蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

No.234

これは11月12日分として。

12日、朝5時頃、母が亡くなった。
出張に出ており、看取ることはできなかったが、父や姉に見守られて穏やかな最後だったという。
病で苦しんできたので、苦しまずに逝って本当に良かったと思う。

暫く前から覚悟していたことでもあり、先週末には娘と共に顔を見に行き、手を握って、できれば出張から帰るまで待っていて欲しいと念じていた。

不在の私に代わって、娘たちが駆けつけてくれた。
「おばあちゃんのお顔見てきたよ。とってもきれいだったよ」と長女が伝えてきてくれた。

こういう仕事をしていれば、親の死に目に遭えないことはあり得るとかねがね聞いていたが、残念ながらそうなってしまった。

心の葛藤の大きい母であった。
幼い頃の思い出など、ほとんど聞いたことがない。
きっと辛いことがたくさんあったのだろう。

その性格に苦しめられいると思って育ってきたが、今ふりかえるに、この上ない教育を授けてもらったことがわかる。

あの母なくば、私はこの道に入っていない。
今の師匠方にも出会っていないと思う。
子供たちの子育ても、今のようにはなっていなかっただろう。

今になってようやく言えることだが、母に感謝している。なにより、自分のこの粗雑体(肉体)を生み出し育ててくれたのは母なのだから。

親に対する葛藤を解消したときに、別れはやってくるのかと思った。
現し身を離れれば、時間や場所に縛られることもないだろう。母の個我は、まだこの辺りにいるような気がしてならない。

もし母が、次に生まれて来ることがあるならば、幸せなこども時代を送れたと思える生を、生きて欲しいと思う。