蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№652 サボる、という安全装置

さみだれはあしたさみどりひるはしろゆふべうするり夜のふけて金  松平盟子

 

 

5月5日

こどもの日だなあ。JK剣士からは何日も音沙汰がない。元気にしているんだろう。今日も昨日に引き続き長女ぶーちーに会う。ランチでもと思ったがお休みの店も多いので探すのが面倒。客室にきてもらうことにした。しかし本日は清掃日なのでどこかに一時退避せねばならない。



今日は午後から秘境田端へ向かう。この1年、会う人会う人に秘境田端の自慢話?をし続けてきた。ハッキリ言って私などがエラそうに自慢するのはまるでお門違いなのであるが、部外者の私が語らないと知る人ぞ知る関係者だけのヒミツのまま終わってしまう気がして、CAFFE VITAと同じく勝手にエイギョウブチョー気分で語りまくっている。あ、VITAは公認でした。名刺作らなきゃ。この場所も門脇師匠のコーヒーと同じくハナシを盛っても盛っても盛り切れない。というか、なにぶん素人であるため深く理解していないから伝えきれない。くっそう、モヤモヤするなあ!

ということで、本日も秘境田端の見学ツアーである。“無”関係者でありながら見学に同席し、エラそうにドヤ顔して、いえ神妙な顔をしてしずしずと人のあとについていく。先だってマスターもっちがこちらを見学なさったとき、これまで知らなかった事実をはじめて知ってしまい、エイギョウブチョーのふりをしている自分が一番ショックを受けた。今日ももしかするとそんな感じで新たなことを知り、新たな衝撃を受けてしまうかもしれない。

いやしかし、人生は毎日が刺激的。何歳になっても生きてて飽きない。今後も楽しみ。ちょっと、いや、だいぶワクワクする。

 

 

さて今日はJさんとマスターマリコが遠隔でやり取り(ヒーリング)を行うと伺っている。そのことについてのご話をお伺いするのも楽しみ。Jさんの不調の原因に思いを致すに、人の成長発達はゆっくりでなければ、いう言葉が身に染みるように思った。

Yoga実践をはじめとしてなにごとかにとりくむとき、順調にそのことに邁進できないことで自分を責める人は多い。「三日坊主で…」と言い訳なさる場面に数限りなく居合わせてきたが、三日坊主も10回繰り返せば既にひと月分である。そうやって人はよちよちと実践を積み重ねていくのであって、なんにも恥ずかしいことはない。

だっていつも思うんだけどさ、茶歴ん十年とかいいつつも実際稽古した回数ってなんぼよ?茶会に居合わせた回数や時間をトータルしてもたいしたことにはならんのに、まあエラそうに「何年になります、おほほほ」って言ってる。なので毎日毎日実践をマジメにできなくっても恥ずかしくなんてないのである。「やりたい、やろう。やるぞ、いやしかし、ああ…」と思いながらサボりつつ葛藤しつつ、実践は積み重ねられていくのだ。

 

そしてサボることには、実は自分を守る効果がある。
もし環境を先に完全に変えてしまったら、良くも悪くも逃げ場がなくていろいろ大変なことが起こる。それは悪く言えばストレス性疾患で、よく言えば好転反応である。

かつて某国営企業でセンセイをやったとき、GWの連休が明けた頃から学生たちが不調を訴えるようになったことを思い出す。腰痛、腹痛、ケガ、風邪、仲間同士の諍い…バリエーションは多彩なようで根っこは単純である。

4月あたまにやってきて、4月末には連休でいったん帰省できるからそれを励みになんとなくやり抜ける。教育訓練もまだまだお試し感があってやることもイージーだったのが、休みが明けても逃げずに無事帰ってきた学生たちをよしよしと受け入れてからのち、だんだんと過酷な訓練と精神的負荷を課していく。5月半ばで7月の卒業なんて永遠みたいに先に思え、そもそも7月末までの間にいったい何をさせられるかが闇のなか。説明されたとしてもちんぷんかんぷんで心身は混乱する。ここに慰めてくれるお母さんはいない上、お姉さんのような班長は鬼より怖い(私じゃないよ)。

 

そうしていったん沼の底に沈めるようにして、身も心も生まれ変わらせるのが環境変化のちからだと思う。なんども言いますが良い方の変化もあります。例えば今のJK剣士。今、マスターマリコの下で心は解放されているだろう。でも帰ってきたらある意味地獄。いったいここはどげなことになっとるわけ?!と、これまでずっと当たり前に生きてきた場所がすっかり変質して見えるだろう。

 

