蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№693 ここに確かに

ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた  服部真理子

 

 

 

 

6月16日
いつもふらふらしている私であるが、今日はめずらしく、とてもまじめな気分である。神妙な気分といってもよい。
規夫師匠の書籍原稿を拝読させてもらいながら、すべてを通読してなにかを申し上げられなかったことを激しく悔やんでいる私。そこに絶対者ブラフマンの采配ともいえるチャンスが与えられた。「書籍の出版準備をしているから原稿を読んで」というど真ん中ストライクのオファー到来。深いワケがあって、誰のとか、なんに関しての、ということはいまは言えない。絶対ナイショである。カヨコよ、規夫師匠本における痛恨の思いを今ここに激しくぶつけるべし!


幸いなことに、当該書籍原稿の対象読者さまが規夫師匠ものとはちょっと違って読みやすく助かった。オレンジ色のフリクションを手に線を引き引き読む。今回はデータでないことも幸いした。そもそもイナカ者でアナログで明るい電気も苦手な私なので、紙に印字されている文字だとほんとに助かる。自分が専門とする領域とは異なっているので、お知り合いの方が書いた本でなかったら手にとらなかったかもしれない。でも大きく「健康」という括りではYogaとおなじ領域だから、そこに書かれている細部に引っかかって「電解質はどう理解する?!」「石灰化の原因とは?!」と疑問が湧いて色々調べて、ああでもないこうでもないと考えたりした。結局なにがどうなって健康を損なうかも、私たち人間は知らないのだ。

ナンチャッテYoga教師として生きている私は、確かにYogaに命を救われたと思い、また病んだ状態から社会復帰の道筋をつけてくれたのがYogaだという大きな恩もある。インテグラル理論などを背伸びして学ぶ過程でも「自分の専門性をちゃんと持って、それを通じて理解していくことが絶対に必要だ」と規夫師匠に言われたので、そのためもあってYogaに血道をあげた部分も否定できない。要するにYogaと私は切っても切れない関係にあり、私がYogaを教えているのはJK剣士風の表現でいうところの「あーね」というやつと一緒で、なんの不思議もないのだった。

 


ところが今回の原稿をお書きになった方は、そのテーマとされている領域と明確にわかりやすい関りは無いのである。ちょっと乱暴な表現をすると「なぜあなたが?」ということにもなろうと思う。しかしながらこの方のおはなしをこれまで伺う機会のあった私からすると、もうこれはズバリ絶対者ブラフマンの采配なのである。間違いない。

ご存じのとおり私はYogaにも絶対者ブラフマンにもかぶれているので、思わずこの方に申し上げたことがある。「あなたにその仕事をさせているのは絶対者ブラフマンであって、あなたは(ウィルバー風に言うと)親方に使い回されているのであるからNOは言えないのです」と。個我の欲するところよりももっと深いところから今ここに導かれてきたこと、その布石はうんと早い時期から在ったこと。なによりもこれが避けがたいミッションであることを、この方は存在の核の部分で十全に理解しておられる。

 

「おまえがやれ」とブラフマンが仰ったその仕事を成し遂げるのはきっとうんとつらいことで、でも同時にしあわせも大きくてそれは歓喜や至福のレベルに達し、そのダイナミズムのなかで時に翻弄されながらも絶対に必要な助けはすでに常に与えられていると思う。そう信じている。身の内にアートマンを宿し生きていくことを、私は地獄のなかで生きているようだとは考えていないから(師匠、ごめんなさい)。この世はMaya(迷妄)であるとは思う。でもどんな夢を見るかはきっと決められる。だって私たちはアートマンで、それは当然ブラフマンであることだから。

 


昨日の晩から、プラシーボ効果についてものすごい熱量で語っている本を読んでいるのだが、すべての病は心から始まっており、人の思考ほど恐ろしいものはないというYogaの教えとバッチリ同じなので、これもまた「あーね」(JK剣士風)という感じである。
Yogaを行じるということを人はどんな風に捉えているのかわからないが、その究極の目的は解脱・悟りであって、それを「観る者たる自分を確立する」ことで行う。私が観るものであるならば、どんな夢を見るかも私が決めていい。いや、決めさせろ。なにがなんでも自分で決めてやる!そういう気分である(そういう性格である)。

 


だからこの原稿をお書きになった方に申し上げたい。
あなたは、あなたの見たいと思う未来をきっとご覧になられるでしょうと。
とか言ったら笑われて、「未来じゃないよ、じきにやってくる現実なんだよ」と言われちゃうような気がする。


書籍ってすごいと改めて思った。文章だってすごいが、書籍はもっとすごい。ここにいるよ、あなたのことを想っているよ、この言葉が届くことを信じているよ。あなたはもっとしあわせになれるよ。そういう想いが言葉に乗せられて届く。そういう想いが詰まったモノ(紙であり、本になるもの)が私の掌のなかに確かに、在る。

