった。

これは弘法大師さんだから許される「試し」なんだ、と思う。

友人が提示してくれた映画リストの中に、2008年の映画「禅 ZEN」もあった。
これは道元禅師を主人公にした映画だ。
YouTubeで検索すると見つかったので、再視聴している。

「この世のありとあらゆる出来事は
昔からそのままの姿で
何ものもかくすところはないではないか」

”明暦々露堂々”のことかな。いい言葉だな。

同じヨーガ業界の知人は「ただ座るだけなんて…」と禅のことを揶揄するのだが、私はそれが嫌でたまらない。

悟った先(結果)のことを考えずただ行為する、ということなら、バガヴァット・ギーターの教えと全く一緒だと思う。
それに、禅 即ちディヤーナで、生きる中で一所懸命に瞑想するということなら尚更、私たちと一緒じゃないか。

№275 「在る」に至る実践

こんな夢を見た。

若い知人女性が、倉庫で一所懸命に働いている。
口では悪態を付きながらだが、仕事ぶりは真摯だ。
「あなたはもっと学ぶといいよ」と学校に戻ることを進めると、「いや、自分はどうせダメな奴なんで」と言う。年配の上司が常日頃から「お前はダメだ」と本人に対して言い続けているのを私も知っているので、暗示にかかったような彼女を気の毒に思う。

とは言え、日々の中で少しづつ彼女も自信を取り戻していき、高校での学びを再開する。それだけでなく、吹奏楽部の仲間と力を合わせて、地方大会で素晴らしい演奏をし、見事入賞を果たすのだ。

舞台を見下ろす2階席で、親しい大人たちも演奏を聴く。彼女たちの荷物置き場にはノートが置かれていて、数日後に行われる試験のための勉強も必死にやっていることが垣間見えた。「ダメだ」と自分の事を評していた彼女が、こんな風に変化を遂げたことに感動を覚える。

大会終了後ホールで佇んでいると、隣にいた友人が「もうそろそろ出してあげてもいいんじゃない?」と言う。え?と思って手にしたバッグを見ると、ジップロックに白いパン生地のようなものが三つに折りたたまれて入っており、上部に肉まんのような丸いものがついている。
開けて出してみると、その白いものはムズムズと動き出し、あくびをした。なんとこの”肉まん坊や”は自分の子供だった。「そうか、こんな風に密閉しても、死んだりしないんだな」と新鮮な驚きを感じた。

皆は打ち上げに行くというが、私は辞退して電話を掛けに行く。
昨日聴いた音声ファイルの誤解を解いておかないとな、と思ったのだ。
コール数回で「はい、K藤です」との声。「はい」と仰る調子も、私たちが聴きなれているとおりで安心する。自分でかけておきながら、「先生が電話に出るとは!」と驚く。今いいですか?ハイどうぞ、というやり取りの後、本題に入る。

私「先生。そんなに勉強しないでいいと言ったのは、先生ではなく知人なんです。」
先生「あ!やはりそうでしたか。安心しました。よろしかったら、その時の状況をお聞かせ頂けませんか?」

私「かくかくしかじか(出来事について説明)で、結果的にその方とのお仕事もうまくいかなかったんです。」
先生「なるほど!それはですね、壺井さん。壺井さんのシャドウですね。」

なんと!シャドウだったのか!
そうか、ここを掘り下げていけば、新たな気付きが見つかるのか…
あ、これは夢だった。ノートに記録しておかねば…
…………………

と思ったところで起床。
昨夜は、3晩ぶりに自宅で寝た夜だった。やはり慣れた寝室、愛用の布団はいいなあ。


昨日のゼミナールはモヤモヤした。
理由は、音声ファイルでの質問への回答を頂いたことで、スッキリしたからだ。
分かりにくいですね。説明します。

ヨーガの専門家教育を受ける前から、自分なりに様々な実践に挑戦してきた。
家族の協力も得て(というか無理やり巻き込んで)、学んだことを実際に試すということを、かなり過激なレベルでやってきた。

でもここ数年モヤモヤしてきたので、この度、「実践をやめるということのダイナミクス」についてご質問したところ、『実践は”Doing"じゃなくて”Being"だから、「何かをやってる」と思ってはいないです』とのご回答を頂いた。(もし受け取り方が間違っていたらいけないので、来週あたりゼミナールで直に伺ってみようかと思う)

それで私はスッキリしたのだ。

何かを特別にやっている気もない。食べることも、動くことも、黙想の状態にいることも、既に自分の一部である。
”Simple Feeling of Being." って、これかあ!と嬉しくなった。

「実践」という大通りを精力的に走ってきて、フッと左に曲がり脇道に入ったら、木々の揺らぎや小鳥の声、小川のせせらぎも聴こえるようになり、「そうかあの大通りの脇にこんな素敵な道があったんだな!」としみじみ嬉しい、そんな感覚。

この感覚に至るための、準備段階としての実践。
一つひとつの実践の細々としたことが、背後に遠のく感じ。

その心持ちでゼミナール初回を受けて、「今年なにやりました?」と聞かれた時、準備をしていたにもかかわらず、「いやー、特に何もなあ。筝曲の試験受けたくらい」と答えてしまった…。あれこれやってきたことをお話するべきだったか。

次回は「在る」という実践について、もう少し言語化する準備をしておこう。
しかしこれってあれですかね、「心身脱落」や「鼻が縦で目が横」の境地に近づいているってこと?
実践も極まれば、「毒を喰らはば皿まで」の境地に達するのだろうか。

きっとこの小道の先に、まだ知らぬ別の道がある。そんな気がする。