だから環境変化をさせずに実践で変化を一つずつ引き寄せるのは、大変なように見えて安全だともいえる。「やりたくないなー」という心の底に在るものをじっと見つめながら、わたしという存在が全体として変化に対応するのを時間をかけて待つのは、とても大事なこと。

 

ということでね、自らどこにも行かずに環境変化を自分の身に起こしちゃったJさん、ほんとにすごいよ。ほんとにお疲れさまです。じっくり心身を癒してね。また靈氣やろうね。

 

 

№651 ここで決して止めない

何も正しくは言葉に出来ぬまま心射方位図法として立つ  中島祐介

 

 

 

5月4日
今日は麹町へ。たぶん私の仕事場所でもっとも都会に位置するところ。
ここから赤坂方面へ歩いたことが何度かあるが、「へえ!こんなところに~」というものがいろいろあって驚いた。しかし私の心にいちばんヒットしたのは、以前も書いたようにお家元(表千家)の東京稽古場である。こんな時節でお稽古もままなりませんが、心は茶人(ナンチャッテだとしても)としてがんばりまーす!

 

そう言えば先日久々に師匠(お茶・筝曲・お花の)からお電話を頂いた。
先だってお世話になったとある件についてのご連絡だったのだが、それ以外にワクチンのことが気がかりでらっしゃるようだったので、ご注意して頂きたいことについていくつかお話申し上げた。と、いっても自分の方針とか信念についてはこういう場面では開陳いたしません。ただ副反応に気をつけて頂きたいとか、どこで接種するのがいいのかとか、先生のおからだのご様子を常々お聞きしてきたから、お伝えしておきたいことについてお話しさせて頂いた。

東京通いを続けている私は、稽古に上がることをご遠慮申し上げているわけだが、最近いよいよ「さすがに稽古をつけてもらいたい」という渇望みたいなものが湧き上がってきた。なので「先生、お稽古したいです」とこぼしたら「うんうん」と優しく仰ってくださったが、その声音には「いったいどれだけ下手くそになっていることやら」という懸念が感じられた。あー、ちょっとヤバいかも…


さて昨日五反田の駅前を歩いていたら、マッチョ系おでぶ男子(年齢高め)の方がランニングに半パンで横断歩道を渡ってきた。いけないと思いつつも目がそっちに向いてしまう。もう五月だけど風が肌寒く、薄手の服に軽い上着を羽織っている私が急におばあさんに思えてきた。小学生のような潔さ、でも暑苦しい。今も目を閉じるとまぶたの裏に浮かぶ…夢には出てきて欲しくない。

こういう体型の人を見ると思いは出雲に飛ぶ。愛するオタクはこの度人生の転機を無事迎え、4月末に職場の皆さんの前でのご挨拶を済ませて新しい生活へと踏み出した。ここまでほんとうに葛藤のなか苦しんできたので、二人でほっと一息ついているところ。二人でチームを結成してこの事態に立ち向かったような気がしている。

そしてこの連休の後、愛するオタクは旅に出る。愛車のミッドシップツーシータ(いわゆる軽トラ)で長い旅へ。面白そうだから一緒に行ってみたい気がするが「トラック」と名のつくもので遠距離ドライブをするのはもう死ぬまで二度とごめんである。かつてさんざん経験したから。おしり壊れちゃうよ。

 

 

先程珍しくテレビをつけたら、ホテルニュージャパン火災の番組をやっていた。精鋭消防士の方々の決死の活躍についてのドキュメンタリー。今日その跡地の隣の建物でコーヒーを飲み、マスターもっちと久々の再会、胸元に赤いチーフまで入れてエロい、あいかわらずカッコいいじゃん!と思ったらただのiPhoneだった。もう少しセメて欲しかったな。明日も会うから一言申し上げておこう。

そして少し癒されて肌ツヤツヤ、目はキラキラした(しかし意識朦朧としているらしい)Jさんとも合流。東京ガーデンテラス紀尾井町?でランチをしながら「愛のインフラ整備」について熱い対話を交わした。その過程で、やっぱりあそこにJさんを連れて行くしかないよ!という流れになって、秘境田端にみんなで乗り込むことになった。
やっぱりか、やっぱり秘境田端が聖地になるんだな。

人は愛によってしか癒されない。愛は人によってしか確信させられない。まずは目の前の人との間にある確かな愛情に確信をもつこと、そして「今のまま、あるがままの」自分が全許容されると思えること。そういう経験を積み、自分のなかに育まれた暖かいものを他の誰かに送って行く。