今この文章を書きながら、強いエネルギー(Prana)がわたしのなかで動いている。愛には種類も区別もないから、この方が誰かに向けた愛が私の身体をも満たしてあたたかくしてくれる。

素敵な原稿を読ませてもらった。
確かに私がここにいるよと伝える力強い声。
揺るぎない愛。

 

 

 

№692 カレー伝授

恋人は不死身だろうな目覚めたら必ず先に目覚めてるし  谷川電話

 

 

 

6月15日
みなさん、こんにちは。しっかりふらふらしてますか?
最近ふらふら教へのあこがれが強まっているのをひしひしと感じる。昨日も某社長が「いいなあ、かよちゃんはいつもふらふらしてて。俺もふらふらしたい。」と言っておられた。ヤバいヤバい、ふらふら菌が伝染してしまったな。仮にもシャチョウさんたる方がふらふらしようとは言語道断、100年早い。来世まで我慢です。代わりに、私にふらふらのアウトソーシングをなさるとよろしい。あなたのぶんも責任もってふらふらして、テレパシーでふらふらエネルギーを送信します。これで八方よしです。

 

 

さて、今日はいよいよカレー伝授の日である。
先週意気込んで出かけたにもかかわらず、ニッパ駅前で即座に心変わりしてついふらふら~と幻のビールを飲みに居酒屋に入ってしまった。今回はそんなことしないぞ。気を確かに!私!

ところがどっこい、ニッパに行きたいのに桜木町にいる私。さすがに「なんかヘン」と気付いた。慌てて駆け込んだ電車が逆方向だったなんて…イナカ者のツラいところである。上京中、度々こういう事態が勃発する。気を取り直して逆方向(正しい方向)の電車に乗り換えた。するとこれからカレーの弟子になろうとしている人物から連絡が入った。「食材買ってない。なに買ったらいいですか」あ、そういえば「買い物リスト送っとくから」と言ったまま忘れてた。やれやれ、とほほ。


なのでスーパーローヤル四谷ニッパ店で集合ということに。この地域密着型スーパー、ローヤル四谷ニッパ店は、ニッパにあるのになぜか四谷と冠し、ニッパ店と言いながらニッパにしか店舗がないという。なんかそういうのすごくいい。私もそういう表現を採用してみたい。「Yoga Lotus東京出張所」とか言っておきながら実のところ他ではぜんぜん稼働してないよ、みたいな(働く人が私しかいないんだからそりゃそうだ)。

そしてこのスーパーローヤル四谷・ニッパ店の品揃えの凄さったら!
とにかくカレーの棚の充実度がすごい。これでもか!というカレー関連商品。ニッパの人、どれだけカレー好きなの?他もすごいよ。獺祭のスパークリングとか、無茶茶園の柑橘果汁とか、山陽では有名な因島のはっさくゼリーとか。ついなにかしら買ってしまう。今日はカレー食材を弟子候補生が購入しているうしろから、キティちゃんの絵柄のそうめんを2袋、“ピーナッツ太鼓”という病みつき系甘辛菓子を2つ、そしてやっぱり柑橘果汁を買って、来たばっかりなのにかばんを重くしている私。いったいここになにをしにきたんだっけ?

 

 

カレーのことだったね。具材はナス、しめじ、豚肉のみにしてみた。たまねぎは調味料のひとつという感じで。今回は「鳥取カレーの素」というルウを持ち込んでいたのでそれを使用。本来はカレー粉だけで作る。
想定としては、カレーを煮込んでいる間にYogaもやるつもりだったのだが、カレーとおしゃべりだけで終わっちゃったね。しかも長く家を空けている私は人んちの台所に立った瞬間にスイッチが入って、ハッと気づくとひとりでアッという間にカレーを仕込んで片付けまで済ませてしまっていた。伝授どころかただのお母さんである。「手際が良すぎてなにがなんだかわかりませんでした…」と言われてしまったが、まあ美味しいと言ってくれたから初回はこれでいいことにしよう。次回があったらこんどこそカレーの虎の穴だぞ!覚悟しておきなさい。

カレー用の皿とかありませんとのことだったので、育ち盛りだしどんぶりでよかろうとシノワ感たっぷりなどんぶりにカレーを盛った。食べ終えたところでそのどんぶりを取り上げて、またどーん!とごはんを盛ろうとしたら「そんなに食べません~!」と止められた。あらやだ、またやっちゃった。こどもたちが幼いころから「ほらほら、はいはいどんどん食べなさい~」とうるさくしては「ママもういいから!」と叱られていたが、無意識のうちに同じモードに入ってしまっていた。ごめんごめん。

