蓮は泥中より発す

心身一如に生きるヨーガ教師の日記

№651 ここで決して止めない

何も正しくは言葉に出来ぬまま心射方位図法として立つ  中島祐介

 

 

 

5月4日
今日は麹町へ。たぶん私の仕事場所でもっとも都会に位置するところ。
ここから赤坂方面へ歩いたことが何度かあるが、「へえ!こんなところに~」というものがいろいろあって驚いた。しかし私の心にいちばんヒットしたのは、以前も書いたようにお家元(表千家)の東京稽古場である。こんな時節でお稽古もままなりませんが、心は茶人(ナンチャッテだとしても)としてがんばりまーす!

 

そう言えば先日久々に師匠(お茶・筝曲・お花の)からお電話を頂いた。
先だってお世話になったとある件についてのご連絡だったのだが、それ以外にワクチンのことが気がかりでらっしゃるようだったので、ご注意して頂きたいことについていくつかお話申し上げた。と、いっても自分の方針とか信念についてはこういう場面では開陳いたしません。ただ副反応に気をつけて頂きたいとか、どこで接種するのがいいのかとか、先生のおからだのご様子を常々お聞きしてきたから、お伝えしておきたいことについてお話しさせて頂いた。

東京通いを続けている私は、稽古に上がることをご遠慮申し上げているわけだが、最近いよいよ「さすがに稽古をつけてもらいたい」という渇望みたいなものが湧き上がってきた。なので「先生、お稽古したいです」とこぼしたら「うんうん」と優しく仰ってくださったが、その声音には「いったいどれだけ下手くそになっていることやら」という懸念が感じられた。あー、ちょっとヤバいかも…


さて昨日五反田の駅前を歩いていたら、マッチョ系おでぶ男子(年齢高め)の方がランニングに半パンで横断歩道を渡ってきた。いけないと思いつつも目がそっちに向いてしまう。もう五月だけど風が肌寒く、薄手の服に軽い上着を羽織っている私が急におばあさんに思えてきた。小学生のような潔さ、でも暑苦しい。今も目を閉じるとまぶたの裏に浮かぶ…夢には出てきて欲しくない。

こういう体型の人を見ると思いは出雲に飛ぶ。愛するオタクはこの度人生の転機を無事迎え、4月末に職場の皆さんの前でのご挨拶を済ませて新しい生活へと踏み出した。ここまでほんとうに葛藤のなか苦しんできたので、二人でほっと一息ついているところ。二人でチームを結成してこの事態に立ち向かったような気がしている。

そしてこの連休の後、愛するオタクは旅に出る。愛車のミッドシップツーシータ(いわゆる軽トラ)で長い旅へ。面白そうだから一緒に行ってみたい気がするが「トラック」と名のつくもので遠距離ドライブをするのはもう死ぬまで二度とごめんである。かつてさんざん経験したから。おしり壊れちゃうよ。

 

 

先程珍しくテレビをつけたら、ホテルニュージャパン火災の番組をやっていた。精鋭消防士の方々の決死の活躍についてのドキュメンタリー。今日その跡地の隣の建物でコーヒーを飲み、マスターもっちと久々の再会、胸元に赤いチーフまで入れてエロい、あいかわらずカッコいいじゃん!と思ったらただのiPhoneだった。もう少しセメて欲しかったな。明日も会うから一言申し上げておこう。

そして少し癒されて肌ツヤツヤ、目はキラキラした(しかし意識朦朧としているらしい)Jさんとも合流。東京ガーデンテラス紀尾井町?でランチをしながら「愛のインフラ整備」について熱い対話を交わした。その過程で、やっぱりあそこにJさんを連れて行くしかないよ!という流れになって、秘境田端にみんなで乗り込むことになった。
やっぱりか、やっぱり秘境田端が聖地になるんだな。

人は愛によってしか癒されない。愛は人によってしか確信させられない。まずは目の前の人との間にある確かな愛情に確信をもつこと、そして「今のまま、あるがままの」自分が全許容されると思えること。そういう経験を積み、自分のなかに育まれた暖かいものを他の誰かに送って行く。

救われた、愛された、と思えた人には義務がある。
愛情を自分で止めないという義務。いや、約束。

Yogaにもおなじ誓いがある。救われた私は、自分のところでこの智慧の流れを止めないという誓い。たった一人にだけでもこれを伝えますという約束。

Yoga、という言葉にどんなイメージを持たれていたとしてもそれを乗り越えて、授かった智慧を繋げていくことを私は絶対者と約束した。だから諦めない。