救われた、愛された、と思えた人には義務がある。
愛情を自分で止めないという義務。いや、約束。

Yogaにもおなじ誓いがある。救われた私は、自分のところでこの智慧の流れを止めないという誓い。たった一人にだけでもこれを伝えますという約束。

Yoga、という言葉にどんなイメージを持たれていたとしてもそれを乗り越えて、授かった智慧を繋げていくことを私は絶対者と約束した。だから諦めない。

 

 

№650 てっぺんが痛い

待つように言ったら待ってくれたろう二十分でも二十年でも  松村正直

 

 

 

5月3日
今日は滞在先(五反田)で大人しくしている。たまにはちゃんとご飯を食べようと思い(外食だとやはり偏りが生まれるよね)、最寄りのスーパーマーケット・東急ストア五反田へ出向く。なぜならば昨日行った五反田のナンチャッテ成城石井にはアボカドが無かったからだ。

もしかして…という甘い期待とともにエスカレーターを上がって7階のブックファーストに行こうとしてみたが、4階から先は閉ざされていた。やっぱりね、そりゃそうよね。いや、ちゃんと一階にもそのことは書いてあったのだが、もしかしてもしかすると書店は生鮮食品と同じように人のいのちに直結で欠かせざるものという判断になっていやしないかと思ってみたのだが、無理だった。娯楽本が無くて、私死にそうなんですけど…

何しろ昨日は都内ではないところでたくさんの人を見たし、あらゆる店は開いていたし、大概の店ではお酒も出してたからなあ。
ただお昼ご飯を頂いたカレー屋さんは、カウンターに酒壜がずらりと並んでいるにも関わらず「11日まで提供中止」との張り紙があって、目の前の三岳(*芋焼酎)と見つめ合っていた私に連れが「お酒出してないって」と声をかけた。なんだよう、せっかくここまで来たのに!まあでもその直前まで靈氣をやっていたから、アルコールを入れたら意識がぶっ飛んでしまったかもしれない。これも絶対者の愛だと思って(間違いない)三岳の二つ隣にいた薩摩無双・黒さそりの壜と見つめ合っていた。またどこかでご縁があったら会えるよ…

飲みたい都民の皆様がお見えになるので、都内ではないここでも「お酒出しません、ごめんね」ということにしちゃってるのかな。まあここはカレー屋さんだからね。カレーをアテに焼酎飲みだしたら、回転度がすごく下がってカレー難民が出るもんね。それはいかん。でもさ、ここのカレー本格的でほんとうに美味しかった。インド風じゃないのに小麦粉は使ってない日本風カレー。カッ!っと三岳の湯割りでも一緒に飲んだら旨かろうなあ、という感じの美味和風カレーでした。また食べたい。

 

いつもながら余談だが、私は物心ついた時から九州で育ったが焼酎は家になかった。以前広島に住んでいたので、加茂鶴などの日本酒を父は飲んでいたなあ。きっと広島に住んで日本酒って美味しいなあと思ったのだろう。日本酒って本当に贅沢なお酒だから。お米のエッセンスを菌のちからで搾りとっているんだなあということが、木次酒造さんのお蔭で理解できた。もう五月だから、麹のちからと、酒造りで憔悴して抜けるように色が白くなった蔵元も蔵から出ておいでになっているだろう。そろそろ会いに行かなきゃ。嫁候補や嫁候補ではないけど可愛い女子を連れて。

いやいやそうじゃなくって、焼酎について話そうと思ったのですよ。
国営企業の西日本支社には九州出身者が多い。特に宮崎とか沖縄とか。この職場で酒といったら焼酎だった。そして当時、飲み会で焼酎の水割りを作るのはWAF(=Women of the Air Forces)のしごとだった。あのころ焼酎のなにがおいしいのか全然わかんなかったので、ガンガン濃いめに焼酎のお湯割りだとか水割りだとかを作って先輩がへべれけになっていくのを内心ほくそえみながら見ていた。もう時効だろうから白状します。自分のぶんはほぼ水なので酔うわけないのである。へへへ。

数年前鹿児島に出張したとき、ご当地料理を食べながら飲んだ芋焼酎にまあ驚いた。沖縄で飲むオリオンビール、すすきので飲むサッポロビール、そして天文館で飲む芋焼酎、なぜ現地のお酒ってこんなにいしいのかな。やっぱり空気がそうさせるのか?Pranaのちからか? だからもしかして、昨日網島(綱島?どっちがほんと?)で三岳を頂いたら想像とはちょっと違ったかもしれないよね。いやでも去年の忘年女子会で、M社長と米子で飲んだ三岳は美味しかったよな。あれ?なんだか話がヘンなことになってるな。まあいいや。