食後はカバアイス(ミルク・抹茶・バナナ)をご相伴させて頂いた。とぼけたパッケージに惑わされてはならない、すごく美味しい。
帰ろうとすると「この後のご予定は?ふらふらですか?」と訊かれる。そう、そのとおり、さすがよくわかってらっしゃる。そもそも私、それしかないし。おみやげに大きな袋の「訳ありかりんとう」を頂戴し、帰りに横浜駅周辺でふらふらして先程戻ったところ。昨日買えなかったご褒美を横浜駅のルミネでゲットして(聖地田端のコーポレートカラーのような色のネイル)、ご満悦である。

誰かにご飯を作ってあげるのってたのしいな。ちなみに私がいちばん好きな仕事は洗濯。ケッコンしてから独学で(ホントに家政学の本を読んで)家事ラインをなんとか発達させた私。なので自分の家事遂行能力にけっこう自信がある。家計の部分はもうまったく興味ないので(なんとかなるサーの精神だから)、純粋に家事の部分で誰かこの能力を買ってくれないだろうか?時給800円で、って言ったらまた「それ、最低賃金以下だよ…」って注意された。じゃあ900円で。

 

 

 

№691 ありがとう、ただそれだけ

六月のやさしい雨よ恋人のいる人が持つ雨傘の赤   伊波真人

 

 

 

 

6月14日
本日2つ目、これは今日のぶんです。
今朝大浴場に行ったときウッカリすねをぶつけて、気付いたら流血の惨事になっていた。こういうウッカリの事故は意識化ができてないということを示し、Yoga的にはNGである。しかしそもそもが救いがたい人間だからこそ一所懸命にYogaをやんなくちゃいけなくて、アホでどうしようもないからこそ先生までやらせて逃げられないようにYogaの道に据え付けられた。いつもながら絶対者ブラフマンのお仕事は緻密にして完璧、愛に満ちている。

今日は先日行われた対談に関して書いておこうと思うのだが、その前に、リーダーや長女ぶーちーが「頑張ったから自分で自分にご褒美買ってよし」と言ってくれたので、五反田駅二階WIRED CAFÉで仕事をした後ふらふら~と東急ストア五反田店に行った。「品川か恵比寿に行こうかな~」という考えが一瞬浮かんだが、そもそも面倒くさがりなので即座に却下。ご褒美と言えばチョコ(やや高級)かマニキュア(夏らしいオレンジ色がいい)、もうスカスカになってきたアイシャドウを新しく購入するかっていうくらいのことしか浮かばなかった。長女ぶーちーは「ぜんぶいっとけ」とそそのかす。よっしゃ!全部いっとくか!

でも残念ながらいうか当然ながらというべきか、五反田の東急ストアにはなーんにもなかった。ソニプラでギリギリオレンジ色っぽいマニキュア1200円を買っただけである。これじゃ私がかわいそうだ…と思ってその足でまたふらふら~とBook 1stによったら、ナンチャッテYoga教師としてこれは当然積んどかないといけないんじゃない?と以前から思っていた「アシュターヴァクラ・ギーター」と「ヨーガ・ヴァシシュタ」の翻訳本があったので手にとると、そこから絶対者ブラフマンが語りかけてくる。私は常に腕輪の本質である金だけを見ている、おまえという者の本質をおまえはわかっていよ、と。はい!わかりました!一緒にお部屋に帰りましょう。Om Brahma Namah!
そして買った本が重すぎたので、お昼ご飯も買わずに戻ってきて今これを書いています。

 

 

さて、セミナー&対談について。
聖地田端のラーニングセンターはすごいところで、しかも規夫師匠のお家からも近い。ここで何かしないでどこでやる?!なにかやろうよ、やらせてお願い―!!とアピールして今回のこととなった。

毎月ここで仕事をさせてもらっているわけだが、なんだかだんだんアイテムが増えてエラいことになっていく。その様子を見て、素人芸のYouTube配信なんてもう絶対やんないと心に決めた(ここでの収録ならアリかもしんない)。たぶん先月だったと思うが照明まで現れて、PCもスマホも常時ナイトモードで黄色い暗い画面しか見ない私は「目が!目が―!!」とムスカ大尉のように掌で目を覆って泣きそうになる(大袈裟)。ここでこの照明で、規夫師匠のあのヘアスタイルがカッ!と照らされたらいったいどんなことに… ご覧になった方はどういう感じか既にご存知でしょう。昨日もリーダーがそのことに言及されて、至極ご満悦だった。「規夫先生、輝いてたよね!」って。もちろんリーダーは人間存在に関して言及しておられるはずです。よかったよかった。

でもほんとのこというと私、LEDの光とか大嫌いなんだよな。蠟燭かランタン、そうでなかったら暗いからもう寝ようよって言いたい。しかしここ田端に入らば黙ってリーダーに従え、である。次回からサングラスかけようかなー

 


ご著書を進呈頂き「Amazonレビュー書いてよ」というミッションを授かったので、イベント当日の朝に慌てて書いた(今朝ようやく反映されたので探してみてね)。じつのところ原稿の段階から拝読し、ざーっと目を通して気になった点などを申し上げねばならなかったのだがもうそれどころじゃない。読んでは唸り、考え、秘密のチームのスレッドで語り、遅々として読み進められなかった。

