蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№617 暗号

哀しみと愛しみはひとつ遠く夜の古木ま白き桜花を噴きぬ   川野里子

 

 

 

3月31日

JK剣士が米子空港から飛び立った。私もめったに乗らないJR境線の無人駅から、鬼太郎電車に乗りこんで一緒に出発。昨日食べられなかったうどんは米子空港内のお店で食べることができた。乗り込んだ機内はほぼ満席、到着した羽田空港から乗った京急線も立っている人がいるほどで、こんな光景は久々に見た。

 

品川駅で長女ぶーちーと再会し、カフェで歓談しながらチェックインの時間を待つ。久々のふたりの絡み合いを見ていると、なんともうれしい気持ちになった。チェックイン後、ぶーちーに付き添ってもらって出国前のPCR検査を受けに渋谷へと出かけて行った。

 

 

今回ハハはJK剣士がいないため長期滞在を決めたのだが、こんな日数を家以外のところで過ごすのは妊娠中の入院(×4回)と某国営企業の臨時勤務以来である。滞在先でガッカリしたことにならないように頭を絞ってなんとか準備をした。まずはコーヒーである。なにを置いてもとにかくコーヒーである。なんとミルまで事前にホテルに送った。準備した400gの豆で、次に本社に出向くまでなんとか持たせないといけない。ま、これさえあればあとはなんとかなる。

 

しかし初渡米のJK剣士と東京初長期滞在のハハは二人とも意気込んでおり、いつも出張ではギリギリまでパッキングができていなくて大慌てになるのに、今日はタクシーが来るのをいまかいまかとまつような状態だった。やればできるじゃないか!いつもこうすればいいじゃないの、ねえ。

 

 

さて昨夜も準備をしながらJK剣士とアレコレ面白いハナシをしたので、ここに書いてみようと思う。
アメリカではダンスができる男性がイケてるらしい。素敵な恋人をゲットするため必死にダンスを習う男性が登場する動画を見せられた。練習を重ね、満を期して?日本でいうところの婚活のようなパーティーにやってきて、女性にダンスを申し込み踊ったまでは良かったが、まだ今一つダンスがヘタだったゆえに速攻フラれてしまう。

そのことに関してコメント欄で「男性にそこまで求めてひどすぎる!」という意見があったそうなのだが… 
ハハの意見は「動物界はもっとキビシイでしょ」というもの。

だってクジャクのオスとか、あんなハデな有り様になったのはそもそも求愛のためだもんね?他の動物のオスも歌ったり踊ったり派手な姿になってみたり、それはそれは努力していることを先日ある過激なタイトルの書籍で知った。あまりにも涙ぐましいその行動に驚くとともに感動したのである。

それとダンスを習得するっていうのは、この人間社会で生きていく上でも決して損にならないはず。しかもボケ防止にも最適ですよ!対人関係を構築する能力が上がるだろうし、目の前のひとの様子をよく伺って導く心遣いもできるようになるだろう。男性の場合は女性をリードする必要があるので空間認識能力などもアップするのだろうと思う。実にいいことばかりなのでがんばって頂きたい。

この動画を見ながらJK剣士と二人で「日本の合コンとかよりずっといいんじゃないかな」と話していた。感性も磨かれるし、ガッツリ踊れば体幹も鍛えられそう。

 

 

今日、京急線で品川へ移動しているとき、座席の横に本が忘れられているのにJK剣士が気付いた。ブックオフの値札シールが貼られたその本をひっくり返してみてみると…
なんだったと思いますか? JK剣士は参考書だと思ったらしく、駅員さんに届けなきゃと思ったそうだ。

その本は「ゴルゴ13」だった。

なんとなく無言になるふたり。
きっとこれはなにかの暗号で、「京急線羽田空港国内線発、〇号車の進行方向からみて何番目の座席に置いたゴルゴ13の、〇ページを見よ」みたいなスパイ同士のやりとりのために置かれたものに相違ない。きっとそうだ。だからウッカリこれを元の場所から移動させちゃったりしたら、明日成田から飛び立つことが危うくなるかもしれない…
ということでもとあった場所にそっと戻して、品川駅で降りた。大事なミッションが無事コンプリートされ、誰かの安全が守られたことを祈る。

 

 

この世はとても多様な世界で、いろんなひとがいろんなこころを持ちながら生きている。先日出版された「インテグラル心理学」の帯に「すべてのものに正当な居場所を与える。」という素晴らしい言葉が書かれていたが、理解できないひとや怒りを覚えてしまうような人、会うのも怖いと感じてしまうようなひとにも、ちゃんとした居場所が必要だ。

じぶんのこころのなかで妄想を弄ぶことなく、世界の小さな顕現であるわたしのなかにもその人たちの居場所がなくてはならない。そのためには妄想で恐怖をこねくり回さないことだ。顕れている行動の奥底に、間違いなく存在しているその方のいのちそのものに、私も寄り添っていたい。どんなに悪いやつだと思われたり、バカなやつだと思われてもいいから、誰のなかにも住まいするアートマンが、確かにわたしのなかにいてくださることへの畏敬の念と、今私がする経験はすべて恩寵だという思いのなかに、日々を過ごしたい。