 

 

さて、昨日おふたりのおともだちとあっていろんなお話や体験をして、昨晩から今日にかけていろいろと考えを巡らせていた。まずは靈氣のことで、これはYogaと比べて未知に近い浅い経験しかないし知識もほとんどないところを、実践的に体当たりで学びを深めていっているので「え?」とおもう現象がたびたび起こる。今回もそうだったので先程もマスターマリコに救いを求めたら「やっぱりそうなんだ」という理解に至ることができた。

昨春、はじめて靈氣体験をしたあと、眉間(第6チャクラ)に穴が開いたような感じで風がスウスウ通るので驚いた。特にYogaのレッスンをしているとこの穴が大きく、風は強く感じる。次第に慣れて違和感は感じなくなった。最近は頭頂部(第7チャクラ)にいつも圧を感じる。シルシャーサナ(三点倒立)をすると頭のてっぺんが痛い。

Yogaを始めたばかりのころ、毎日しっかり瞑想をしていたら同じように頭頂部が痛くてたまらなくなって、その頃体操を教わっていた方に「かくかくしかじかで頭のてっぺんが痛い」と質問すると「自己流で瞑想するなんて危ないから、私の道場にきていっしょにやりなさい!」と頭ごなしに叱られてしまった。ひとりで瞑想するなって、あなたはひとりじゃ自分の家に帰れませんねえって言われているみたいでものすごく腹が立った。当時は未熟者のうえ修行が足らなかったので、扁桃体が活性化しやすくてすぐ腹が立っていた。そげなつまらんことでハラが立つ私のことが、懐かしき古き良き時代って感じ。で、セラピストの中野先生に相談したら何の問題もなさそうだったのでその後もひとりで瞑想していたら、じきに気にならなくなった。

その、当時と同じような圧と痛みが帰ってきた。むかしと違って今は仲間がいっぱいいるから何があっても安心という感じがする。ちゃんと前に進んでいる気がしてうれしい。

№649 大きな駅を通って

立てないくらい小さな星にいるみたい抱きしめるのは倒れるときだ  雪舟えま

 

 

 

5月2日
今日はお友達二人とそれぞれお会いしてきた。

まずは大崎駅で乗り換え湘南新宿ラインなる電車で西へ向かう。横浜駅でまた乗り換え。「ブルーライン」というものに乗れというGoogle先生の指示だったのだが、このブルーラインがいったいなにを意味するのものなのかがわからない。気弱な私は泣きそうになりながらJRの改札を出て、そこで初めて「横浜市営地下鉄」であることがわかった。ふーん…そうなんだ。カッコいいお名前だねえ。余所者にはわかりにくいねえ。

横浜駅も広い。行っても行ってもブルーラインの乗り場に着かない。秋葉原や上野でどうのこうの言ってたのはいったいなんだったんだと思った。なんとか乗り換えてとある駅で下車。なんと読むのかわからない駅だった。

さてそこから数分、てくてく歩いて某氏のお宅へ伺う。新建材を使わないリフォームをされた超!健康的な家の玄関から、青白い顔をしたその家の主が顔を出す。めっちゃ不健康そう。ここ数日頭のなかで音がして眠れず体調不良だという。まさに、そのとおり顔に書かれていた。

ほんとうは今日会うお二人と私の三人でご一緒させて頂こうかと思っていたのだが、このお方のお加減が悪いとのことで、靈氣をさせて頂くためにひとり駆けつけたのだ。
なぜかと言うと、この頭のなかの音も体調不良のご様子も「ははーん、あれやな」と身に覚えのあるものだったから。靈氣をして、もし元気になったらPranayama(調気法)かブリージング・エクササイズだなと思っていたがそこまで至らず。でも今日のところは全然大丈夫。

マスターマリコのお蔭で初めて靈氣と出会ってから、1年と2カ月が過ぎた。少しずつ前わからなかったことがわかるようになり、見えなかったものが見えるようになってくる(ホントに見えるとは!)。でもほんとうに少しずつ。

ごく少数の人にごくたまに靈氣をさせて頂いているだけだが、だんだんわかりやすくなってくるし、自分自身の体感も変わる。今日もまたそんな体験をさせて頂いた。終わったあとは少し回復なさり、二人ともとても健康的な音を立ててお腹がサインを送ったので、一緒にお約束のカレーを食べに行った。ここはぜったいカレーだろ!と朝から思っていたら、望み通りカレーかカレーの二択だった。スープじゃないカレーをチョイス。想像通りとっても美味しかった。ごちそうさまでした!


