蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№670 心身変化真っ最中

花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった  吉川宏志

 

 

 

 

5月24日
なんとか働いてくれている私のパソコン。ありがとう、なんとかもうすこしだけがんばって。

さてこれは今日の分。まずはマスターマリコとのやりとりについて書きたい。
昨晩大運動会が行われたような私の体内のエネルギー。でも体のなかなのか外なのか判然としない感覚もあった。そもそも内外なんて無いはずである。
いったいなにごとなのか示唆を頂きたくてマスターに助けを求めたところ、「ツボイの筋反射で聞いてみるから許可をくれ」とのこと。遠隔で。なんて便利な世の中なんだろう。そして結局のところ、答えは私自身が既に知っているということか。

頂いたお答えは「意識の変化が起きてカラダが変化している」とのこと。意識が先に変化して、その変化にカラダが今ついていっているそうだ。これからもっと意識とカラダに変化が起きるよ、と私の潜在意識が言っているそうである。ほー。更に私の潜在意識が選んだ本の、選んだページにはかような言葉が記されていた。

「人間に生まれただけで価値があるの。もっと自分に自信を持ちな。」

自信?
なかったのかな~、そんなつもりなかったんだけど、もっと、ってことなんだろうな。体内は運動会だが自分の意識状態はどうかというと、実感する幸福度が増している。それでもまだまだ修行中の身なので、過去の記憶(Yogaでいうところの心素)に我執が絡まっちゃって「うっ!」とボディブローを受けたようになってしまうときがあるのだが、それもごく一部の限定的な対象に対してだけだし、そのネガティブな反応もあまり長く続かないようになってきた。喜ばしいことである。

マスターからは、水を飲んで、寝たいときに寝るようにとのアドバイスを頂いた。なるほど。ということはたぶん、この二カ月東京でダラダラと過ごしたのが功を奏したってことなのかもしれない。

人間ってぼんやり生きるのが下手くそなんだよね。かくいう私もダラダラ東京で過ごしている間、「人間として生まれて、ほんとにこんなことでいいのだろうか…」などというバカバカしい悩みが湧き上がることがあったな。でもこれまでの大したことない過去を振り返っても、その後「おお!」と思える意識変化(当社比)を迎えられたときは、その前にひどい目に遭うか、具合悪くするか、極限まで活動押さえるかのどれかだった。ひどい目に遭うのも具合悪くなるのもイヤなので隠遁生活の方がいいかもしれない。コロナ禍でのリハビリテーションin東京、またやりたいかも。それと来月は横浜某所にて肉体の変化促進にトライしてみたい。


「家」という箱はホントに大事で、私は久々にここ(米子市錦町)に帰って朝を迎えたとき、小鳥の囀りで目を覚ました瞬間にPranayama(調気法)をやりたくてたまらなくなった。やっぱり木のそばでする呼吸は超絶美味しい。泊っていたのが五反田駅前だからっていうこともあるかもしれないが、東京滞在中だんだんPranayamaが苦行っぽくなっていったのには参った。東京でも緑が欲しい、美味しい空気が吸いたい。明治神宮とかに毎日通わないとダメなのかな。


住宅業界の闇に安易に触れると痛い目に遭うんだと、かつて統合医療学会に来てくれたあの先生やこの先生から教えられた。「僕が死んだら殺されたと思って」とも言っておられた。大きなお金も動くしなあ。その点にはあまり触れないでおくが、とにかく住むところは人間の心身にとって大事。

おともだちのJさんは、この「箱」を先に大改造しちゃったために(たぶん)意識の方が追い付いてなくてエネルギー大運動会が起きたんだと思う。Jさんは大運動会の先輩である。私は中身が先でソフトな変化が起こっているが、ここで一発ガーン!と箱を変える体験をしてみたい。

なんでも横浜に癒しを体験できるモデルルーム的なものがあるとかで、家を建てないつもりの人でも宿泊体験をさせてくれるという。以前から勧められていたのだがいよいよ時は来たって感じ。その名も「癒しの横浜体験ハウス」。なんだかそのまんまである。そしてHPには大きな文字で「3日の癒し体験で美人になる」とあり、この「美人」が大きく強調されているではないか。ええー、美人になっちゃう?なれちゃう?まつげ増毛するような付け焼刃じゃないヤツでいけちゃう?これ以上モテるようになったらいったいどうしよう(ツッコまないでね)。


HP を拝見するとこんなことが記されてある。

・肉体は水素や炭素や酸素といった遠赤外線の軽い大気中の元素で殆ど出来た細胞や水分で構成されている
・森に入ると身も心も軽くなるように、体は環境によって大きく左右される
・強力な遠赤外線の生命エネルギーの空間である「体験ハウス」では、短期間で体の疲れがとれエネルギーで満たされて行くのが分かる

これは確かに美人になれそう。
ちなみに免疫値というのが記載されていて、伊勢神宮の境内で18のところ、この体験ハウスは95だそうである。伊勢神宮に流れる五十鈴川で鯉が上流に向けて逞しく登っていく姿を見て「実は鯉ってこんなアグレッシブないきものだったのか?!」と魂消たことがあるが、それは伊勢神宮という場だからこそだったんだろう。こいのぼりって嘘やん、と思っていたのだが実は環境さえ相応しいものであったら、鯉も龍の如く天に登って行っちゃうかもしれないのである!ふつうのこ汚い池に泳いでいる鯉に生気がないのはそりゃしようがなくて、人間もそんな感じになってしまっているのかもしれない。池VS五十鈴川。そしてそれを超える体験ハウス。そういうことなら私だって美人になれようもんである。きっとそうよ、間違いないわ!