今の日本でこんなことを書いてくれる人は規夫師匠しかいない、そう思った。センセイと呼ばれている自分の在りようを振り返って慄いた。今、ご自分のあたまのなかに在るものをぜんぶ搾り出すようにして書いたと言ってくださっていた。まだ私は(現時点では=イイワケ)本を書いていないが、こどもを生んだことならある。命をこの身に授かってから形として生じさせるのは身を削る思いだった。想像しかできないけれどきっとあれ以上に苦しい作業をおひとりで黙々となさったんだろうと思うと、いつも涙が出そうになる。そして誰も、自分のなかに在るものを隠し持って死んだらいけないと思った。開示せよ。誰に何を言われようと、石をぶつけられようとも。

 


信頼性のあるガイダンスをしてくれる人が必要
「私」そのものを成長させる必要性
寛容になるために発達理論を学ぶ
人間の成長は孤独のなかでは起こり得ない
自力でやろうとすると危険
無力になって癒されることの大事さ
夢から覚めるプロセスにつき合うことが支援


もがいて生きてきて、ウィルバーの本に出会って、規夫師匠に出会って、洋平先生のお蔭で今のチームメンバーに恵まれて。こんな自分がかつてゴールデンシャドウだった師匠のイベントを「やりたい!」と言わせてもらったこと、現実的にやらせてくれるリーダーがおそばにいて下さったことがなんだか信じられない。日本橋の秘密の美女が背を押してくれたことへの驚き。「なんでもお手伝いするよ!」と言ってくれたたくさんの方々。あの場ではじめてお目にかかった方々、久しぶりにお会いした方々。画面の向こうで見守って下さった方々。インテグラル理論にほとんど触れたことが無いのに参加してくれた米子の生徒さんたち。みなさん、ほんとうにありがとうございました。

 

イベントの晩、死んだように寝落ちして気付いたら3時だった。そこから着替えて顔を洗って、数時間後に目を覚ましたら不思議な感覚がする。これまでカミナリのように脊柱を走っていた(ように感じられた)何かの力が、さざ波のようになって全身を満たす。なかなか開ききらないような気がしていた第4チャクラが、強く温かく波打っている感覚。そのときからTrueSolaceの“ThankYou” ゴスペルVerをひたすら聞き続けている。ありがとう、ただそれだけ。

今あなたのことが私の心にある。あなたも私のことを感じているはず。こんな自分じゃダメなんじゃないかと思ってきたが、こんな自分でもできることがあるみたい。ちょっとホッとして、とても救われている。

 

 

 

№690 代替物に過ぎない

大空の雨はわきてもそそがねどうるふ草木はおのがしなじな  源信

 

 

 

 

6月14日、だけど昨日の分
今日は雨ですね。常時ふらふらしている私はホテルの玄関を出るまでそのことにまったく気付いておらず、あわててフロントに傘を借りにいって先程五反田駅二階のWIRED CAFÉに陣取ったところ。


昨日のブログサボりました。すみません。
反省してます。だって(イイワケ)土曜のイベントのあと抜け殻になって昨日の仕事もさっぱり役に立たなかった。こういうのはO先生曰く「顔が汚れて力が出ない」状態。いや、私のご面相がキタナイって先生が言ってるワケじゃなくて、アンパンマンだよ?

ついてこれてない紳士(昭和男子)がいるかもしれないから解説しよう。
せいぎのみかた・アンパンマンは顔があんぱん。そりゃそうだよね、アンパンマンだもんね。ここまではさすがにわかるよね?でもこの顔=あんぱんが汚れるとパワーが出なくなるらしいよ?O先生に聞いてはじめて知った。わたしのアンパンマンリテラシーはけっこう低めであることがわかった。で、イベントではしゃぎ過ぎてヨレヨレになった私をO先生がアンパンマンに例えたというわけ。

カオが汚いんじゃないの、疲労困憊ってことだから。ジャムおじさんっていうパン屋さんに新しいアンパンを焼いてもらわなければパワーは復活しない。でも私の近所のパン屋はだいたい日曜が休みだからあきらめるしかない。今朝もまだカオが汚れてる感があったが、もうパン屋さんもオープンした時刻である。新しい(微細レベルの)アンパンが私のこ汚い顔とすげかえられたようで、多少ものが考えられるようになった。よかったよかった。

 

 

昨日は聖地田端での仕事だったのだが、こちらの仕事で使う写真の撮影もあった。私は先日高橋さんに撮って頂いたものをメインに使わせてもらうので、他のメンバーズとの集合写真や聖地田端でしか撮れないものを撮ってもらった。リーダーの会社のコーポレートカラーがオレンジで、先日のイベントで使用させて頂いたラーニングセンター(いつもここで仕事してる)に入るとオレンジ一色の鮮やかな壁が目の前に現れる。ぜひここで、とのリーダーのご意向で、みんなで並んで撮ってもらった。