その後武蔵小杉へ移動。10年近く前に来たことがあるのだが、あのころはなーんにもないところだった。ところが今は大きな商業施設がドーン、ドーン!といくつか建って人もいっぱい。もちろんここなら昼からビールでも飲める(飲んでないけど)。

ここでは女子二人で、大人の女性として必要な見識について熱い対話が展開された。
やはり人間関係は双方向。お互いが努力をしなくてはならないし、自分自身のことをよく知ることが大切。嫌なことはちゃんとNo!と伝えるのも、快く思うことに関してはそう伝えることも、お互いの理解を深めるためには重要なことである。ビビっていてはいけないのだ。
どこかに、まさかもしかして?存在している理想の人が突然現れて、奇跡のように自分をしあわせにしてくれるなんて甘っちょろいことを夢想していてはいけない(そんな至福の展開もこの世にはあるのかもしれない)。欲しいものは自ら掴みとらねばならないのだ!

しあわせになりたい。なれるんだ。なるぞ!!
という決意をもって、壺井もますます精進していくようにという肉食系先輩女子からのご指導ご鞭撻を受け、武蔵小杉の駅で熱いハグをして別れた。教えを守って、自分にとって弱いラインの発達に励まなくてはならないのか?これこそ能力開発だな。

いつか「こんな素晴らしい体験がありました!」とこの先輩にご報告をしなくてはならない。できるといいなあ。自分自身と向き合うことで得た気付きを、他の女性にもお伝えしていけるといいねという話にもなった。

靈氣もこの先輩のお話も、何やらすべてが繋がっていて絶対者の采配のように感じる。

なぜみんなこのネタについて私に話をしてくるんだろう?ということが、最近よくある。ということは生きている方向性はだいたい間違いないってことなのかな。どの方向に行っても間違いなんてないとは思っているけれど、「徴」がとても多いのでそんな風に感じている。

今日のネタは、よいこのみなさんにはちょっと早いかもしれない話題が満載だったので、すごく曖昧な感じでごめんなさいね。例によってズバリ聞きたい人は私を飲みに誘ってください。都内の人はお酒が飲めるようになってから誘ってください。森の子リス的シャイガールなのでお酒でも飲まないとこのネタは到底ムリでしょ?!、ということに関して、大きな商業施設のオープンなカフェで、フレンチトーストを食べながら(あまったバターもそのまま舐めながら)、しっかり語るインテグラルの先輩は偉大だと思いました。若輩者の私も負けずにがんばろう。うん。

 

最後に。
武蔵小杉の駅広すぎる。湘南新宿ラインのホームまでほんとに辿りつけるのか、すごく不安になった…やれやれ。

 

 

 

№648 ごめんね、師匠

言えなくてペンギンのように哀しくてひこうき雲をひとり見ていた  干場しおり

 

 

 

5月1日
5月になった。薫風薫る5月。
と思っていい気分だったのだが、先程Zoomセッション中に地震があった。慣れない場所で遭遇する地震はすごく心細くなるよね…すぐに長女ぶーちーから安否確認がきた。ありがとう、ぶーちー!

ということで昨日夕方、無事上京致しました。今回は五反田に返り咲いたよ。ぶーちーの大学からも彼女の脚なら徒歩10分といったところ。いやー、実に便利です。成城石井も規模はともかくちゃんとある。開いているか開いてないかはともかくとしてお店もいっぱいある。ほんとうはまた泉岳寺にいるはずだったのだが先様の都合ですったもんだしたせいかキッチン付きのお部屋になっていた。グレードアップである。朝日も差し込む。すごく嬉しい。

前回、アボカドや豆腐が食べたいのにさすがに醤油まで買えない…(醤油をはじめとする調味料に対するこだわりが強いので、うっかり買えない)と思って涙をのんだので、わざわざ保冷袋にマイ味噌を入れて持参した。アボカドを切るためにナイフまでもってきたのにちゃんと部屋に包丁があった。ありがたや。やっぱりほら、食は基本ですからね。しかしミルどころか味噌まで…。我ながらめんどくさい。ヤレヤレ。


さて昨日は日本のへそに出かけ、旧知の方と親しくお言葉を交わしてきた。この春御年70歳におなりになったとのこと、ますますお元気。なんだかんだで某県で一番古いサロンになったとのことで、創業38年って凄いなぁ。

ここで私がいったいなにをしたかまあ置いておくとして、施術をして下さった25歳のお嬢さんは親子2代でここで働くエスティシャン。そういえばその名字に聞き覚えがあると思ったら、私の記憶にあるのはお母様だったということか。ただお母様はもう引退している。

