蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№266 何回目でも、新たな

こんな夢を見た。

友人と二人で歩いている道の右手下方に、大きな露天風呂が見下ろせる。パムッカレのように、いくつもの湯船が繋がり合っている、壮大な湯だ。
その道を通り過ぎて、大きな講堂のような施設に行く。
そこで研修を行った。
鉄工所のオーナーたちと色んなことをやるのだが、最後はみんなでハグをし合うというワークを行って終了した。

場面は転換して、今度は車に乗って大宴会に向かっている。
運転しているのは友人の〇さんだ。交差点で信号待ちしている時にエンストしてしまうが、ウキウキ気分はそのままだ。〇さんの息子さん(幼児)にとてもなつかれる。
宴会では新入社員2人の女子を、総務のKさんが紹介していた。
そこから、急遽、別の場所に向かわねばならないことになった。
次は「美津賀内」というお店で、電話番号は03-5524-2621だという…


さて、今日は、遥々出雲市から、友人が会いに来てくれた。
出雲市から一般道で米子まで来てもらうとなると、片道2時間かかる。
高速利用で片道1時間。遠いところやってきてくれて、本当に嬉しかった。

余談だが、米子から羽田まで旅客機で飛ぶと1時間20分。
ちなみに県庁所在地の鳥取市砂丘があるところ)にも、片道約1時間。
山陰は横に長いので、移動は大変。

その後、ヨーガ療法士のY先生と情報交換。
クライアントと向き合って課題解決を目指すために、療法士としての実力を養っていかねばならないが、その力は研修会などの決まりきったカリキュラムで育つか否かの議論。二人の意見は、否。

結局、個々の先生がそれぞれの人生を生きる中で、自身の目の前の課題に十全に向き合っていくしかないのでは、という結論になった。
人を受容していく力を身に付けたいと思う時、ヨーガの懐の深さに甘えて、ヨーガ以外の多様な実践を疎かにすると、自らの先生としての力は養われないのではと思う。

なんだかんだ言っても、ヨーガの先生って、なんとなくそれでやれちゃうがっかりな職業なんですよ。
バラバラと集まって、ただ先生がやりたいように体操やって、終わればそれで帰っていく、そんなクラスがたくさんあるんだと、後輩のK先生が教えてくれた。

「K先生は、どんな先生になりたいと思っているの」とお尋ねしたら、上記のようなことを話してくれて、「自分はそんな先生になりたくない。生徒さんの求めるところに、ヨーガで向き合う教師になりたい」と話してくれた。

以前、鳥取県で一番勉強している先生になるんだ!と思っていた。
今は… 「こんな先生はなかなかいないんじゃないか?!」と思ってもらえる先生になりたい(色んな意味で)。

もっと欲を言うと、一緒にヨーガすることで、カミナリが落ちるような気付きが腹の底からやってくる、そんな教えができる先生になりたい。

誰にでも、何度目であっても、新たな気付きを与えられる、そんな先生になるぞ。