あー、なんだか今すぐ横浜に行きたくなってきた。
「え?ツボイ?きれいになっててわかんなかった!」って言わせちゃいたい。

 

 

 

iyashinoyokohamataikenhouse.com

№669  本社にて

彼を見たい 彼に至るまでに出会う人そのほかを眺めていたい  雪舟えま

 

 

 

5月23日
本日は愛するオタクとのリアルセッション。ビジョンクエストを終えて凱旋した愛するオタクをねぎらうために、松江市京町の珈琲館へ向かう。1.5人前のアコーディオンサンドはメニューから消えてなくなっていたので(誰も食べないからだろうか)、フツウサイズ(1人前・食パン二枚分)のクラブハウスサンドイッチを注文。サンドイッチが供されたタイミングで「写真見てください」とスマホを渡され、ふんふん、と写真を見ているうちに愛するオタクの皿のうえにはきれいさっぱりなにも無くなっていた。


過酷なクエストでガリガリに痩せて帰って来るか?!とちょっと期待していたのだが、会ってまず一番の言葉は「逆に太っちゃったっすよ」。うん、確かにその顎まわり、間違いなく貫禄増し増しである。「なんでそんなに太った?!」と訊ねると「えー、だって朝はバイキングから始まるし…」と。そうか、君は朝食を食べる人か、そうだよね…。そして旅先はどこも目新しい「今、ここでないと食べれないよ~」って囁いてくる食べ物がいっぱいだもんね、しょうがないよね。しょうがないよ。

写真、とっても素晴らしかった。このことの詳細は改めて書きたい。
一通りざっと見たあと私もサンドイッチを食べ終えて、松江に来たからには必ず行かねばならない本社、すなわちCAFFE VITAに出勤。今日はとても暑かったので「水出し、水出し」と念仏のように唱えながら店に入ったらもうすでに売り切れていた。みんな考えることはおなじよね。

よろしいですか?初心者のみなさん。VITAにはね、夏季限定の水出しコーヒーがあるの。一晩掛けて抽出された最高に贅沢なコーヒーなの。ここに来ないと飲めないの!!ぜひ今年のうちに一杯飲みに来てね。いろいろあるから状況見ながらね。


本社における本日最初の一杯(一の皿)は愛するオタクがコスタリカ、私はグアテマラ。デザートはティラミスと夏季限定のマンゴームース。二の皿はカプチーノ・レギュラーサイズ・トリプルショット(師匠にしか淹れられない最高に贅沢な一杯・ツウの飲み物)。三の皿はアイス・アメリカーノ。今日も満喫である。
お席はいつものスペシャルシート(わかる人にはわかるあの席)。幸いなことにまあまあお手すきだった門脇師匠のスペシャトーク込み。

長女ぶーちーと同じ高校ご出身の門脇師匠。先輩後輩の繋がりは血より濃いのですよ、知ってた? 多才な師匠は玉掛けの資格まで持ってるんだって。玉掛け…? あと危険物。そして簿記。それでケーキも作れて、豆も焼ける。中毒患者が出るようなコーヒーまで淹れられる。天は何物も与えてくれるんだね。


中毒って言えば、東京のおともだちのコーヒー洗脳に成功して「もうそろそろ豆が切れそう。切れたらどうしよう…」とSOSをもらった。そのことを師匠にお伝えしたところ「蔓延してるね」とのお返事。当然私も同じ状態でもう治らない。仲間が増えて感無量です。

 

 

さてさて、これは昨日書いていた昨日の分のブログなのだが、昨晩突然ニホンゴニュウリョクができなくなってすごく焦った。常々リーダーから私のこのPCに対する呪文のことばがかけられていたので(DELLなんてありえん…突然動かなくなるぞ…Macに変えるが良い…)「うっわ、とうとう呪文が効いたか!」と思い、諦めて電源を切ったのだった。今朝恐る恐る再起動したら何とか復活したが、昨晩夢のなかで「Macならどれがよろしいのですか」とお尋ねしている自分がいた。

入力できなかったら今月末〆切のコラム(某所から頂戴しているお仕事)ができない、どうしよう、誰に助けを求めよう…とつらつら考えてがいたが別に悩んでいたわけではない。絶対者のお仕事は、常に緻密にして完璧だからである。1時過ぎまでホーキンズ博士の「パワーか、フォースか」改訂版を読んで寝たのだが、体内で激しくエネルギーが暴れて寝るどころではなかった。各チャクラが「ここでーす!」とばかりに順に自己主張、なにかがグルグル回って熱を帯びている。脊柱に添って何かが動くのはいつも通り。そして軽い頭痛。いったいなんなんだ?!