実のところこういったサロンは、女性の悩みやコンプレックスに向き合う最前線だと思う。病院より敷居が低いが、美容院よりは高い。そしてより「こうじゃなかったらいいのに」という部分に向き合う度合いが強い。しかもここに足を踏み入れるからには「こうなったらいいのに」という思いもあるはず(病院の場合、「何とかしてください」が優先で、「こうなりたい」というビジョンは明確でない気がする)。

「こうなったらいいのに」に向き合うのに「めんどくてやりたくないこと」に直面してもらう必要があるのだが、それをさせられるひとってなかなかいない。
施術してくれた方に伺うと、かつて私が見知っていた方々は皆引退(退職)してしまって、今でも働いているとか、のれん分けしてもらって自分でサロンをしているような方は皆無だそうである。お客様の心理的葛藤に直面するのが大変なんじゃないかと推察する。

人の悩みに向き合うことになるだろうし、いろいろ難しいことが多いでしょう、とお尋ねすると「そうなんです!わかってもらえますか?!」と言っておられた。入社して修行しても辞めてしまう方が多いらしい。美容師さんもYoga教師も淘汰率が高いが、エステ業界もやっぱりそうなんだね。

人は「なにか」をしてその「なにか」だけを求めていることは、まずもってないよね。
その「なにか」を通して「別のなにか」を探していて、自分でも何を探しているのかがわかっていないことが多い。Yogaを教えていてもそのことをいつも感じる。

あなたが探しているもの、求めてやまないものはきっとこれだと思うよ?という仮説をもって、その方のまえに立ち、答えをそのまま提示するのではなく「こっちだよー」と一緒に道を歩むような感じと表現したらしっくりくるだろうか?

ただYogaの場合は(少なくとも伝統的Yogaの場合は)取り組む方自身がその答えにかなり近いところまで迫っており、見たくなかったものと向き合ってもいいという準備が内々に整っているような気がする。ところが美容の世界では、その“向き合いたい”と心の奥底では知っているものとのは乖離が起きているような気がするのだ。かつての自分のことを想っても。


今日、オンラインセッションで、すごく細かい動きが生む、とても大きな効果について対話をさせてもらった。その方がご覧になったYouTube動画のはなしから、Yogaでスークシュマ・ヴィヤヤーマと呼ぶ細かい動きはいったいどんな変化を呼び起こしてくれるのかについてはなしは膨らんでいき、足指や眼球を用いた微細な動きが実は大きな変化を引き起こす起爆剤になり得ることについて語った。これはあまりにもつまらない動作で、そんな変化が期待できる魅力的なものと思えないところに難があるけれども、騙されたと思ってやってみると、間違いなく、いい意味で騙されることになる。

だから地味な取り組みをバカにしたらいけない。ほんとはエステ業界を利用する方にもそれがいちばん大事なことで、いつかは必ずそこに向き合わないといけないということを、昨日お目にかかった先生はわかり抜いておられると思う。


あれ?今日ずいぶんカタいな。

すいません、たぶんせっかく敬愛する規夫師匠とお会いしたのに、ご一緒にビールも飲めなかったからだと思います。テンション下げ下げです。
同席なさった某社長に「隠れてビール出してくれる店ないんですか?!」と無茶ぶりを発揮する規夫師匠に、改めて激しい師弟愛を感じてしまいました。弟子として、アルコールの含まれた麦茶が提供されるお店を探しておくことくらいしなくてはならなかったと猛省しております。ごめんね、師匠…おゆるしください…

 

 

 

№647 そんなことが

ぼくはただあなたになりたいだけなのにふたりならんで映画を見てる  斉藤斎藤

 

 

 

4月30日
岡山駅で乗り換えてのぞみ2号に乗車したところ。久々にキティちゃんこだま号を見た。テンション上がって写真撮りまくり、メッセージで送信しまくりだが、到着が遅くなるので残念ながら乗れない。出会うのは二回目。いったい内装はどんな感じなのか一度ハナシのタネに見てみたい気はする。

先月も月末に出発して上京しJK剣士を見送ったわけだが、と、いうことは渡米してから約一か月が経過したということか。ひと月って相当な期間だね。慣れかかった頃に帰国なので後ろ髪を引かれる思いをするんだろうな。また行けばいいんだからね。一時帰国の気持ちで帰ってくれば良い。

 

このあと日本のへそに向かう。今日は移動も含めて予定が詰まっているので、食事ができる気がしないが、まあいっか。




さて、米子に帰ってからは家にいないとできない仕事(作業?)を片付けつつ、ふだんよりもさらにぼんやり過ごしてYouTubeで動画などを見たりしていたが、そのなかにちょっと気にかかるものがあった。気にかかり過ぎてまだ見ていない。なんというか…受けとめるのに時間が要りそう。

