蓮は泥中より発す

अद्वैत :非二元に還るプロセスの記録

№647 そんなことが

ぼくはただあなたになりたいだけなのにふたりならんで映画を見てる  斉藤斎藤

 

 

 

4月30日
岡山駅で乗り換えてのぞみ2号に乗車したところ。久々にキティちゃんこだま号を見た。テンション上がって写真撮りまくり、メッセージで送信しまくりだが、到着が遅くなるので残念ながら乗れない。出会うのは二回目。いったい内装はどんな感じなのか一度ハナシのタネに見てみたい気はする。

先月も月末に出発して上京しJK剣士を見送ったわけだが、と、いうことは渡米してから約一か月が経過したということか。ひと月って相当な期間だね。慣れかかった頃に帰国なので後ろ髪を引かれる思いをするんだろうな。また行けばいいんだからね。一時帰国の気持ちで帰ってくれば良い。

 

このあと日本のへそに向かう。今日は移動も含めて予定が詰まっているので、食事ができる気がしないが、まあいっか。




さて、米子に帰ってからは家にいないとできない仕事(作業?)を片付けつつ、ふだんよりもさらにぼんやり過ごしてYouTubeで動画などを見たりしていたが、そのなかにちょっと気にかかるものがあった。気にかかり過ぎてまだ見ていない。なんというか…受けとめるのに時間が要りそう。

ここでいつも面白おかしく、かつて某国営企業にいたときのネタをご披露させて頂いているが、全然面白おかしくないシリアスなこともたくさんあった。退職の日に「ここで見聞きしたことは決して他所で漏らしません」という書面に署名捺印しているので、私がここで書いているのは実体験をふくらませたホラばなしだと思って頂いた方がいいです。へー、マジで?!と思うようなことでも、広報とかでかなりオープンになってますしね。国民に開かれた某国営企業ですから、はい。

 

 

YouTubeで見かけたのは、その組織では「年間60~100名が自殺していて、その数は一般公務員の約二倍だ」というNHKの特集番組だった。そうか…

そこを去ってからもう10年以上が経過したし、3.11の震災前と後ではたぶん相当いろんなことが変化していると思う。かつて関西の一般市民からは「味噌汁をかけられて撃退される」と言われていたのに、震災後はその活動に対する賞賛の声も高く、ポジティブなイメージを強化するような書籍も見かける。書店の健康に関する棚には「〇衛隊体操」や「自〇隊の筋トレ」の本まであるんですよ、ビックリしてしまう。若かりし頃は職業を訊かれてもそのまま答えられない空気があった。「こ、公務員です…」と答えていたが、当時でいうと郵便局の方とか、市役所のひととか警察官とはまるで違うムードを醸し出していたのであろうから、誤魔化してもじきにバレてしまうのだった。

 

今あの場所で、災害の現場を踏んだ先輩が、後輩をどのように指導しているのかはなんとなく想像がつくような気がするのだ。誰も行かせられないから行ってくれと言われる環境下で、たぶん身も心もズタボロになる。それを手当てするような施策が進んでいるといいのだけれど。風邪も根性があればひかないんだと真剣に言われていたが、いまそれが変わっているのかどうか?

きっとあの活動を経験した者は少なからず心に傷を負っている。それをどんな風に処理しているんだろうと思うとき、あの場所の空気を知っている者にしかわからないことがあると感じる。同時に、ずっとそこにいるひとにはわからないことがあると思う。私もそこから駆逐された者だからだ。駆逐されたからわかったことがたくさんある。

美談の影に隠れたいろんな苦悩があり、耐えがたい思いと吐き出せない苦しみがあるはず。その職業特性上、オープンにできないことがたくさんあるからこそのつらさもあるだろう。私はもうその場所とは縁がないから、遠く離れて思うことがたくさんあるが何もしてあげられない。せめて私の見知った後輩や教え子たちが苦しんでいませんように、できれば苦しんでいる人のちからになっていてほしいと願うばかり。


連休に突入した朗らかな春の日だというのに重苦しいネタですみません… 甚だ中途半端な表現ながら、どうしてもこのことに触れておきたかったのです。

今日は夢の案配で3時前に目覚めてしまった。ウトウトした伯備線特急やくもの車中でふと目を開けると、山のなかに咲き誇る藤の花をみて驚いた。どこを見ても藤、藤である。
こんな時期にJRに乗ることがなかった。連休時期なので、子供もしくは家族連れで車を運転していれば山の景色など見ることがないからだ(我が家の運転手は常にハハだから)。

庭園などで美しく棚になっている姿とは違い、実にワイルド。他の木にしっかりしがみついて「これでもかー!」と紫の花を咲かせている。その様子を見て「寄生って悪いことじゃないかも」と思った。絡み疲れている植物の方にもなにかしらメリットがあるかもしれないし、実はそこに恋の花まで咲いているかもしれない。

どこでどんな風に生きている命であっても、皆しあわせであってほしいと願う。