その後は寝てしまっていたが、朝5時過ぎにパッと目が覚めてもう眠れなくなった。なにがなんだかよくわからなかったのでマスターマリコに質問をさせて頂いた。やはりアメリカの方がそういう方面の知識は豊富だなあと、マスターマリコを通じて感じさせて頂いている。そのことを規夫師匠に話すと、あちらはなんといってもキリスト教に支えられた宗教文化があるので、神秘的・霊的な体験を言語化するボキャブラリーを豊富に持っているのが日本と違うところ、ということだった。確かに。

私は未だに「奇跡のコース」のワークブックをのろのろと読み進めているところだが、そこで使われている言葉に馴染めなくて当初は読み進めるのがほんとうに大変だった。2012年にワークブックを読み始めて、途中中断して今年約5年ぶりに再開したところ、ようやくしっくりくるようになった。この数年間、マイスターエックハルト道元禅師を読むこととYogaの勉強を並行して行って、ようやくそれぞれの用語をあたまのなかで結びつけることができるようになった。ヤレヤレ。


ご存知の方も多いだろうが、このワークブックは毎日一つのレッスンだけを行っていくというものなので、どんどん読み進めていくことはできない。予定では今年の12月10日に、2012年1月からはじめたこのワークが終わることになる。中断した期間は私にとって必要な咀嚼期間で、きっとどんなにがんばっても読み進めることはできなかったのだと思う。読み始めたのは規夫師匠に初めてお会いした2年後なので、やっぱり学びっていうのは時間がかかるっていうことなんだよね。

 

 

 

 

 

 

№668 叱られたい?

江東区をはじめて地図で見たときのよう このひとを護らなくては  雪舟えま
 
 
 
 
5月21日
帰路に就く前にこどもたちが部屋にきてくれた。JK剣士とした別れのハグが熱すぎてちょっと嫌がられた。ぶーちーはシャイガールなのでこれまであまりハグをさせてくれなかったのだが、最近おねえさんになってサービスがいい。ギュッとしたとき細くてビビった(JK剣士の胸板と比べたら)。それで「細いなあ!」と思わず言ったらすごく喜んでいた。ハハと同じく乙女である。 先日ぶーちーと会ったとき指輪をしていたので「ももも、もしかして!」と(親のクセに)浮いた話を期待したのだが、深層は闇のなかである。闇のなかであってほしい。なーんにもないんじゃ寂しいでしょう。ハハもJK剣士のススメに従って007のような紳士とお親しくさせてもらわねばならぬし、ぶーちーも東京で恋のハナくらい咲かせてもらいたい。勉強は多角的に行って欲しいものである。インテグラルでなければならんのだよ。
 
 
さてハハはめっきり温和になって、出発準備が全然できてなくてしっちゃかめっちゃかの室内にやってきたJK剣士から「ぜんぜんダメやん」と呆れられた。ハッキリ言うのでハハの繊細な心が傷付く。もっと包んで言って欲しいわ…「そうやね、帰りたくないんやね」とかさ。

先日、御徒町で秘密の美女に伺ったところによると、昨今の企業研修では「叱ってもらう」ための研修があるそうじゃないですか。ただし人格否定はNGとのこと。そりゃそうです、もちろんです。でもこの話を聴いたとき自分のなかの何かがパッと反応した。「叱る」ことに関して私はなかなかなのよ。経験も豊富なのよ? 決してそんな風には見えないでしょうけれど、ええ。

なんでも「近頃の若いモンは」叱られなれてないんだそうだ。へー!みんなどんな平和な地に生きてきたんだろう?親御さんは人格者? その点で言うとうちの子たちはイケてる。間違いない。だって私かなりひどかった。なにしろ現役〇衛官、かつ教育隊の教官経験者。しかも私自身も「バカ・死ね」洗礼を受けながら社会人人生を始めたからなあ。このワードで怒鳴られても「えへへ」って笑って聞けるよ。なんでも慣れなんだって。
 
19歳で某国営企業岐阜県某市の支店に配属された時、10数名の小グループでお父さんみたいな存在の人が熊本出身だった。九州の人はフツーに会話してても「なんで怒ってんの?!」と思われてることがある。ぜんぜん怒ってないのによ? このひとは新人の私たちがアホなことをしでかすと熊本弁で「おまえらくらわすっぞ!」と大きな声で喝を入れるのだが、このときの新人三名はみなが九州出身(博多・飯塚・長崎)だったので、それを聞いたら三人が三人ともブーっ!と吹き出してしまっていた。「くらわすぞやらいいよらすばい=九州北部弁同時通訳:まあこの方は「叩いたろか」なんて冗談を仰ってますわ、ほほほ」てなもんである。かつてこの言葉を言われた本州出身の方々は超ビビッていたのに、今度のやつらは笑っちゃうのでお父さん役の上司は「どげんしょもなか=同時通訳:なかなか見どころのある若者でないか、ははは」と苦笑していた。

くらわすっぞ!というのは直訳すると「ぶん殴るぞ」というような意味だが、マジでぶん殴ろうとしてるヤツはこんなことは言わずに黙って“くらわして”くるのであって、くらわすっぞとわざわざ言うってことは冗談バイということを、九州北部出身者は空気で理解しているのだった。なので「くらわすっぞとかいいよっぱい笑」という感じでウケちゃうのであった。相手が悪かったのだね。

九州弁いいよね。なんていうか、おこっとってもおこっとらんごたかんじのするもんね。 我が娘たちも九州で生まれ育っておれば「なんばしょっとね?!」という感じのソフトなお叱りを受けられたであろうに、全国津々浦々から女子が集う教育隊でガツン!と指導をしようと思ったら決して訛っていてはいけないことを、このお父さん的上司から学んでいた私は、ちゃんと標準語で人を𠮟れるようになっちゃったよね。
 
叱るコツってあると思う。叱ってはいいけど怒ってはゼッタイにダメなのである。怒っちゃう人は「叱る人失格」即退場。そして流すこと。これを「お叱りはその場限りの法則」と言います。「二度とするな!」みたいな叱り方はしなくていいと思うわけよ。いやほら人間アホだから何度も同じ間違いしますよ、少しずつバージョン変えて。当たり前なんだって。人の成長は螺旋状で高度を変えつつ同じところグルグル回るんやから、しょんなかっちゃけん(=仕様がないのですよ)。 流す、というのは𠮟りはしてもご機嫌を悪くしないで、次のシーンでは普通にお相手を遇するということである。サラッとね。