ここでいつも面白おかしく、かつて某国営企業にいたときのネタをご披露させて頂いているが、全然面白おかしくないシリアスなこともたくさんあった。退職の日に「ここで見聞きしたことは決して他所で漏らしません」という書面に署名捺印しているので、私がここで書いているのは実体験をふくらませたホラばなしだと思って頂いた方がいいです。へー、マジで?!と思うようなことでも、広報とかでかなりオープンになってますしね。国民に開かれた某国営企業ですから、はい。

 

 

YouTubeで見かけたのは、その組織では「年間60~100名が自殺していて、その数は一般公務員の約二倍だ」というNHKの特集番組だった。そうか…

そこを去ってからもう10年以上が経過したし、3.11の震災前と後ではたぶん相当いろんなことが変化していると思う。かつて関西の一般市民からは「味噌汁をかけられて撃退される」と言われていたのに、震災後はその活動に対する賞賛の声も高く、ポジティブなイメージを強化するような書籍も見かける。書店の健康に関する棚には「〇衛隊体操」や「自〇隊の筋トレ」の本まであるんですよ、ビックリしてしまう。若かりし頃は職業を訊かれてもそのまま答えられない空気があった。「こ、公務員です…」と答えていたが、当時でいうと郵便局の方とか、市役所のひととか警察官とはまるで違うムードを醸し出していたのであろうから、誤魔化してもじきにバレてしまうのだった。

 

今あの場所で、災害の現場を踏んだ先輩が、後輩をどのように指導しているのかはなんとなく想像がつくような気がするのだ。誰も行かせられないから行ってくれと言われる環境下で、たぶん身も心もズタボロになる。それを手当てするような施策が進んでいるといいのだけれど。風邪も根性があればひかないんだと真剣に言われていたが、いまそれが変わっているのかどうか?

きっとあの活動を経験した者は少なからず心に傷を負っている。それをどんな風に処理しているんだろうと思うとき、あの場所の空気を知っている者にしかわからないことがあると感じる。同時に、ずっとそこにいるひとにはわからないことがあると思う。私もそこから駆逐された者だからだ。駆逐されたからわかったことがたくさんある。

美談の影に隠れたいろんな苦悩があり、耐えがたい思いと吐き出せない苦しみがあるはず。その職業特性上、オープンにできないことがたくさんあるからこそのつらさもあるだろう。私はもうその場所とは縁がないから、遠く離れて思うことがたくさんあるが何もしてあげられない。せめて私の見知った後輩や教え子たちが苦しんでいませんように、できれば苦しんでいる人のちからになっていてほしいと願うばかり。


連休に突入した朗らかな春の日だというのに重苦しいネタですみません… 甚だ中途半端な表現ながら、どうしてもこのことに触れておきたかったのです。

今日は夢の案配で3時前に目覚めてしまった。ウトウトした伯備線特急やくもの車中でふと目を開けると、山のなかに咲き誇る藤の花をみて驚いた。どこを見ても藤、藤である。
こんな時期にJRに乗ることがなかった。連休時期なので、子供もしくは家族連れで車を運転していれば山の景色など見ることがないからだ(我が家の運転手は常にハハだから)。

庭園などで美しく棚になっている姿とは違い、実にワイルド。他の木にしっかりしがみついて「これでもかー!」と紫の花を咲かせている。その様子を見て「寄生って悪いことじゃないかも」と思った。絡み疲れている植物の方にもなにかしらメリットがあるかもしれないし、実はそこに恋の花まで咲いているかもしれない。

どこでどんな風に生きている命であっても、皆しあわせであってほしいと願う。

 

 

 

 

 

 

№646 田端の事件?

蛇に飲まれし鼠は蛇になりたれば夕べうつとりと空をみてゐる  馬場あき子

 

 

 

 

4月29日
最近我が家の猫たちにモテモテである。JK剣士専門だったあんこ(サビ猫)も、ずっと家族にビクビクだったういろ(サバ猫)もなぜか寄ってくる。入院・手術後などに急に親しさが増すことはこれまでの猫たちとも経験したことがあるので、もしかしたらそんなことになるといいなーと思いつつ長い旅から帰宅したら、そうなった。不思議である。

あんこはJK剣士の胸の上で、自分のおしりがJK剣士の顔の方を向く姿勢で寝るのを好んでいるのだが、さすがにそれはしてこない(されても断固拒否)。だがういろは明け方一度外出し(パトロールか?)、その後帰宅して私のふとんの襟元を前脚で「たのもう」と叩いてきて、中に入りこんで腕枕で寝る。歴代の猫で腕枕で寝るのはこれで二匹目である。もう五月になろうという季節なのにまだ朝晩が肌寒いので、お互い助けあっている感じ。ところがどっこい明日にはまたハハは出かけちゃうのでごめん。次はJK剣士もつれて帰って来るから許してね。

 

 

そういえば昨日ある方との会話で、今どきの若い男子は脱毛するんだよと伺った。
マジで?