高橋さんとの撮影がすごく楽しくて、これまでプロフィール写真を撮ろうとすると急に神妙な顔になりカタい感じの写真しか撮れなかったものを、なんだか撮られるのが楽しくなっちゃってとても自然に笑えるようになった。写真を撮るという行為もまたコミュニケーションが大事なんだよ、と高橋さんが教えてくれたけれど、やっぱりすべて優れた仕事はそこに向かっていく。「仕事」というのはひととひとが関わり合って行われることだから。自分以外の方がピンで撮ってもらっているときには、カメラマンさんの背後でヘンな顔をしてみせて思わずフキ出すようにしてみたりして、撮影はさくさくと30分くらいで終わってしまった。「みんなすぐに笑ってくれたから早く済んだよ」と言ってもらえた。

撮影後はいつもの仕事だったんだけれども、金曜までの私が作ったスライドについて解説しようとしても、土曜(規夫センセイ講義)以降のカヨコが激しいツッコミを入れてくる。「いやー、なんか言っとること陳腐だへん?(*米子弁です)」「効果とか効率とかじゃない重要なこと忘れとらせん?」みたいな感じ。更に「なんか今日エネルギー枯渇してる」と言われてしまうし、リーダーが求めておられることの意味はわからんし。これはたぶん、西洋医学とYogaの依って立つところの差のせいだと思うが。とにかくもう思考停止になってしまい、「すみません、帰って昼寝します」と白旗を上げてしまった。

 


先日O先生とPVT(ポリヴェーガル理論)についての自主勉強会をしたけれども、人が親密な誰かとの安心した関係性を求めていて、それがどれくらい大切かということをこの理論は説明してくれていてそれはホントに素晴らしい。インテグラル理論だって素晴らしい。でも、理論を具体論に落とし込んでリアルにどう使っていくかを自分の専門性(すごく狭いニッチな領域)で考え抜くこと、試行錯誤しながら活用していくことの方が大事だよねと話していた。

 

だれもみな愛されたい。身も心も。
Yogaは優れていると私は思っている。確かに救われた。長い年月をかけて安全性が担保され、究極の洗練を遂げた実践法だと思う。でも本当はリアルに親密な誰かに大事にされて、そこで何も考えずとも自然に起こる深い呼吸、感じる安心感、体内をめぐる血流やエネルギーを生じさせるための代替物に過ぎないと思う。どんなに優れたものであっても代替物にしか過ぎないという限界とそれに対する自覚をもって、ただ体操を教えるとか、ただ呼吸が大事だよと語るだけではないなにかを、目の前の人との間に育んでいきたい。あなたが誰かの瞳を覗き込んで、そこに見出した光を信じることができるように。目の前の人の手をとって、そのあたたかさをあなたの手で感じられるように。

 

 

規夫先生のイベントについては、次回書きますねー

 

 

 

№689 いよいよだよ

たづさへて登りゆきませ山はいま木々あおくしてさやけくあらむ  美智子上皇后

 

 

 

 

6月12日
みなさん朝からふらふらしてますか?
今日はいよいよ対談当日。ふらふらしながらも気合を入れて準備!って私がなにを準備するのって感じですが。気分だけでも!

滞在中の宿には大浴場があるので、毎朝そこに行く。なにしろYoga&Ayuruvedaのなんちゃって専門家という態で生きているので、あれこれやることが朝からいっぱい。自分の修行(実践)がそのまま教室で丸出しになるので、せめてしっかりやることやっとかないと。自分の世話をできないヤツが人に教えられるかあ!って慧心師にいつも叱られているから、もっと叱られないようにコツコツやっとかなければならない。愛は食卓から、Yogaは朝の大浴場からである。

そしてお風呂の鏡の前にすわったとき、ふと昨日のイヤーなことを想いだした。森の子リスネタじゃなく、こんどはらくだネタ。
世界一魅力的な男はだーれだ?そう、ニコラス・ケイジ。皆さんよくわかってらっしゃる。昨日の聖地田端での仕事のとき(仕事なのに)ニコのことを語ってたら、「あいつ、らくだみたいな顔してるよな~」とリーダーがいうわけ。なんですって。聞き捨てならない。これがリーダーじゃなかったら「もう遊んでやんない!」といって三日間絶交である。私が気弱で声も小さくて言い返せないからって、いうに事欠いてらくだだなんて。ふと目の前の鏡を見ると、口がトンがって眉間にシワが寄っている。いかんいかん、今日は大事な日なのに。しかし口惜しい。ゆるせーん。


そうそう、今日は大浴場で聴きかじったネタを書こうと思った。
当然そこは女子しかいないわけで、私はやることが多くて滞在時間が長いので来ては去っていくひとたちの様子をなんとなく感じたり、話し声が耳に入ったりする。だいたいスルーするのだが今日はもう耳がダンボになる対話が聴こえてきた。いやー、お湯に浸かるの久しぶりだわっていうワケ。なんですって?!風邪ひいたときとかしか浸からないんだわと。数日前ある女子(20歳)とある男子(昭和)に「湯船にちゃんと浸からんかい!」とお説教をしたばかりだというのに、お風呂の国ニッポンにこんなにお風呂に浸からない輩がいるとは。

みんなお風呂をなんと思ってるのかしらね!
単に汚れがどうこうとか、そういう表面的なハナシじゃないのよ?!

