明日はトラウマについて話す機会がある。
人間存在の最奥に歓喜鞘というものがあると書いた。
心臓の中の小さな空洞に、歓喜鞘はあるそうだ。
人間は本来喜びに満ち溢れた存在だというが、そうならないのには理由がある。
歓喜鞘には「心素」と「我執」というものがくっ付いていて、過去の記憶と、「私が」という思いが本来の歓喜を覆い隠してしまうのだという。
なので、私たちはヨーガ(瞑想)をして、この二つを浄化していかねばならない。
少し綺麗になったかなあと油断していると、もっと奥にあったものが浮き上がってきて驚くことになる。
生きているうちに浄化しきることは、もしかしたらないのかもしれないが、それでも多少はマシになったような気がしてしまうのだった。
インド人の世界観は、かなりペシミスティックだ。
今日は少し短めで。