人を叱るのって絶大なエネルギーがいる。だって口先だけじゃ相手にバレちゃうし。
先日JK剣士と仁義なき戦いをしたわけだが、この子はマジで引きませんよ。さすが剣士、さすが元代表of鳥取県。すかす、かわす、ということもしない。ハハはJK剣士と鍔迫り合いをしているような気持ちになった。大人げない捨て台詞(おまえのかーちゃんでーべーそ!もうあそんでやんない!)を吐き捨てて私は自分の部屋に帰ったが、あれが延長アリ・時間無制限、勝負決するまでとかだったらハハの方が「参りました…」といって1本取られて勝負アリになっていた気がする。だからハハが最近叱らなくなったのは、子供の方がエネルギー増大してきてるからというそれだけなのかもしんない。


しかしこの「お叱り能力」もったいなくないかな? だれかさー「うちの社員叱ってください」みたいな仕事くれないかな。もしくは「僕を叱ってください」というのも受けよう。「なんばしょっとか!」って叱って、Asanaして自律神経調えて、リラクゼーションでアルファ波出して、最後は「よかよか、よかっちゃけん。そいでよかと(=あなたはあるがままで尊いんだからだいじょうぶだよ)」とハグしたら、このダイナミクスの幅感で洗脳できちゃうよね。

そんな気がしないですか?しない?あらそう、残念。
 
 
 
 

№667 旅の効能

葉の匂いざあと浴びつつさきほどの「君って」の続き気になっている  江戸 雪

 

 

 

5月21日
ぶーちーに見送られて品川を出発したところ。次は約半月後にここに帰ってきます。この場所にいないとリアルに会えないぶーちーを含む皆さん、元気でいて下さいね。お許しあれば氣を送ります。テレパシーで許可ください。

東京に滞在しているあいだにお友達二人が旅に出て、なんだか素敵に変身して元の場所に戻ってこられた。ひとりは愛するオタク。そうそう、秋田を目指して燕三条に辿りついたところでJK剣士が帰国したので、その後のことを書いてなかった。ご心配の皆様もおられたことでしょう。ごめんね!

愛車ミッドシップツーシータ(いわゆる軽トラ)での長い旅は、彼のお尻をだいぶ疲れさせたと思う。余談だが「なぜ彼はミッドシップツーシータ(いわゆる軽トラ)」に乗っているの?」という素朴な疑問が都会の読者様から寄せられた。それはアレですよ、愛するオタクはたんぼや畑を所有する兼業農家だからなのよ。ミッドシップツーシータ(いわゆる軽トラ)は農家のマストアイテム。無くてはならないもの。007が上着に手を差し入れたら銃が出てくるように、JK剣士が竹刀を持っていなければ「おにいさん」と声をかけられちゃうただのJKになってしまうように、ミッドシップツーシータ(いわゆる軽トラ)の無い愛するオタクはありえない。二人はセットなの。


さて、オタク旅。燕三条で畳のお部屋に泊まって疲れたお尻を癒した。新潟ではたんぼと豊富な水に目を見張り、新潟県民の皆様は「雪国で我慢強いのか、頭良くて親切です」とのこと。さすが上杉謙信の国。上杉謙信は女性だったという説があるのご存知?興味がある方は「雪花の虎」を読んでね!

山形は特に何のレポートもなく通過(山形出身者のみなさん許して)。そしてちゃんと約束の地・秋田に辿りつきました!! 聖地・田端のヒミツの場所で仕事して、そのあとリーダーたちとご飯食べてたら「泣く子はいねかー!」となまはげの写真が送られてきた。「悪い子はいねがー!」と言われたらドキッとしたかもしれないが、誰かを泣かせても自分が泣くほうじゃないからなまはげの館に鎮座ましまします何人もの(いや、ほんとめっちゃおるよ…)なまはげを平静な心で見ることができた。そしてヒミツの場所でみんなに「見て見て!愛するオタクがなまはげの写真送ってくれたぁ!」と見せて回った。

この旅で避けては通れない!と私が強く主張したのが「永平寺・金沢・なまはげ」だったので感無量である。ありがとう、愛するオタク。私になまはげを見せてくれて。このご恩は松江のカレー屋Spiceでランチターリ全部乗せ、もしくは京橋(注・松江)の珈琲館でアコーディオンサンド(1.5人分のクラブハウスサンドイッチ)でお返しするよ!