人間といういきものは血液の流れでもって肉体の維持や修復、浄化やらなんやらをやっているから、お風呂に入って浮力に身を委ね、暖かいお湯で血流促進することはアッと驚くほど健康にとって重要な意味を持つ。高齢者で湯船につからない人は寿命が短いというデータもちゃんとあるんだから。若返り、年齢不詳の人生に入浴(ホントの意味での入浴)は必須なのです。ここでドキーン!とした心当たりのあるひと、今回だけは許してあげる。今日のところは怒らないから、今晩からちゃんと湯船につかりなさい。

というようなことを書くと「何分間?」とか「温度は」とか「半身浴がいいの」とか細部にこだわってくるひとがいますが、いいからなにも考えずに浸かりなさい。浸かればよいのです。ただじゃぶん!と浸かるべし。

 

 

で、これから聖地田端へ向かう。今日は夕方から対談なのでドタバタしてしまうと思うし、なにより胸いっぱいでことばにならない気がする。だから今日は短めで〆ます。

今朝ようやく、規夫師匠のご本のレビューを書いた。一所懸命書いてみたつもりだが、元来アホなので役に立つレビューにはならないと思う。ただわたしのなかにある師匠への感謝の念は籠めてみた。たくさんの方がこの本に触れ、かつて私がILP(古い方)で感じた衝撃を感じ、規夫師匠に繋がることができますように。人が育つためには、基本的には支援者が必要だから。絶対者ブラフマンをいつも知覚できるようには、なかなかなれないから。

 

 

 

№688 対談前夜

このへんでねえキスしよう、目を開けて。わたしはことばでできてないから  尾崎朗子

 

 

 

 

6月11日
ふらふら東京ライフ5日目。本日は聖地田端の秘密の場所でお仕事。

ところでまず、今日ちょっと聞き捨てならないご指摘を受けてオトメ心が激しく傷付いた。このブログの読者様(昭和男子、かつクライエントさん)から「カヨちゃんは自分のこと“森の子リス”とかいっちゃって笑う~」といわれたわけ。ちょっとどう思います?しかもその方は自分のことを「シャイ」だというけどぜーんぜんシャイじゃない。

いや、人は自分のことはわかんないとYogaが教えているとおり。Yogaを淡々と行じ、目を閉じて内的視力を養うべし。さすれば私が森の子リスとして正しく見えてくることでありましょう。

リスにも色々いるらしい。傷付いた心を慰めるために「リス 凶暴」と検索をかけたら、「リスが凶暴化。次々と人を襲い病院に送るキラーリス」とか「スーパーで盗み食いをしていたリス」とか色々出てきた。すごいね、リス。可愛い顔してなかなかやるじゃん。私も見習わなくっちゃね。

 

 

さて!いよいよ明日になったよ。
規夫師匠の新著「人が成長するとはどういうことか」ご出版記念対談。この本の編集者・柏原里美さんとの夢の対談!

ある日ある時駒込でふらふら散歩しながら「師匠、本が出たら聖地田端で対談してくださいよー」とお願いしたらなんとOKが出た。その日からすったもんだで話は進み、いよいよ明日が当日。実に感慨深い。しかし本番がちゃんと段取りよく行われなければ… ということで本日は対談準備だったのだが、いやまた聖地のリーダーのこだわりがほんとスゴイ。私は明日の主役がお座りになる席にぼーっと座り、マイクのチェックのために「なにか喋ってみて!」といわれたらアホなことを口走るというただそれだけである。そもそも聖地田端で対談してくださいよ~とか口走って言っておきながら、聖地田端はリーダーの持ち物なのである。今、この森の子リス的私の周囲においでになる皆様の素晴らしさといったら…。もう胸がいっぱい。私の夢を叶えてくれてありがとう!リーダー、愛してる!

