蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№308 なんとかしようとしない

カラダに痛みや不快感を感じている時や、心のなかにモヤモヤしたものを抱えている時、そのことを何とかしようとしないほうがよい。

”嫌な感じ“はない方が良いと、多くのひとが思う。
でも、こういった、”人がネガティブと分類する感覚“を無いものにしようとしても、簡単に無くなったりはしないものだ。押さえつけられて、消えたように見えるだけだ。

では”それ“はどこへ行ってしまうのか?
あなたの心の奥底の、自分では触れることのできない場所へ入りこんでしまう。
自分では触れられないのに、なぜあるとわかるのか?鏡のように、他者にそれが投影されるからだ。
嫌いな人、許せない人、怖い人、強い憧れを抱く人を通じて、私たちは自分自身のこころの奥と繋がっていかなければならない。

瞑想でもヨーガでも、今感じている何かしらの感覚や感情を何とかしたいと思うかもしれないが、それをまずそのままに見て受け容れることが必要だ。
受け容れるために何かをする必要はなく、ただ一緒にいればよいだけ。
「いなくなってしまえ!」とか「もっとこんな風だったらよかったのに」ということを言わずに、ただ、一緒にそこにいる。

それを”今の“私の考えで、「なんとかしようとしない」。
ヨーガの身体的な実践部分では、このことを繰り返し練習していく。
ある形でそこにいようとすると、様々な感覚が湧き上がってくる。特に大事にして欲しいのは痛みや不快感だ。それをなんとかしようとしないで、一緒にいることに努める。

そうすると、感覚は変化していくのがわかるだろう。
伝統的に、瞑想に先立ってヨーガの身体的実践を練習していく。これはとても理にかなったやり方だと思っている。体の感覚を「そのままにしていく」ことを学ぶと、実に気持ちよい感覚が得られることがわかる。

 

ああ、そのままにしていても大丈夫なんだな、ということを体を通じてわかった上で、瞑想で感情を扱っていく。感情は、身体よりも力が強いと言われているので、生半可な心構えでは扱うことができない。

そこに浮かんでくる感情をただそのままにして、そっと遊ばせてやるかのように、こねくり回さない。自由にさせてやる。

そこから変容は始まる。
その感覚を受け容れてあげられた時、世界がこれまでとは違って見える。