蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№142

出張あるある。
下書き保存していたはずの原稿が消えた。徒労感。

今月も神戸に来ている。
ここのところ、ヨーガの本来的な意味合いに近い仕事をして、やりがいもあるが負荷も大きい中で、単にクライエントさんに健康切り口でお話をして、一緒に体操もするというクラスが自分にとって如何に癒しであるかを理解した。

10年この仕事をやり抜いたからなのか、この間に師から与えられた課題に向き合ってきたからなのか、教えの仕事を始めたばかりの焦りや不安だらけだったことを思い返すと非常に感慨深い。
こんなに伸びやかな気持ちで、クライエントさんとセッションができることを、私の中の何かが飽き足らなく思っていたのだろうか。それとも、無意識化の、別の段階に進みたいという欲求が抑えがたくなって、今のこの状況なのだろうか。

ヨーガを求めて、師の下で教えを受けてきたが、今、応用編に入っているなあと感じる。
静かに整えられた環境の中で、心の平安を保つことはできるようになった。それでは、負荷の掛かる状況の中で、絶対者ブラーフマンを感じていられるのか。
この世のどんなものごとも、できごとも、絶対者ブラーフマンの顕れだと信じて、淡々とそこにいることができるのか。
今はそういう修行をしているのだと思う。

ぐるっと回って、最初の地点の、少しだけ高いところに位置しているような気持ち。
先生、私は少しは変わりましたか? 
と、師匠方にお尋ねしてみたいが、恥ずかしい。