明日は当然、対談後に打ち上げ的なものが予定されている。そして師匠は今月がお誕生日、対談のお相手である柏原さんも同じく。明日お手伝いを買って出てくれたJさんもそう。なので打ち上げは出版お祝いとお誕生日お祝いを兼ねていて、アッと驚くケーキを準備するのが私の当初からの夢だった。妄想は留まるところを知らず、三段のケーキだと勝手に決めていた。でもなかなかそれが見つからない。こだわりの人・リーダーは甘いものは召し上がられないので、ここにはあまり興味が無くてらっしゃる。赤坂のマスターもっちの人脈を駆使しても三段のケーキを見出せなかった。ところがどっこい!際になって福音はもたらされた。

南の聖地(島)で色々洗われておいでになったMおさんからの天の声。ご自宅の近くのケーキ屋さんをご提案頂いたら、そこにずばり三段のバースデーケーキがあった。シンクロニシティ?今まで時を待ったのはこの三段のケーキのため? ありがとうMおさん。ありがとう三段のケーキ。おめでとう、6月生まれのみなさん!


昨日、Integral Japanの高橋恵介さんとの対話のなかで、ウィルバー、インテグラル理論、規夫師匠との出会いでなにが変わった?とのお尋ねがあった。振り返って考えてみると変化を自覚するのに5年はかかった。以前苦戦していたウィルバーの本が「あれ?」という感じですらすら読めるように(ムスカ大尉が「読める、読めるぞ!」と言ったみたいに)なった頃、子供たちに対して要らんことを期待するのをやめた。世間が「いい」とするものをよしとすることをやめたからだ。ただそこにいてくれる(Being)だけで十分だと思えるようになった。その感覚は時とともにだんだん強くなっていく。そうするとこどもたちとの関係も変わったが、他の家人とは話が嚙み合わなくなった。お互い「なんだこいつは」と思っている気がするが仕様がないと思う。私が「変わった」と思う以前の自分となら合意が成立していたので、ごめんよという気持ちもなくはない。でももう後戻りできないのでやっぱり仕様がない。

8年くらい経ったころから、お金に対する考えや姿勢が変わった。余計な念を付与してその影響力を過大視するのをやめたら恐怖心がなくなった。ステファン・ボディアンが「生きることの恐怖を手放すまで、お金の恐怖はついて回る」と書いていたが、この「お金にまつわる」恐怖を克服するのは私の長年の夢だった。ちゃんと叶ったのでとても嬉しい。

10年くらい経った頃には、物事を思うようにしようと思わなくなった。かの水木しげる先生が「人生をこねくり回してはいけない」という至言をお遺しになっておられるが、まったくそのとおり。人の小さなあたま、愚かな心で考えても、絶対者ブラフマンの緻密にして完璧なお仕事を理解するのは至難の業である。なので、じっと堪えて待つことしかできない。そもそも「センセイ」などと呼ばれる者の仕事はこの「じっと堪えて待つことに尽きる」と思う。これは茶の湯の師匠・宗晶師の教えである。ああせい、こうせいと言われたらたまったもんじゃなかったが、私の御師方はどの方も智慧のある優れたお方であったために、アホな私のカメより遅い(カメに失礼か?)歩みをただただ優しく待ってくださった。

 


そして今私はただここにこうしていて、なにも不足がないと思える。ただ、今、ここにこうしておられることがうれしい。「いまこうじゃなければいいのに」と憂うことこそが病気であるというVedaの教えに、完璧ではなくとも概ね従うことができる。

智慧によって救われたと思ってきたが、違う。人によって私は救われた。
ともにこの生を歩んで下さる方々に、心からの感謝を申し上げたい。

対談もお楽しみに! 

 

integraldevelopment.peatix.com

 

 

 

 

 

 

№687 カモシカ化

まあいっか わたしが可愛いことなんて わたしひとりがわかっていれば  佐藤真由美

 

 

 

 

6月10日
皆さん、こんばんは。今日も1日げんきにふらふらしてましたか?
お友達のJさんから送られてきた写真は、ハンモックだった。そういえば以前Facebookでハンモック欲しいと書いていたっけか。次に送られてきた写真は明らかにハンモック内から撮られた写真である。こういうのもふらふらというのだろうか?いや、ゆらゆらか?

 

 

さて今日、私はあまりふらふらしていなかったのだ!
大事なご用が二つも入っていたから朝から戦闘準備である。

規夫師匠やHさんがプロフィール写真を撮影されたことを伺い、そのお写真を拝見して「いいなあ~!」と思った。ただでさえ美しいHさんの柔らかい魅力が存分に引き出され表現されている。撮影してくださったのはなななんと、規夫師匠の本の装丁を手がけておられる高橋恵介さんだという。こんな方にとってもらった暁には、私だって私だって…ということで規夫師匠に泣きついた。あっさりお許しが出て、高橋さんにお繋き頂けた。そしてその後すったもんだしたが、なんとか本日撮影にこぎつけたのである!

まずはあれよね、何着て撮るか。先月の上京中から準備を始め、青山のTで服を買い、表参道のDで靴の試し履きをし、お目当ての色が無かったからオンラインで購入し、まあ他にもいろいろ気合入れてみた。最後はCIDESCO認定エスティシャンのT橋先生が「これ飲んどけ!」と仰る1300円のサプリまで飲んだ。いったいなんの効果があったのかはさっぱりわかんない。プリっとか、ピチっとかしていたんだろうか?

