蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№181 考えすぎてやしないか

兄弟のような友人がいる。
血を分けた兄弟のように大事で親密な存在である。
その人に「ヴィパッサナ瞑想を教えて」と言われた。

ヴィパッサナ、という言葉はパーリ語である。調べてみると、サマタ瞑想の後にこのヴィパッサナ瞑想があるらしい。

私も、腐っても「瞑想講座」の講師である。少し解説しよう。
ヴィパッサナ瞑想は、仏教の教えによる瞑想らしい。想起してくるものをすべてありのままに受け入れるような瞑想で、前段階であるとされるサマタ瞑想は、呼吸に集中するものであるようだ。

さて、私はヨギーニ(=ヨーガをする女性、の意)であり、ヨーガ教師であるので、仏教系の言葉を使って指導をすることは無い。なのでここで、ヨーガの瞑想について少しお話をさせて頂く。

ラージャ・ヨーガ八支則の中の、6~8段階が瞑想に当たる。
瞑想にも段階がある。いきなり「瞑想」はできないので、準備段階もあるし、所謂「瞑想」の先もあるということ。

ちなみにここで八支則について簡単に説明してみると、

1 ヤマ 禁止事項:社会的次元の自己制御
2 ニヤマ お勧め事項:社会的次元の自己制御
3 アーサナ ポーズ(座法 長時間同じ姿勢で座るための肉体の準備)
4 プラーナーヤーマ 調気法(呼吸を制御し、神経系の制御が少しずつ可能になる)
5 プラティヤハーラ 制感(1~4の結果、感覚の制御が可能になる段階)

この先が瞑想にあたる。

6 ダーラナ 精神集中(呼吸などに集中)
7 ディヤーナ 瞑想(呼吸などの道具に頼らずとも瞑想が出来る段階で、浮かび上がってくる想念に捉われず、ただそこにいることができる)
8 サマーディ 三昧(対象と自分の区別が無くなった状態。「瞑想している」分かれた私という物は無い)

となり、ヴィパッサナは 7 ディヤーナに当たると考えられる。

この段階の先には目指す状態があり、それが「解脱」と呼ばれる究極の平安の状態である。なんだか大袈裟に聞こえるが、不安や恐れのない至福の状態で、この状態にもレベルがあるのだと思う。「プチ悟り」的な経験は誰にもあると思うが、常時ここに生き続けるのはなかなか難しいだろう。垣間見的「解脱感」を身体感覚として持っていることは、非常に重要であると私は考えている。この感覚を縁に修行等に取り組むことができるからだ。

で、ヴィパッサナに当たるディヤーナの話に戻るが、呼吸を数えたり、数珠を数えたりしないで座る瞑想。初心の場合は、止めどなく思念が溢れてきて、考えずにそこにじっとしているということがかなり難しい。なので、初心のうちは、呼吸であるとか数珠をカウントすることで、意識をそちらに集中し、言わば考え事から気を逸らす。

そこである一定時間を堪えぬいて瞑想ができるようになると、考え事は雲のようにそこら辺を漂うだけで、それもじきに雲散霧消。ハッと気づくと数十分経っているにも関わらず、与えられたお題などについてはつらつらと言葉が生じてくる、というようなことになる。

いったい、瞑想の間、自分は何処に行っておったのか。
θ波やδ波の出る世界に出かけていたのか。
そうかもしれないが、そうでないかもしれず、まあ別にそんなことはどうでもいいではないかという、とらわれの無い気分。

こういう精神状態になると、日頃のストレスがチャラになり、治癒が起こったりするらしい。雑念浮かびまくりでも、20分座るとストレス性疾患の発症が抑えられるそうだ(詳しくはベンソン先生の研究をチェック)。

動機は何であっても、瞑想の恩恵を受ける人がこの世に増えて欲しいということは、カバットジン先生だけでなく私も願っているところであります。
「〇〇瞑想」の〇〇の部分は何でも良いので、何かやってみて頂きたい。
困ったらご相談ください。
とにかく私は、大事な友人にダーラナとディヤーナをお教えしてこよう。

本日の表題について。
瞑想すると、普段自分がどれだけ物を考えてばかりで、どれだけ自分のなかに雑音が溢れているかがわかる。
この声、実はいらんやつ。
脳波は変わるし、ストレスホルモン出まくり。からだにとてもとても、悪い。本当に、悪い。

止めてしまうように躾けてやると、いついかなる時も、何処にいても、あなたは静寂に包まれる。
これを平安というのであろうと思います。

 

リラクセーション反応

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マインドフルネスストレス低減法

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