秋田で味噌たんぽを食し、翌朝フェリーに乗って24時間の骨休め。勝手に前へ進んでくれるからよかった。そして福井へ。敦賀かな? 兵庫県へ入り城崎温泉で一泊。翌日無事帰宅したらしい。翌日は社内のプレゼン大会のために写真撮影をしたとか。愛するオタクは、その豊満なボディからは想像もつかないフットワークの軽さを持っているのである。素晴らしいよね。この週末、ビジョンクエストを無事コンプリートして一回り大きくなった(いや、腹回りじゃなくて)生オタクに出会えるのが楽しみ。


ところでこの愛するオタクは千家流のお茶なかまなので、昨年から「茶事やろうでー!」と盛り上がり、私は茶事の懐石のために成城石井で(山陰で入手しがたい京都の)白味噌まで買って渡したのに、なんだかんだで春が来てオタクは4キロ重量が増し「もう秋まで茶事はなし」とかいうのである。ええー!なんで?!やるって言ったやん!と反論すると、「太ったし暑いし、袴とかはけん」と言う。オタクデブ化のあおりを受けて今期の茶事中止宣言である。今年11月の炉開きまで我慢か?ああ、今年も単衣や絽の着物は出番なし…着物の着方忘れそうだわ。東京にもってきて着ようかな。だれかデートに誘ってください、着物着ていきます。

 

 

さてもうお一方は南の島へ。ほら、何千年も生き続けてきた大きな杉があるところ。現地からテレパシーを送ってもらった。銀座を歩いているとき、なにかが届いた気がした。写真もいくつか見せて頂き、また、お帰りになったその方はなんだか元気が溢れているように見えたよ。その地の氣って確かにある。きっとすごいところなんだろうな。インドは招かれないと行けないという伝説がYoga仲間のなかで語られている。たぶんこの島も、そのようなところじゃないだろうか。


さて、先日の晩、急にお腹が痛くなってのた打ち回ったということを書いたが、あれ、実は食中毒だったらしい…。軽いやつだったから吐いたりはしなかった。下から下るだけなら勝手に下らせておけばよい。ただ水分摂取を上手に行えばよいだけである。アーユルヴェーダでも「ちゃんと出る分はどんどん出しとけ」と言われ、出ない毒素の方がマズいことを教えてくれている。もしかして皆さんも何かにあたるとか、二日酔いになることがあるかもしれないので生き延びる術を書いておこうかな。

ただの水だとカラダが受け付けないので、糖とクエン酸を含む水分がよい。私はO塚製薬の回しものではないのであの有名なドリンクはここではお勧めしない。はちみつとレモンを混ぜて飲もう。あの晩私ははちみつレモン代わりに岐阜県八百津町内堀醸造りんご酢を飲んでいた。りんごジュースとりんご酢の混合液ですごく飲みやすく、そして超絶美味い。いやホントよ?五反田の東急ストアにも売ってあった。さすが。りんごにはペクチンという食物繊維が含まれているので、これを摂取しようと思ってわざわざ持参していたのだ。

いくら軽かろうと食中毒は食中毒である。その後まだ完全には回復していない。私の愛しい腸内細菌が大多数死んだ気がする… 明日、鍼灸治療を受けたときに叱られちゃいそう。なにゆえかようなことになったのかはとてもじゃないが書きたくない。大人のクセに恥ずかしい。皆様もなにとぞご自愛ください。食中毒ヤバいよ。

 

文章を書いているあいだに名古屋まで来た。家に着くのは4時間後。

 

 

№666 テレパシーで

汝に照らされて見つける吾のうすあおい卵の殻のようなもの  小林久美子

 

 

 

5月20日
明日は米子に帰らないけん… とっても楽しかったので、ションボリして帰り支度の手が滞りがちである。昨晩も今晩も、JK剣士はここに泊ってくれるのかと思いきや「さて、やることがあるけん帰るわ」と言ってサッサと自分のおうち(宿泊先)に帰って行ってしまった。サービス精神が足りないんじゃないの。

 

JK剣士不在にかこつけて東京で月の2/3を過ごすという暴挙に出てみたが、別にぜんぜん困らなかった。そして帰ってきたJK剣士に「ママはどれくらい米子におればいいかな」と訊いてみたところ「10日くらいでいいへん」と即答された。それ、あなたがいないときとおなじなんだけど?

それだけ家を空けて何がつらいかというと、あんことういろ(猫)と一緒に過ごせないことかな。猫には間違いなく飢えているJK剣士とハハ。先日原宿で猫カフェを発見して「行きたい~」と言っていたら、ぶーちーから「あそこの猫はね、触ったらダメらしいよ」と聞き意気消沈。猫なのに触ったらダメってどういうこと?猫はさわってなんぼですよ、ねえ。

触ったらダメな猫がいるカフェでなにするんやろうか。眺めながらお茶飲むの? このホテルのそばにキャバクラとかあるらしいけど、そういうお店もおなじような感じなのか。それってすごく切ないよね。「あー、触りたい。触らせてくれないかな」と思いながら誰かを見つめて飲食するなんて、逆に身体に悪い気がする。自分専用の恋人(猫)がいたらいいよね。犬でもうさぎでもいいです、お好みで。だからその点でいえば早く帰って、家に入って「おーい、どこにおる?帰ったでー」と叫びたい。そしたらごはん欲しさに現れて、足にあたたかい被毛を摺り寄せてにゃあにゃあ雄弁に語りかけてくるだろうから。


JK剣士が帰国して以来、なんだかんだでゆっくり本を読む暇がないのだが、昨日は少し余裕があった。4月末に上京してくるときから読んでいた「B面昭和史」をようやく読了。あとがきや巻末の対談などに目を通すと、現在の政治状況が昭和14年頃と酷似していると感じている人は私以外にも多くいることがわかった。そりゃそうだよな… 文庫化以来数年が経っているが、今のこのコロナ対策に関して著者の半藤さんはどのように感じておいでであろうか。

東京の人にはピンとは来ないかもしれないが、地方の感染症に対する反応は気味が悪い様相を呈している。いや、そりゃ都会の禁酒令とか灯火管制とかも異常ですが、地方には独特の怖さがあってこれが「隣組で監視体制を構築した」という話と被って現代の怪奇のようにも聴こえてくる。なんといっても一番怖いのは、創作ではなくて現実だから。