朝10時に有楽町で待ち合わせ。ドキドキしながら待つ。しかし暑い。せっかく塗った化粧がハゲハゲになりそう。金髪の高橋さんと合流し近くのスタバで打ち合わせをした。これまでmessengerでアレコレ盛り上がってやりとりさせてもらってきたが、リアルでお目にかかるのは今日が初めてなので、高橋さんがご自身のお仕事のことや規夫師匠とのご関係、Integral Japanのことなどについてお話下さった。これがめちゃめちゃ盛り上がって1時間近くお話していた。

アニメやゲームのキャラクターデザインなどがご本職で、ここに愛するオタクがいたら今伺っているお話の価値が十全に理解できるだろうに!!と思って、あとでその旨を愛するオタクに伝えたところ、こんな答えが返ってきた。

「ふっふっふ、違うんだな。サブカルだからって、ジャンルが違えば分からないんだな。表千家池坊ぐらい違えば、なんとなくはわかるけど、詳しくは分からないでしょう。」

 

表と池坊ってそもそもやること違うやんか。ああまたここにわたしの与り知らない深遠な世界が。更に愛するオタクに叱られる。「ツボイはありのままのその人を愛してくれると思っていたのに、なぜそんな風に勝手にジャンル付けするか」と。確かに仰る通り。なので謝って、でもあなたがそう教えてくれたからわかったことがあるよと伝えた。そしてごめんね、と。すると「いいんだよカヨコ(ハート)」と送られてきた。よかった、ありがとう、愛するオタクよ。


さて、撮影です。東京国際フォーラムの最上階で撮ってもらいました。光が最高なんだそうです。確かに柔らかい光がふんだんに満ちている。でもちょっと暑い…いや、だいぶ暑い。これは来月だったらゼッタイにムリだった。ただでさえ暑がりだから。
そして普通に洋服を着た写真と、ウェアを来た写真を撮って頂いた。ウェアはタンクトップとヨガパンツなので、これまでの自分なら絶対に撮らなかっただろうもの。

三点倒立(シルシャーサナ)やブリッジ(マジなやつ。チャクラーサナ)を行じる私の腕は逞しい。細めの女子の太腿くらいあるんじゃないの?と自分では思い、この二の腕があんまり好きじゃなかったのだが、ある時O先生が「きちんと鍛えてきたひとの腕だよ、そういうことに取り組んできていない人にはわからないよ」と言ってくれたので救われた気がした。それに最近はO先生のご指導のお蔭で前鋸筋もバッチリ使えるようになってきてるし、ただ太く見えるだけじゃないのよ。この前鋸筋のいい仕事してくれることったら…残念ながらわかんない人にはわかんない。それで意を決して(トイレで着替えて)二の腕をさらけ出してみたら、高橋さんが「カモシカのようだ」と言ってくださるのでこれまた救われた… ふくらはぎには以前シシャモを飼っていたが、知らない間に私はカモシカ化していた。いいじゃない、カモシカ

いい写真を撮るにはコミュニケーションが大事なんだよ、と高橋さんが仰る。高橋さんは素敵な表現で私を評してくれるのでとても嬉しかったし、楽しかった。曰く、モデルみたいだね、年齢よりもずっと若く見えるよ、政治家みたいだね(ヨガ新党?)、毅然としてるね、少女みたいだね、などなど。
修正して欲しいとこある?腕細くしとこうか?とお尋ねがあったので、先週寝ている間に蚊に刺された跡(左頬)は消してください、腕はそのまんまでいいです(カモシカだから)とお伝えした。

今のFacebookやHPの写真がとにかくひどすぎる、今より老けてるとさんざん言われ、最後は「モウヤメテー、わかったから!!」と叫んでいた。高橋さんの美意識には到底許しがたいんだろう。ということで、じきにプロフィール写真が変わると思いますからお楽しみに。



夜は東京藝術大学奏楽堂でのコンサート。演目はC.フランク「交響曲ニ短調、E.エルガー「創作主題による変奏曲「エニグマ(謎)」。高関健さんの指揮は素晴らしいと伺っていたが、まったくそのとおりで、ダイナミクスを実に豊かに弾き出しておられる。フランクの第1楽章がとにかく美しく、心打たれた。

前回この奏楽堂で演奏を聴いたのは去年の2月。翌3月から靈氣の勉強を始めたわけだが、今日の演奏を聴いているとそれぞれのチャクラに音が響いたり全身が振動に覆われたりした。エネルギーとしての音を甘受することができるようになったらしい。なんて豊かなことだろう。いい音楽を聴くと自分も演奏したくなる。
ああ、今ここに三絃があったらなあ。