蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№293 「神経可塑的な動き」とは何か

目の前に人差し指を一本立てて、可能な限りゆっくりと動かしてみて頂きたい。 大事なポイントは「ゆっくりであること」だ。自分ではゆっくり動かそうとしてみても、ワープするように移動してしまうことがある。
指なら上手くいくという場合は、目の玉でやってみよう。
目を閉じて、目の玉を左から右へ、うんとゆっくり移動させる。多くの方が、部分的にジャンプをしてしまうと思う。 
 
毎日これを練習していたら、じきに途切れの無い滑らかな動きができるようになる。この状態が達成されるまでの日数には個人差がある。 これが「神経可塑的な動き」であって、ゆっくりとした滑らかな動きができるように、あなたの脳の中で神経的な変容が起こったことを意味する。 
 
ゆっくりな動きが、脳の注意を引く。普段の生活の中で何気なく行っている動きはオートパイロット状態で自動的に行われているが、あえてゆっくり動くことは、動作という行為をマニュアル運転で行うようなもの。同時に様々な事に意識を向ける必要が生じ、脳の働きは活性化する。
 
慢性的な痛みがある方は、「慢性痛のための回路」を持っている。 痛いなあ、と思う度に、この回路は強化される。あなたがそのことを考えて、決してハッピーではないとしても、神経はそういった判断はしないので、「いつもいつも考えてるんだから大事なことに違いない。しっかり補強しなくては!」と頑張ってくれているのである。 ここで肉体と私との間に、誤解が生じている。
 
この誤解は解消することができる。お互いの理解のための方法は、東洋では古くから伝わってきているのだが、残念ながら宗教的・精神的な用いられ方をしてきたために、これがカラダの問題にも効くなんて思っておられない方がたくさんおられる。 
 
考える・思うということは、神経にとっては電気信号として受け取られている。 頭の中や心のなかで考えることは、誰にも知られていないと思っている方がいるのだが、それもまた誤解である。 思うこと、考えることは、電気信号として伝わり、脳や腸に指令を発しているらしい。 信号を受け取った側は、それを重大指令として全身に伝えている。その結果、呼吸数が変化したり、血圧が変動したりしている。そういった目に見えない変化を、肉体は間違いなく表現しており、表情やふとしたしぐさとなって表れている。「望診」という診断方法は、この無意識の肉体の状態を捉えるものだ。
 
このように、意識せずに肉体に影響を与えている「考える・思う」の方向性を、日々の中で少し調整していくことが、慢性的な痛みを改善するために非常に重要である。これは、今この文章を読んで皆さんが感じられる以上に大事なことである。医薬品や手術では決して達成されない変化を、確かに起こすことができる。 
 
次回は、このお互いの誤解についてもう少し掘り下げてみよう。