蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№179 やればやるほどわからなくなる

昨晩はヨーガ療法士仲間との会食だった。
勉強熱心なこの先生を、私はとても尊敬している。他に医療系のご専門をお持ちで、他分野でもヨーガの智慧を活用されているのがまた素晴らしい。

この方とは、定期的にお会いして情報交換のようなことを行っているのだが、「どのように活用して、どのような結果になったか」「学んだことを応用して、どんな気付きを得たか」という話が大半である。

ヨーガをやってるんじゃなくて、ヨーガを生きているんだなあ!という気持ちにさせられる。当然、ここでのヨーガは広義のヨーガであって、「体操を毎朝したら」などという話だけに収まらないことを分かっていて頂きたい。

この世には様々な学びがあるが、取り組んでいく過程でますますわからなくなっていくものがある。そういうものこそ良い学びかと思う。私にとっては、ヨーガも茶道も筝曲もそんな学びであって、とにかく長くやり続けることと、自分の言葉で発信をしていくことを通じて、理解しようと努めるしかないのだと思わされる。

2005年に、ある方からのご紹介でウィルバーの書籍に出会った。
理解するのは大変だったけれど、その包括的な理論に触れていたことで、物事に向き合う自分の姿勢は大転換してしまったと思う。

この世に全き真実などは無く、部分的な真実があるのみ。でも同時に、100%間違っていることもない。カンペキではないかもしれないが、これが誰かを救うと信じてる!という物言いならまだよい。しかしどうやらこの世には、「これさえあれば大丈夫」というような表現が多いように見受けられる。

今日は先程、聖典学習の会があった。本日の題材は、スワミ・ヨーガシバラナンダ大師の講話である。(師匠の師匠なので、私からすると大師匠。故人。)

ヨーガを行じる私たちは、この世に遍在する絶対的な力のことを「ブラフマン」という言葉で表現する。このブラフマンを「俺だけが悟ったぜ!」という人がいるが、自分の時局的な視点だけでわかったなんて言えないんだよ、というお話だった。
わかった私と、わかってないあなた。そんな区別をしても口論や暴動、分裂、戦争、憎悪が生まれるだけだよと。

ある教えによって「助かった」と思うことはあるが、「こうしたらいいよ!」なんて言いにくい。
だってあなたが本当はどういう状態なのか、あなた自身にもわかっていないことがあるのに。優れた道具だからこそ、個々がどうそれを用いていくかを、一緒になって真剣に考えたいと思う。

私たちの見解では、賢人とは、自分だけが絶対者ブラフマンのすべてを知ったと主張しない人です
例えある人物が絶対者ブラフマンを充分知ったとしても、それは限定的、局所的なものです。絶対者ブラフマンがほとんど人に知られていないことは、絶対者ブラフマン智慧は際限がないことを示しています。知ったとしても、絶対者ブラフマンのすべてを知ったと主張すべきではありません。
人の肉体を通してのみ神様の礼拝は可能です。それは区別なき解放へ人を導くのです。