そこで更に「だからニコラス・ケイジなんて今の若い娘にはウケない」的な流れになったのだが、なんでなんだよう?そんなことないって!ちゃんと私みたいなニコ萌え女子(10代~上限なし)はたくさんいる。いるはずだ。間違いない、信じてる。だってニコだよ?

人は多様、人間の好みはさらに多様だね。毛がないツルっとした男子を好む女子がいるということだもんね。いやー私ムリかも。小泉八雲の「怪談」に"Mujina“ってあるじゃないですか。「こんな顔じゃアなかったですかね」とのっぺらぼうの顔を見せられたときのような驚きを、毛のない頬や脚を見たら感じてしまう気がする…
しかし、まつげを増毛したりからだの毛を無くしたり、現代のヒトはほんとにやっかいだな。実に業が深い。


さて明日はいったん日本のへそ周辺に出向く。こんなご時世なので何県かは伏せておこう。さすがにどうなのかなと心配になり「行ってもええんですか?」とお伺いを立てたところ、「大阪、東京の方はご遠慮申し上げておりますが、それ以外の県からですし、症状が無ければ堂々とお越しくださいませ!」とビックリマークまでついたお返事が来た。
それ以外もなにも慧心師曰くコロナの流行にも乗り遅れた鳥取県だし、えーと、今”とリネット”で確認したところによると369人の感染者がおいでだということで、とっても少ないのよね?何の症状もないし堂々と乗り込むことにさせて頂いているが、大阪を通過するのにそれはいいのだろうか…新幹線のなかでは息を潜めていよう。まあ行った先でも二名ほどにしか会わないし。

で、なにしに行くかっていうことなのですが、約30年のおつきあいになる先生に会いに行くのです。CIDESCO(シデスコ)という国際ライセンス保有エステティックの先生で、某地方の小さな街で38年もサロン経営をしている経営者さんでもある。

この先生はまず入ったのが資生堂。ここで肌がボロボロになってしまい、自分や同じ苦しみを抱える方を救うために美容の世界での探求を始められた。以来その道一筋。国際ライセンスを取得し現在は育成にも関わっておられ、海外航路の豪華客船やモナコのサロンでも働けるスキルの持ち主なのだ!(雇ってもらえればねえと笑っておられたが)

20代前半の若い頃、私はにきびがすごくてほんとに悩んでいた。そこで、ふと目に入ったこの店にふらふら~と飛び込みで入ったのがご縁のはじまり。聴かされることのすべてが常識と乖離していた。雑誌などで紹介されている製品は扱っていない。

化粧品のはなしは原材料に関することから始まる。「あなたが使ってる化粧品に使用されている油脂は、ドラム缶1本でなんぼするか知ってる?」というネタはショックだった。大枚はたいて買った素敵な化粧品の、粗悪な原材料で肌がかぶれているかもしれないとも聞かされた。まあ他にもいろいろ。以来私はどこに移動してもずっとここにお世話になってきた。当然こういう客は私以外にもいるようである。

新宿伊勢丹の地下に行くと「全国でもここでしか店頭販売はしていません」というモノが売ってあるけれども、ほんとにイイものって隠れ家的なところでこっそりやりとりされてる。大儲けするつもりはまったくなく、プロとしての矜持を感じる。

この先生には、食事が大事だということ、お菓子には気をつけること、良質な脂質をふんだんに摂ることも教えられた。何十年経ってようやく世の中が先生についてきつつあると思う。普段はお電話でお話するだけだが、リアルにお目にかかってお話しできるのは数年ぶり。とても楽しみ。また新たな気付きを頂けるだろう。

 

 

 

今日、昼食(兼朝食)をとりながらYouTubeでドラマを見た。ふだん見なかった方向性のものだがすごく笑えて楽しませてもらった。冒頭でいきなり「田端保険金殺人事件」というセリフが出てきて、秘境の名前がこんな風に使われているとは!!と驚いた。
きっとこのセリフを考えた人は、私と同じく秘境田端に深い思い入れがあるのだろう。共感度大やで!