蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№451 一緒にいて

「どうしても君に会いたい昼下がり しゃがんでわれの影ぶっ叩く」 花山周子

 

 

2011年にウクライナに行った。チェルノブイリ原発事故の被ばく者の方に対するヨーガ療法指導及び研究のため。
その時、通訳と滞在中のアテンドをしてくれたのが五代裕己さんだった。

滞在中は被ばく者の方のご自宅にホームステイをさせて頂いたが、私のステイ先だけが離れていたので、夕食後にそこに送って頂くまでに二人でいろんな話をした。

五代さんは鹿児島のご出身。大学卒業後ウクライナに行かれた。子供の頃から剣道をしておられて、キエフで剣道連盟を立ち上げた。私の娘も剣道をしているので、いつかふたりでキエフに剣道をしに来い!と言ってくれて、娘共々それを人生計画の中に含めて楽しみにしていた。
また、時計好きだという五代さんは、私が愛用している赤い文字盤の時計を気に入ってくれて、大事に永く使うようにと言ってくれた。20年経ってもその時計は変わらずに動き続けてくれている。ウオッカの正しい飲み方も伝授してもらった。
五代さんが珍しく帰国して神戸滞在中、家庭の事情でどうしても会いに行けなかったので焼酎を送ったり(お酒が大好き)、キエフ剣道連盟の手ぬぐいを譲って貰ったり、思い出は尽きない。

今年の七月下旬、彼が突然亡くなったことが伝わってきた。まだ45歳だったのに。
自衛隊在職中にもいくつかの悲しい別れを経験した。理由が病気であっても自死であっても、別れが人に突きつける悲哀は計り知れない。

人に騙されたり裏切られたりして結果的に身体も壊し、救いを求めてヨーガの道に入り、そこで智慧を与えられたと思った。
この世は迷妄の世界で、目を閉じた深い眠りの世界にだけほんとうのリアルな世界があると思うことも、私にとって決して嘘ではない。

しかしそこで私が間違ったのは、肉体というものを軽視したことだと思う。
この軽視は、肉体を大事に扱わないという意味ではなく「このまま枯れていくように生きて、いつ死んでも別にいいかな」というあきらめとも無欲ともいえる感覚。
肉体というよりも、リアルな生の軽視と言った方が正しいのかもしれない。

枯れても死んでも、もう別にどうでもいいかなという気持ちを、いやそれでもまだもう少し、と思わせるのは子供と生徒さんの存在だけだったように思う。この世に未練はないが役目があるなら、とは思った。

今、かつての自分の考えを激しく後悔していて、与えられた生を十分に活かし、世界を十全に味わい生き尽くそうとするのは、喜びでもあるが同時に肉体をもってここに存在している者の、果たすべき役割だと思い始めている。

 

今日、私にとってとても大事な人が、肉体的に厳しい状況にあると伝えられた。
自衛隊を辞めることを決めて新しい人生を模索していたときに、基地の柵の外の世界で出会った友人。私に「隊長」というニックネームをつけ、「俺の妹だ」と言ってたくさんの人につないでくれた。みんながそれを本当だと信じるくらい、きょうだいのように仲良くしてきた。
子供さんのないご夫婦だったので、我が家の娘たち二人を「俺の子供だ」と言って可愛がってくれた。死んでしまいたいくらい苦しくて、家族にもわかってもらえなかったとき、駆けつけて慰めてくれた。

 

病が高じていることを私に教えてくれず、いつも「元気だよ!」と返すのはなぜだったのだろう。私という人間が未熟だからなのか、単に心配をかけたくないと思ったのか、すぐに元気になれると信じていたからなのか。

別れたくない、もう一度会いたい、話をしたいと思い祈るとき、自分が人生を諦めかかっていたことに対する怒りが湧いてくる。
私はまだこの世界で、この肉体と感覚というものをもって人を愛し、生きたい。
美味しいものを味わって、泥のように眠りたい。
この世が迷妄の世界だとしても、肉体でしか味わうことのできないこの感覚の喜びや至福を、自ら棄てることなく生きたい。

愛することと嘆き哀しむことの双方から、もう逃げたくない。
解脱とか、もうどうでもいい。
だから私の大切な人たちを、どうか守ってください。
1日でも永く一緒に、この世で過ごさせて下さい。

 

 

 

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五代さんの訃報を伝える記事