そういえば「もう東京にいた方がいいかも」と思ったのも、山陰における「東京に行っているひと」という扱いがなんとも苦しいような窮屈なような気がしたから、ということもあったんだった。明日からはまたその空気感のなかに戻っていく。今「帰りたくないなあ」と思いながらここにいるが、今度はどのように感じるだろうか。そして今後、私の行動はどのようになっていくだろうか。


同時進行読書中の著者・ノルウェーカップルセラピストは、「結婚制度利用礼賛」の立ち位置の人であることがわかった。なので後半はちょっと割り引いて読んでいる。約4割が破綻する制度における、人格的な要素ばかりを論じて(超越、もしくは感受性の鈍い大人になることで問題解決?)、制度の不備や人の本能的な部分について言及しないのはいくらカップルセラピストだからって片手落ちなんじゃないの?と思ってしまった。っていうか、カップルセラピストだからこそ結婚制度重視ってことなのかな。この方と上野千鶴子さんに対談してもらったら面白そう。読み進めながらモヤモヤしているおバカな私の目がカッ!と開かれて、「そうそう、そういいたかったのよ~」ということをズバリ明らかにしてくれそうである。

 

 

最近、エネルギー(Prana/靈氣)の感覚が鋭くなってきて、これまで一番弱かった第1チャクラ=ムーラダーラに熱の塊があると感じられる。このチャクラは存在の「根」であり、別名「ルート・チャクラ・根っこのチャクラ」と呼ばれる。昨年の春頃はまだここが弱くて、太鼓の大きな音や、地響きのように体に伝わる音楽の振動(良質なホールで足元から伝わってくる低音の響き)などにひどく影響を受けて悪夢を見るようなことがあったのだが、だんだんとここに生き物のような伸びやかな力が宿っていることが感じられるようになってきたのだった。この部分から背筋を通り頭頂にエネルギーが移動していく。瞑想時に感じられることがあったが、この感覚がだんだん強くなっている気がする。

このエネルギーをクンダリニーと呼ぶ。クンダリニー(कुण्डलिनी)とは、人のなかに在る根源的な生命エネルギー。万処に遍在する根源的なエネルギーが人のからだのなかにあるとき、こう呼ばれる。サンスクリットで「螺旋を有するもの」という意味。


今日はとても素敵な1日だった。夢のような1日だった。でも夢ではない確かな体験で、わたしのなかを動くこのエネルギーも目で見えないからといって存在しないわけじゃない。このからだには触れることができるが、感覚は感じ取るしかない。しあわせも感じ取るしかない。今も、思い出すだけで笑顔がとめどなく溢れるような1日をプレゼントしてくださった方に心からの感謝を申し上げたいから、これもエネルギーで伝えてみる。ちゃんと伝わったとき、その方の口元にも自然に、いつものチャーミングな笑みがこぼれてくれるといいなと思う。

 

 

 

 

№665 たったひとりのひと

対岸をつまづきながらゆく君の遠い片手に触りたかった  永田紅

 

 

 

5月19日
昨夜はひさびさにJK剣士と一緒に眠った。一緒に東京にいる間に一度くらい、ということで。このふたりはどちらも寝相がいいのでそれが可能なのだ。
夕食は横溝正史の「悪霊島」鹿賀丈二主演を見ながら。最近こんな映画ないよね、というくらいトラウマ映像満載である。そして岩下志麻、美しすぎる…ウットリである。でも最後まで見ていないので結末がどうなったのかまだわからない。

昨日は五反田駅そばの東急ストアがようやく開いていたので、ブックファーストに行ってみた。なかなか面白い品揃えの書店だった。
近頃は女性性に関わる書籍が多く入手できるようになった。とてもいいことだと思う。今、日本語で読めるものは大概網羅したと思うが、なかでも助産師のたつのゆりこさん監修・原田純さん著の「ちつのトリセツ」、リン・エンライト「これからのヴァギナの話をしよう」のふたつは秀逸だった。「これは読んどけ!」といえる推薦図書である。女性性を含む健康やパートナーシップ、そして関係性における愛を考えたい男性にも手にとって欲しい。当然女性はみな読むべし。

ということで昨今は、健康×女性性に関する本なら米子の今井書店錦町店(ツボイ御用達)でも入手できる。がしかし、昨日五反田のブックファーストで目にしたのは男性のためのセクシュアリティに関する本の、かなりのバリエーション。これはちょっと山陰ではお目にかからないなあ。さすが都会、地方都市とは違う東京の凄さってこういう点かと思う。ざっと背表紙を見た感じでは「これホントに役に立つのか?」と言いたくなるものばかりだった。もう一声ツッコんで表現すると「これ、ほんとにあなたのパートナーシップのためになるの?」、もしくは「あなたのパートナーを愛することにつながるの?」ということだろう。愛のインフラ整備仲間のJさんと一緒にこのラインナップを精査して、みんな(特に男性)の愛に対する認識と、こちら側(女性)が愛に求めるものについて話し合ってみたいものである。


さて昨日私が入手したのはノルウェーのセラピスト、ビョルク・マテアスダッテルによる「北欧式パートナーシップのすすめ ~愛すること愛されること」である。
最近主に読んでいる「B面日本史」はとうとう沖縄戦が始まった。B面だから庶民の生活を描きたいがこの時期にそんなものはないに等しいと著者が書いているとおり。昭和19年7月15日、今後の戦争指導方針検討会議のなかでマジメに検討された案のなかに「今後のことはどうでもよし」という一文があったというから驚き。コロナなんかでびっくりしている場合じゃないけれど、うっかりするとまたこんなことになっちゃう怖れだってあるんじゃないのという陰鬱な気分になる。この気分から転換するために、お互いが手をとり目を見つめ合って愛を構築するためのセラピーを提供してきたという人の本を手にとってみた。


