蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№697 大好きな人にフォーカス

朝霧のおほに相見し人ゆえに命死ぬべく恋ひ渡るかも  笠女郎(万葉集

 

 

 

 

6月20日
みなさま、ごきげんよう。新幹線はいま新横浜を出たところ。
予定通りであれば昨日も横浜周辺にいて、本日11時頃新横浜を出るのぞみに乗るはずだったが、色々あって昨日都内に戻った。


長女ぶーちーにとって便利な大崎・五反田周辺が私のシマであるが、結局今学期もオンライン授業になったからあんまり意味ない。昨日は大崎を宿泊場所にチョイスしたがそのワケは、ふだん使っている宿より断然駅からの距離が近く、新幹線に乗る品川駅にもちょっと近いから。だってまだ足が痛いんだもん…。

いつもと同じ調子だったら、ゲートシティの成城石井に行って黒トリュフ風味のナッツを大人買いしたのに、そんなの「めんどくさい」と思う程度には足が痛い。じっと座っておけばどうってことないが、踵に体重を預けると痛いので歩くのがめんどう。「もしや」と思ってスーツケースから9cmヒールのサンダルをひっぱり出して履いてみたが、これはけっこうよかった。でもこのオシャレサンダルはケガしたときの補助具ではなく、素敵な男性にエスコートされて歩く類のものであるからしてなんだか負けた気がする。なので結局ぺったんこのバレエシューズでよろよろと帰路に就いた。

そういえばこのオシャレサンダル①(これからおろす予定の②と③があるからね)は、おしゃれなサンダルというものがそういうものであるとおり、足をホールドする部分が極限まで少ない。そしてヒールが9㎝とかなり高めである。けっこう足場が不安定で、うっかり斜めになっているところに気付かず足を預けてしまうとふらつくか、コケる。だから要エスコートなのである。都内で私と遊んで下さる紳士&私より若くて逞しい女子のみなさん、よろしくどうぞ。いや、そんな女子いないか…。

先日、某LAWSONの出入り口でマジでコケた(そういえば今回コケてばっかりだ)。その出入り口は裏口で通りに面していなかったし、ご一緒している人がいてくれたので、みんなの前でコケるという恥ずかしい目にも遭わずにすんだし、一人でコケるという哀しい目にも遭わずにすんだ。実にさいわいなことであった。絶対者に感謝である。

コケたとき手に持っていたものが缶ビールだったので、とっさに「がーん!こんなにふりまわしちゃったら開けたときビールがこぼれちゃうよう(涙)」と考えた。自分のこういうところはちょっとどうかと思う。もしここでひとりぼっちだったら、次にはいい歳してコケたとう事実に打ちのめされて森の子りすが発動し、その場でしくしく泣いてしまったであろう。絶対者の、緻密にして完璧なお仕事の故にその時はそばに人がいてくださって「だいじょうぶ?!」と言ってくださったので、森の子りすマインドは即座に癒され「だいじょうぶ~」と返すことができた。

ここでやっぱりつい酔っ払い根性で「ビールが…」と言ってしまったが、「ビールなんてどうでもいいよ!」と言ってくださったあなたはもしかしてあれですか、白馬の王子様ですか?こんな高貴な人間存在を前にしてポッと頬が赤くなりそうな(ならないんだけど)森の子りす。こういう場面ではお相手が男性であっても女性であっても惚れてしまいそうになるではないか。やはり人間たるもの、リアルな人間に癒されるのがいちばんである。私も今後とも斯様な仕事がしたいものである。
そしてやっぱりビールは開けた瞬間こぼれました。あーあ。


昨日は大崎のエクセルシオールでチェックインまで仕事をしていた。ほんとうだったら規夫師匠との大事な聖地・大崎のスタバで仕事したいのだが、私のチョイ古めのパソコンはすぐにおなかがペコペコになるし、聖地・大崎のスタバの電源がある席は通路沿いの「がっかりシート」なので、残念ながら大崎でパソコン作業をするときはエクセルシオールである。

でもあれだよね、あんまり言いたくないけどさ、カプチーノ。門脇師匠のトリプルショット飲みたい。カフェでも美味しいコーヒー飲みたい。せめてジュースでも飲んでゴマかせればいいんだろうけど、私は果糖をウッカリ摂取しないように気をつけているのでミルク入りの飲料で諦めてしまう。きっとこのミルクも加工乳だったりするんだろうなあ。早く本社に出社して命の洗濯をしなければ。

 

 

さて。
先週の話だが、あるクライエントさんのお悩み相談のなかで「妬みとはなんだろう」というテーマが現れた。

皆さんはどう思われますか?
他のクライエントさんにも同じ問いをぶつけてみたところ「卑しい心だと思う」とのご回答だった。別の方からは「大昔から生き延びていくために必要な能力、でも根源はわからない」というご意見もあった。私の思うところを述べてみると、人間の感情というのは、言い古された言葉かもしれないが「愛か愛以外」の二択しかないので、自分のなかに価値あるものが見いだせないという恐れの一種だろうと考えている。

他の人のなかに自らの優れた点を見、それを自分の美徳として引き受けて見ることができないので妬みという思考、そして感情として感じられる。だから妬みもゴールデンシャドウの一種なんじゃないか、というのが私の考え。

できれば(そんなものがあるとするならば)「いい」妬みを自分の発奮材料にして、最終的にはそういう小さい自我は殺していくのがいいだろうと思い、もし私のクライエントさんが「妬む側」だったら断固としてそういう導きを行うだろうと思う。しかし幸いなことに私のクライエントさんは皆様「妬まれる側」におられてそのお心を哀しませているから、そういう場合はそのお相手のことをいかに愛をもって見つめるか、場合によっては寄り添うかということについて共に考えぬきたい。

でもこれは、攻撃などに無防備に身を晒してOKなどとあまっちょろいことを言っているわけではなく、ヤバい攻撃性で態度や言葉で妬みを表出するひとからはダッシュで逃げて森に隠れ、葉っぱに擬態して遠くからその方の心の平安をお祈りする作戦をとりたい。

まあでもいい大人が攻撃性を態度に出すのはちょっとね… Yogaは人格を洗練させるためにあるものだから、こういう方と直接ご縁頂くことは今後もないだろうなあと思う(こだまみたいなものは聴こえてくるが)。洗練されたイジワルというものは、云われた当人にとってはほめ言葉にしか聴こえないものなのだよ。その域を目指してはいかが?

きっと私もいろんなひとから嫌われてんだろうなー、と思う。この世の2割の人は私のことが大嫌いで、残り6割はわたしのことなんてどうでもいい。この世はそういうルールで回ってて、それで何の問題もない。
でも2割の人は私のことを大好きでいてくれる。Yogaを行じるというのは意識の焦点をどこにあわせるかを選択するということでもあるので、自分の存在の内奥で絶対者と結びついて平和に生きていられることを寿ぎ、この2割の人への愛だけに意識を向けて生きていればほぼ間違いなくハッピーである。ときどきコケてもなんくるないサー!