蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№650 てっぺんが痛い

待つように言ったら待ってくれたろう二十分でも二十年でも  松村正直

 

 

 

5月3日
今日は滞在先(五反田)で大人しくしている。たまにはちゃんとご飯を食べようと思い(外食だとやはり偏りが生まれるよね)、最寄りのスーパーマーケット・東急ストア五反田へ出向く。なぜならば昨日行った五反田のナンチャッテ成城石井にはアボカドが無かったからだ。

もしかして…という甘い期待とともにエスカレーターを上がって7階のブックファーストに行こうとしてみたが、4階から先は閉ざされていた。やっぱりね、そりゃそうよね。いや、ちゃんと一階にもそのことは書いてあったのだが、もしかしてもしかすると書店は生鮮食品と同じように人のいのちに直結で欠かせざるものという判断になっていやしないかと思ってみたのだが、無理だった。娯楽本が無くて、私死にそうなんですけど…

何しろ昨日は都内ではないところでたくさんの人を見たし、あらゆる店は開いていたし、大概の店ではお酒も出してたからなあ。
ただお昼ご飯を頂いたカレー屋さんは、カウンターに酒壜がずらりと並んでいるにも関わらず「11日まで提供中止」との張り紙があって、目の前の三岳(*芋焼酎)と見つめ合っていた私に連れが「お酒出してないって」と声をかけた。なんだよう、せっかくここまで来たのに!まあでもその直前まで靈氣をやっていたから、アルコールを入れたら意識がぶっ飛んでしまったかもしれない。これも絶対者の愛だと思って(間違いない)三岳の二つ隣にいた薩摩無双・黒さそりの壜と見つめ合っていた。またどこかでご縁があったら会えるよ…

飲みたい都民の皆様がお見えになるので、都内ではないここでも「お酒出しません、ごめんね」ということにしちゃってるのかな。まあここはカレー屋さんだからね。カレーをアテに焼酎飲みだしたら、回転度がすごく下がってカレー難民が出るもんね。それはいかん。でもさ、ここのカレー本格的でほんとうに美味しかった。インド風じゃないのに小麦粉は使ってない日本風カレー。カッ!っと三岳の湯割りでも一緒に飲んだら旨かろうなあ、という感じの美味和風カレーでした。また食べたい。

 

いつもながら余談だが、私は物心ついた時から九州で育ったが焼酎は家になかった。以前広島に住んでいたので、加茂鶴などの日本酒を父は飲んでいたなあ。きっと広島に住んで日本酒って美味しいなあと思ったのだろう。日本酒って本当に贅沢なお酒だから。お米のエッセンスを菌のちからで搾りとっているんだなあということが、木次酒造さんのお蔭で理解できた。もう五月だから、麹のちからと、酒造りで憔悴して抜けるように色が白くなった蔵元も蔵から出ておいでになっているだろう。そろそろ会いに行かなきゃ。嫁候補や嫁候補ではないけど可愛い女子を連れて。

いやいやそうじゃなくって、焼酎について話そうと思ったのですよ。
国営企業の西日本支社には九州出身者が多い。特に宮崎とか沖縄とか。この職場で酒といったら焼酎だった。そして当時、飲み会で焼酎の水割りを作るのはWAF(=Women of the Air Forces)のしごとだった。あのころ焼酎のなにがおいしいのか全然わかんなかったので、ガンガン濃いめに焼酎のお湯割りだとか水割りだとかを作って先輩がへべれけになっていくのを内心ほくそえみながら見ていた。もう時効だろうから白状します。自分のぶんはほぼ水なので酔うわけないのである。へへへ。

数年前鹿児島に出張したとき、ご当地料理を食べながら飲んだ芋焼酎にまあ驚いた。沖縄で飲むオリオンビール、すすきので飲むサッポロビール、そして天文館で飲む芋焼酎、なぜ現地のお酒ってこんなにいしいのかな。やっぱり空気がそうさせるのか?Pranaのちからか? だからもしかして、昨日網島(綱島?どっちがほんと?)で三岳を頂いたら想像とはちょっと違ったかもしれないよね。いやでも去年の忘年女子会で、M社長と米子で飲んだ三岳は美味しかったよな。あれ?なんだか話がヘンなことになってるな。まあいいや。

 

 

さて、昨日おふたりのおともだちとあっていろんなお話や体験をして、昨晩から今日にかけていろいろと考えを巡らせていた。まずは靈氣のことで、これはYogaと比べて未知に近い浅い経験しかないし知識もほとんどないところを、実践的に体当たりで学びを深めていっているので「え?」とおもう現象がたびたび起こる。今回もそうだったので先程もマスターマリコに救いを求めたら「やっぱりそうなんだ」という理解に至ることができた。

昨春、はじめて靈氣体験をしたあと、眉間(第6チャクラ)に穴が開いたような感じで風がスウスウ通るので驚いた。特にYogaのレッスンをしているとこの穴が大きく、風は強く感じる。次第に慣れて違和感は感じなくなった。最近は頭頂部(第7チャクラ)にいつも圧を感じる。シルシャーサナ(三点倒立)をすると頭のてっぺんが痛い。

Yogaを始めたばかりのころ、毎日しっかり瞑想をしていたら同じように頭頂部が痛くてたまらなくなって、その頃体操を教わっていた方に「かくかくしかじかで頭のてっぺんが痛い」と質問すると「自己流で瞑想するなんて危ないから、私の道場にきていっしょにやりなさい!」と頭ごなしに叱られてしまった。ひとりで瞑想するなって、あなたはひとりじゃ自分の家に帰れませんねえって言われているみたいでものすごく腹が立った。当時は未熟者のうえ修行が足らなかったので、扁桃体が活性化しやすくてすぐ腹が立っていた。そげなつまらんことでハラが立つ私のことが、懐かしき古き良き時代って感じ。で、セラピストの中野先生に相談したら何の問題もなさそうだったのでその後もひとりで瞑想していたら、じきに気にならなくなった。

その、当時と同じような圧と痛みが帰ってきた。むかしと違って今は仲間がいっぱいいるから何があっても安心という感じがする。ちゃんと前に進んでいる気がしてうれしい。