蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№178 肉体の軽視

先日「人間五蔵説」について書いた。

一番外側の「食物鞘」は目にも見えるし、内側に比べてまだしも意識がしやすいかもしれない。その為、様々なアプローチが、肉体だけのもののようになってしまっていることがもったいないのは確かなのだが、肉体からのアプローチは必須でもある。

内側の力が精妙で強いのは認めるが、だからと言って肉体はどうにでもなるかというと、決してそんなことは無い。そのことを重々わかっているからこそ、ヨーガ行者は肉体から行を始めるのだと思う。

「人間馬車説」というものもある。五蔵説は構造論、馬車説は機能論である。
この説において、肉体は真我が乗る「馬車」である。

真我は不変のもので、馬車によって変化はしないだろうが、他の要素はどうだろうか。
御者(理智)、手綱(意志)、感覚器官・運動器官(馬)、車内にあるとされる心素(記憶)・我執は馬車本体の素材や品質に大きく左右をされそうだ。

インテグラル理論の4象限の視点でも、1/4は肉体が占めるではないか。

なので、ヨーガを実践する私は、口に入れるものや呑むものに注意を払う。これにはアーユルヴェーダの知識も非常に役に立つ。

食べるタイミングや、素材、だれがどんな心持ちで作ったものなのか、どんな姿勢で何をしながら食べるのかにも気を配る。
食べない時間も重要だ。断食は大昔からなされているが、そもそもは精神修養の方法であった。

肉体は真我の乗り物だから、鍛えて性能の良いものにしておきたい。ここはアーサナやラウジング・エクササイズ(息が上がる連続的なポーズ)でコツコツやる。
肺の中の空気が澱むと血も濁るだろう。朝は必ずプラーナーヤーマを行う。鍼灸の先生曰く、私は症状が肺まで進まないそうだ。これもプラーナーヤーマのお蔭と思う。

起きれば舌を掃除する。オイルで口内を漱ぐ。まずこれをしなければ水は飲まない。
起床後は白湯を飲む。お腹の中を白湯が伝わる感覚を意識する。

などなど、肉体に対して行うことはあれこれあるが、馬車はきちんとしておかないと、真我も不満に思うかもしれないし。いや、真我なので二極の対立は超越しているから大丈夫なのか…。でも御者や馬は、馬車の状態が悪いと暴れそうだな。

何はともあれ、双方向に影響をし合っているからこそ、身体的なアプローチも大事にする。それは内面を大事にすることの、異なる表現。


ちょっと余談。
「こうすると早道だよ」というアドバイスを頂く事がある。

でも早道は、早晩壁にぶつかって伸びが止まるのでは?
(早期・英才教育の弊害と同じように)

なので、私は遠回りで、道に迷い、転びながら、一歩ずつ歩もうと思う。
峠道を遠くから見ている人にとっては、その行動が愚かに見えることは重々承知している。でもこれは私だけの道であって、行き着く先も分かっていないのに、バイパスを探しても仕様が無い。
その愚かな道行きを、暖かい目を持って見守って下さる方も確かにいるということも知っている。

成長は「今の自分には理解できない」ことをも受け容れていくことだと思うので、「早道アドバイス」にも一理あると理解しておきたい。この世は実に多様だな。