この方は、どんな関係性だろうがカップルのことは「恋人」と呼ぶことに決めているという。ノルウェー語で「恋人」を表す“kjaereste”(すみませんが表記が間違っています、必要な文字が打てませんでした)は「最も愛しく、かけがえのない」という意味を持つそうだ。自分にとって一番愛しい相手を大事に扱いましょう、と著者は語りかける。愛とは、あなたが見つけた最も愛しい人を大事にし、あなたが選んだ相手の最も愛しくかけがえのない恋人でい続けることだと。

米のカウンセラー、G・チャプマンが愛の表現を5つに分類しているという。
「よい言葉/ともに過ごす時間/実践的な注意/身体の接近/プレゼント」

このなかでわかりにくいのは3つめの「実践的な注意」かと思うが、これは実用的な注意を相手に対して向けることを示し、具体的には、買い物をしてきてくれる、仕事や作業を手伝ってくれる、コーヒーを淹れてくれるなどということ。行動から生まれるのが愛だと気付くことで、愛され尊ばれていると思うことができるだろうとあるが、正にそのとおりだと思う。私は自然に療法士の仕事を選んだし、子供をはじめとする誰のお世話をするのも好きだが、これを当然と思われることで多分に傷付いても来たのでこの分類にはハラの底から納得できる。特に女性は無償のケアを求められることが多いので、これを愛の行為とお互いが捉えられる関係であれば非常に豊かなパートナーシップが築けるだろうと思う。

 

昨晩読み始めたばかりでまだ読了していないのだが、これまでのところで特に心に残った点について書いておきたい。
私もYoga療法を指導する中で、バガヴァッド・ギーターの教えどおり二極の対立を超越しようとし、「これでいいのだ」の境地で生きんと心に決めてはいるけれど、それが全うしきれないからこそ実践は意味を持つ。時に気分は沈み、涙を流して、そこからまた回復していこうとすることの繰り返しこそが生きるということ。

この本のなかで著者は「過度なポジティブシンキングが関係性を損なうことがある」と指摘する。
「イヤなことに目を向けずに前を見て!」という言葉をかけられることで、真剣に受け止められていないと感じ、それが繰り返されると相手を避けたくなるのだと。苦しいときに受けとめてもらえないと、ありのままの自分は受け容れてもらえないのだ――自分は、満足して陽気で元気な時しか価値がない――という思いが生じ(きっと存在の奥底で)、恥と孤独を養ってしまうことになる。

悲しみや心配事、不安や不満に寄り添い、ありのままの感情が受け入れられ表現できることこそが尊敬と愛であり、そこに真のポジティブさが生まれる。人と人が向かい合うとき、そこには必ず違いを見ることになる。この違いがあるからこそ惹かれたのだから、それをさらに愛しく育んでいくためには、目を見つめ合い、手を握りながら、勇気をもってでなければ言い難いことをあえて言葉にして対話していくことが大事なのだろう。大事なことであればあるほど言い澱んでしまう。このとき、ふだん公の場面でどれほど雄弁であろうと言葉は喉元に引っかかってしまうだろう。

でも、これまでに伺ってきた多くの方の人生や、自分自身の来し方を思っても、なんとしてでもこの言葉をやり取りできる関係性を、時間をかけても構築したいと思う。人と人が真に理解し合うのはなかなかに難しいことだから。

せっかく生まれたチャンスを誰にも決して無駄にして欲しくはないし、それは私もおなじである。恋人であっても友人であっても、仕事上のパートナーであっても、それぞれの愛のかたちを育んでいきたい。
こんな人と、きっともう二度と出会えないと思って。

 

 

 

 

北欧式パートナーシップのすすめ:愛すること愛されること

北欧式パートナーシップのすすめ:愛すること愛されること

 

 

№664 お礼参り、そしてシャツ問題

そこをなんとかおねがいされてくらくしてひかりをあいしそこでくらした  望月裕二郎

 

 

 

 

5月18日
今日は驚くほどアクティブな1日だった。私にしては相当に珍しい。先月今月とずいぶん長いこと東京に滞在させてもらったが、こんなに動き回ったのは今日が初めてかもしれない。

お昼、日本橋たいめいけんでオムライスを食した。JK剣士が昨年6月にしげにいちゃんに連れて行ってもらったそうで「いちどは食べとけ」と勧められたのだ。伊丹十三お好み?のタンポポオムライスなるものを頂いた。チキンライスのうえにどーん!とりっぱなオムレツが鎮座ましましていて「どうやって切るかわかりますか?」と店員さんに訊ねられたので初心者らしくいいえと答えると、横一文字に切って開いてとのご説明であったが、どう考えてもそれしかないだろうと思ったのは初心者の負け惜しみだろうか。

食後は大手町を目指す、つもりが三井記念美術館に寄ってしまう。どうせどうせ開いているはずがないのに、未練がましく寄ったらやっぱり開いていなかった。ほんとだったら!今は茶箱展をやっているはずで、それをすっごく楽しみにしているのに…。
もっといえば近美や国博の展覧会だって楽しみにしていたのに。連休はそれをはしごして具合が悪くなってもいい!と覚悟を決めていたのに。

