蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

あそびの部分

我が娘が人生の岐路に立ち、あれこれ悩んでいる姿を見ていると、今にも開かんとしている花を見るような心地がします。
「なんのために進むのか」が明確になっていない幸せ、というのもあるのだなあと思うのです。

彼女は「猶予」を求めて進学をしようとしています。
そのことに葛藤があるようなのですが、周囲もそれを認め、後押ししようとしているのだから、それでいいじゃないの~と思います。

明確でない、ぼんやりしたものの持つ力、というのがあると思うのです。
「それ、いったい何の役に立つの?」というものです。
私は芸事の修練を行っていますが、それは「遊び」です。
どんなに真剣であったとしても「遊び」です。
遊びだからこそ素晴らしいと思っています。それが芸の力です。
私は茶人候補生なので、茶に対して様々な事を求め、悩んでみますが、
結局、飲んで美味しくないとがっかりしますものね。

そう言えば、私の茶名は、混沌としたものから生じてくる素晴らしいもの、という意味でした。
一見役に立たないように見える「あそび」の部分を大事に、人にも自分にも接していきたいものです。
大切だと思っているものごとに、あまりムキにならないように…