蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№279 大晦日に

仕事を納めた途端に風邪を引き、三日間寝込んだ。

病状としては全く大したことないのだが、普段との落差に対して敏感なのでこういうことになる。いや、あえて即座にこういう行動を取る。

ちなみに原因は、ある”心労”による。考えすぎた。

まず気管支に違和感を覚えたのが27日。その日の夕方、痰が出るようになる。

翌朝、違和感は上気道と呼ばれる部分へも広がっているのを感じる。
だるさと悪寒もある。ひたすら横になって、排出される痰などを絶対に飲み込まないようにする。食事はほとんどとらない。白湯は出来るだけ飲む。

寝込んで2日目、悪寒と体の痛みはピークになっている。違和感は副鼻腔の特に右側にも広がっている。息を吸うと鼻の粘膜が刺さるように痛い。ごま油を鼻腔に塗って対処する。
眼を開けると痛むので、なるべく目も開けない。
この日は年末最後のゼミナールだったのだが、頭も全く働かない上、声もまともに出ないのでお休みした。

三日目。最初に違和感を覚えた気管支の辺りに、「かゆみ」のような感覚を覚える。これは、私の感覚では治癒傾向にあることを示す。数回、寝汗をかき、体を吹いて着替え、家族に助けて貰って寝具を交換する。

四日目(今日)。
朝、再度寝汗で目を覚ます。体を起こしていることができる。多少の違和感は残っているが、炎症は引いたと分かる。さすがに年末にし残した用があるので、午後から数時間外出をし、活動する中で少しずつ調子を取り戻す。食欲は多少戻る。

懸念だった襖の修繕(娘と猫が穴をあけた部分)をし、正月前の買い物をした。年明けから雪が降るかもしれないとのことだったので、3日間は一歩も外に出なくともいいように準備をした。
これで何とか年越しを迎えられそうだ。

という訳で、ヨーガの先生は敏感であるがゆえにめんどくさいという話。
お蔭で回復が早い。

昨日、ゼミナール仲間のO石さんとZOOMミーティングをしていたのだが、実は多くの人が鈍感さを発揮して、体調があまり良くない中で、無理をすることをスタンダードとして生きているんじゃないのいうという話になった。
健康に物差しがあるとすれば、それが随分とぼんやりとした目盛りになっているような?

1月に、田端のS堂さんのクリニックで、コラボ・セッションをさせて頂けることに決まったのだが、最終目標は「みんなの健康スケールの目盛りには、もっと先があると気付いてもらうこと」であると思う。
質の高い健康の先にあるのが、”まだ見ぬ自分に出会う”という意味での発達なんじゃないかなと、私は思う。

しかも都合のいいことに、質の高い健康に取り組むということを通じて、自分が何やら変容していた、ということも起こり得る。
ヨーガでは、「病は教師である」と言うからだ。


風邪ぐらいで三日も寝込めんよ、と仰る方もおられると思うが、すべての不調に伝染病レベルの休養を取る覚悟で「養生」を行えば、三日も寝込むことは数年に一度あるかないかの話になるはずだ。その為には、肉体だけではない、心の鍛錬がいるわけで、この度の私のようなのは修行不足の証拠のようなもの。

とは言え、人間ってそんなに長く悩んだりしておられないもんですね。
これが、基本的に元気だということなのかと思う。

来年が皆様にとって、良い年になりますように。
大きな自己と小さな「名前のある我」が、より調和して生きられますように。
生きとし生けるものが、苦しみを克服できますように。