数年前のGWに、3つの美術館(根津、新美、サントリー)を回ってすごい絵画のはしごをしたら、脳がヒートアップして最後のサントリー美術館を出たところで吐きそうになった。今年の展覧会ラインナップは私の心を鷲づかみで期待大だったのに(これを見ずに米子に帰れるものか!)。ここで超マジメな国民ならば「仕様がないよ」というところかもしれないが、某師匠の弟子たる私は不良国民なので腹立たしいことこの上ない。

 

さて、閉まっている三井記念美術館を恨めしく通り過ぎマンダリンオリエンタル東京の出店へ入る。生姜とレモンの入ったはちみつを、ある方のプレゼントに購入。この三点セットはAyurvedaの教えによると浄化のためのクスリなので、お疲れのときにペロッと舐めてもらえると免疫力も上っていいだろうと思って。そしてビール並みにお高い炭酸水を飲みながら、三重県のアンテナショップ「三重テラス」を眺めて屋外のソファでぼんやり佇んでみた。

幸い雨も降らなかったので、予定通り徒歩で大手町をめざす。日本銀行の前を通り、猛烈に空気の悪い高架下をくぐった。次なる目的地は将門の首塚。昨年11月にお詣りに来たら改修工事が始まっていて、首塚はパネルで覆われて仮宮が安置されていた。

ここに初めて詣でたのは昨年の6月。その時はしげにいちゃんとJK剣士と三人で詣でたのだが、私がしげにいちゃんと東京を歩いたのはそれが最後になった。はじめてきたというしげにいちゃんも「ここはすごいな」と言っていたっけな。
昨年の3月から5月は上京もできず、私はどうしても、なにがなんでも6月に東京に行きたいと思ったことを思い出す。そのときなんだか「ここに来い」と呼ばれたような気がしたので、まったくの初めてだったのだけれど来てみたのだった。気のせいだろうと笑って頂いて構わないが、それ以降も毎月「ここに来い」と呼ばれているようで、11月まで毎月詣でたように思う。11月は大事な方のご加護をお願いしたい気持ちもあり(お願いごとなどほんとはしないものだけれども、どうしても)仮宮に手を合わせ、別日に神田神社に詣でた。そのとき心に留めていた方もご無事に物事を済まされたので、改修工事が終わったら御礼に上がりたいとずっと思ってきた。

今回は近くの横断歩道を渡る前からなにかしらの氣をビンビンと感じるように思い、とても驚いた。なぜなのかはわからない。新しくなった塚はちょっと凄かった。今日カラダで感じたことをここに書くことはしないけれど、気になる方は直接聞いてもらえれば。そしてできればぜひご自身でも足を運ばれて欲しい。私が言わんとしていることがきっとご理解できると思う。久々に手を合わせ御礼申し上げられてよかった。来月もたぶんまた訪れるだろう。


さて、その後意を決して、この面倒くさがりの私が表参道まで足を伸ばした。ある方へのプレゼントを手配し、お気に入りの靴の試し履きをした(山陰にはこのブランドの専門店がないんだもん!)。一番気になっていた靴はサイズが店頭になかった。4足試したかったのに2足しか履けず仕舞い。2足のうちいずれかを購入したかどうかはナイショ。

その後、秘密の場所に潜むJK剣士とおやつを食べながら話をした。「サイズがなくて取り寄せで、1週間かかるって言われてさあ」と話すと、「ママはジェームズ・ボンドみたいな紳士とお付き合いをするといいんだよ」とアドバイスを受けた。なぜ?!

MI6の諜報部員ジェームズ・ボンド、コードネーム007は素肌にシャツを着る色気だらけのイイオトコである。女性にプレゼントをするときにはサイズを聞かず、「君のサイズを眼で計ったのさ」と云ってジャストサイズをプレゼントしてくれるそうである。しかもMI6の経費で。なのでママも素敵な紳士に靴をプレゼントしてもらいなさいというワケであるが…全然イミがわかんない。わが娘に素敵な紳士を探せと言われるとは思わへんかったね。しかしそういうプレゼントをしてもらった暁には、私からも「あなたのサイズを眼で計ったのよ」と言ってスーツをプレゼントせねばならぬそうである。それは大変だ!我が眼力を磨くところから始めねばだよ。


ところで今日は最後に「素肌にシャツ問題」について書いておきたい。〇衛隊では制服は官給品で、ダッサイシャツも一緒に支給されてワイシャツの下に着ろという指導がなされる。丸首もしくはU首。これさ、最高にカッコ悪いよね。先日某所で若い男子の胸元から丸首シャツが覗いているのを見てしまい(だってボタンが開いてたんだもん)、「ちょ…それって」と萎えた。ないわ、それないわ。〇衛隊みたいにご指導されて叱られるんじゃなかったら、ゼッタイないわ。

なので全国の素敵な紳士、及び紳士になりたいイケてる男子の皆様、シャツは素肌に直接着てください。007の映画をよく見て、エロい魅力あふれる紳士についてのイメージをたたき込んで下さい。JK剣士によると「そういう目的ならば『カジノロワイヤル』を見ておきなさい」ということだそうです。


ところでさっき、急にお腹が痛くなってのた打ち回った。たまたま部屋にJK剣士が来てくれていたので心強かったが、お腹痛いときにひとりだと凹む。具合が悪いときには誰かにそばにいて欲しいし、そばにいてあげたい。すごくそう思う。